artscapeレビュー
映像に関するレビュー/プレビュー
ハン・ジェリム『非常宣言』、パク・デミン『パーフェクト・ドライバー』ほか韓国映画・ドラマ
あまり日本では話題にならなかったが、航空パニック×バイオテロのジャンルを掛け合わせたハン・ジェリム監督の映画『非常宣言』(2022)は、ハリウッド映画と比べてまったく遜色ない傑作だった。すでに航空パニックものはさまざまな作品が存在するが、ここまで深い絶望を感じさせるのは初めてであり、特に終盤において乗客が下すある決断は前例がなく、衝撃的だろう。難点をあげるとすれば、いまいちとらえどころがない犯人像か(仕かけたテロの行方を見届けない映画『機動警察パトレイバー the Movie』[1989]の帆場暎一みたい?)。だからこそ、その存在はサイコで不気味なのだけど。
同じく1月に封切りされた『パーフェクト・ドライバー」(2020)は、とにかくカッコいい。韓国映画はすでに幾つも女性アクションの傑作を生みだしているが、『ベイビー・ドライバー』(2017)+『グロリア』(1980)的に展開する本作品も仲間入りだろう。個人的にラストは三重に予想を裏切られた。『シュリ』(1999)を鑑賞したとき、韓国でこんなスリリングなスパイ・アクション映画がつくれるのかと驚いたが、もうそれが当たり前になっている。
建築に注目すると、集合住宅は実際に都市風景の中で林立しており、韓国の映像の得意分野だろう。昨年末に日本で公開されたマンション・ディザスター・パニック『奈落のマイホーム』(2021)は、突然、巨大な陥没穴が生じ、マンションが地下500mに転落していく。冒頭は群像紹介でややだれるが、落下が始まった後はありえない事態だけに、特撮技術の迫力が光る。そしてサバイバルのなかに笑いの要素もあり、ラストは感動も起こさせる奇跡の作品だった。韓国のドラマやNetflixのオリジナル映画では、『#生きている』(2020)や『Sweet Home─俺と世界の絶望─』(2020)など、集合住宅を舞台とするゾンビものの名作が続く。
ロッテワールドタワー ソウルスカイ展望台から撮影したマンション群
特筆すべきは、感染対策のために、外部から閉鎖されたロックダウン的な状況下の人間関係を嫌らしく表現した『ハピネス』(2021)である。これは途中で正気に返る近年の傾向を入れつつ(『CURED』[2017]など)、コロナ禍と共有する問題を接続させ、そこにマンション内格差のテーマを加え、極限状況における人間の怪物化を描く。もちろん、ウイルスが引き起こす症状よりも、利己的な人間の心の