artscapeレビュー
映像に関するレビュー/プレビュー
『レム・コールハース:ア・カインド・オブ・アーキテクト』(DVD)
発行所:アップリンク
発行日:2009年1月9日
レム・コールハースはつねに両義性のなかを生きている。母方の祖父ディルク・ローゼンブルフは建築家、父アントン・コールハースはライター。レム・コールハースは建築家にしてライターである。幼少期をアジアで育ち、物心ついてからヨーロッパに移る。設計事務所であるOMAに加えてシンクタンクであるAMOを組織し、建築を編集的な手法で、建築以外のものを建築的な手法で、作品とする。
このDVDは建築家コールハースを追ったドキュメント映画であるが、副題がそうであるように(一種の建築家)、そこから浮かび上がるのは建築という領域をはるかに越えた思考を展開する、コールハースという巨人である。圧倒的な映像の情報量。そもそも作品数も多いし、一つの作品のために生み出される膨大なダイアグラムやスタディ模型、リサーチの量が膨大なのだけど、そこに例えばミン・テシュによるアニメーションなど、独自の映像も加わっている。またセシル・バルモンド、リチャード・マイヤー、ディルク・ベッカー、オーレ・スケーレンらが、多面的にコールハースを語る映像も貴重だ。
特に、建築をはじめる前のコールハースについて、知らない情報が多かった。祖父が建築家であったこと、14歳ですでに建築家を目指していたこと、ル・コルビュジエにインタビューした時の記事のディテール(唇の動き方まで表現している)、そして1966年のシチュアシオニストのコンスタント・ニーヴェンホイスへのインタビューが、ジャーナリストから建築家に転身するきっかけとなったことなど。はじめてコールハースを知る人にとってもとっつきやすいフィルムであると同時に、はじめて公開されるようなマニアックな情報も詰め込まれており、今後コールハースのレファレンスとして、必携になることは間違いないだろう。
ところで、個人的に最も面白かったのは特典映像の方だった。これだけで一枚のDVDになっていて、絶対に見る価値がある。まず「ディルク・ベッカーとの対話」。ベッカーはニコラス・ルーマンのもとで博士号を取った優秀な社会学者らしいのだが、《ボルドーの家》も知らない、ベルリンについての考察も知らないということだから、かなり甘く見て、あまりコールハースのことを知らずにインタビューにのぞんだようだ。いくつか失礼ではないだろうかという質問もするベッカーに対し、コールハースは終始、謙虚に真摯に答える。さまざまに問いつめるベッカーに対し、コールハースはむしろインタビューする側に回り、相手の考え方を聞いた上で「その考え方を建築に当てはめてみると?」と逆質問するなど、切り返しが絶妙にうまい。コールハースはインタビューをする名手であるけれども、インタビューを受ける名手でもあることが分かる映像。もう一つ、「アスター・プレイス・プロジェクト」の映像も貴重だ。ヘルツォーク&ド・ムーロンと協働した唯一のプロジェクト。OMAのなかでコールハースが次々と指示を出していく映像や、クライアントとの接し方のヘルツォークとの差異など、「現場」のコールハースを見ることが出来るのは興味深い。本編の冒頭にあったように、「コールハースが建てるどの建物よりも、彼自身が面白い」。
2009/04/27(月)(松田達)
生ける伝説 榎忠映像作品上映会
BLD GALLERY[東京都]
開催日:2009/3/22、3/29、4/5、4/12、4/19
美術家・榎忠にまつわる映像作品を見せる上映会。今回見たのは、半刈りでハンガリーへ行ったパフォーマンスを中心としたプログラム。音声が一切ない映像は、新婚旅行を記録したような、ほとんどプライヴェィト・フィルムに近いものだったが、それは榎の傑作の数々がそうであるように、この伝説的なパフォーマンスもまた、榎自身の暮らしと不可分であることの現われなのだろう。芸術と生活の有機的な統合を唱えるより前に、そもそも最初から両者を同一視していた榎こそ、アヴァンギャルドの名にふさわしいのではないか。
2009/04/12(日)(福住廉)
吉田重信「ヒカリノミチ」
会期:2009/04/07~2009/04/19
立体ギャラリー射手座[京都府]
揺らめく極彩色と画面中央部を踊るように動き回る光が印象的な吉田重信の映像作品。幽玄かつ神秘的で、ある種のトリップ感さえ体感させるその世界に、時間を忘れて見入ってしまった。てっきりコンピューターで加工した映像だと思ったが、実はビデオカメラのレンズの前にプリズムを設置して、分光された光を撮っているのだとか。本作は海面を反射する太陽光を撮ったもので、一切加工はされていない。シンプルだけど素晴らしいアイデアだ。
2009/04/07(火)(小吹隆文)
イセザキ映像祭2009
会期:2009/03/13~2009/03/22
ザキ座ほか[神奈川県]
横浜の伊勢佐木町商店街の店舗や路上をミニシアターに見立てた映像祭。映像作家の本田孝義をコーディネーターとして、「東京ビデオフェスティバル傑作選」「カフェ放送てれれin伊勢佐木」「かながわニュース上映会」の三つのプログラムのもと、100本以上の映像作品が上映された。今回見たのは、1978年以来、アマチュアの映像表現を大々的に取り扱い、今年はじめに惜しまれつつ終了した「東京ビデオフェスティバル」の傑作選から11本。なかでも、老老介護の現場を淡々と描いた内田リツ子による『共に行く道』が、とてつもなくすばらしい。来る日も来る日も、旦那の介護に追われる家庭内の模様をレポートするような映像は、老老介護の過酷な現場の実情を正確に伝えるとともに、それらがユーモアをまじえて物語化されているせいか、作家にとってはみずからを相対化する表現にもなっているように見受けられた。ふだんは物静かなくせに、デイケアサービスの施設では大声でカラオケを披露する旦那にたいする愛憎半ばする複雑な心境は、老老介護という特殊な現場を越えた広がりを持つにちがいない。会場には数人しか来場していなかったが、もっと大きな会場でたくさんの人たちに見てほしい。近年稀に見る傑作である。
2009/03/21(土)(福住廉)
『ゼラチンシルバーLOVE』
会期:2009/03/07~2009/04/10
東京都写真美術館 1Fホール他[東京都他]
写真家として長いキャリアを持ち、ピラミッドフィルムの主宰者としてコマーシャル・フィルムも多数製作してきた操上和美の映画監督第一作。主演の宮沢りえの妊娠騒ぎなどもあって話題の映画を、東京都写真美術館のホールで観てきた。
冒頭からいかにも操上らしいクローズアップの質感描写が続く。重厚で切れ味の鋭さをあわせ持つ映像の魅力は全篇に貫かれていて、その点では安心して観ていられる。ストーリーもとても古典的でストイック。見続ける男(カメラマン=永瀬正敏)と見られる女(殺し屋=宮沢りえ)が、永遠に交わらない平行線のような関係を延々と続け、その間に彼女の姿を盗撮した映像に対する男の欲望が異様に昂進していくと言う筋立ては、あまり新鮮さはないがきちんと練り上げられている。ただ映画の後半になるに従って、男と女が実際にクロスしはじめると、緊密な構成に破綻が生じてくるように感じる。「触れることなく、言葉も交わさずに、愛を昇華する──」というのが映画のチラシの謳い文句なのだが、男も女もかなり饒舌に、互いに言葉をかける場面があるのだ。しかもこれは脚本家の責任だと思うが、セリフが堅苦しく、聞いていてちょっと白けてしまう。
もう一つ、永瀬正敏が自分の作品として撮影している写真がどうもぴんとこない。「なぜこんな黴みたいに気持ちの悪い写真を撮っているのか?」と問われて、「僕はこれが美しいと思って撮っているのです」と答える場面があるが、普通のカメラマンならこんな歯が浮くようなことは絶対にいわないだろう。これまた脚本家が勝手に想像して書いたセリフだと思うが、できれば監督としてチェックしてほしかった。いい脚本家と組めば、もっといい映画ができそう。次作はぜひ笑える映画にしてほしい。今回はコメディアンとして優れた素質を持つ永瀬正敏が熱演しているにもかかわらず、笑いが不完全燃焼。
2009/03/14(土)(飯沢耕太郎)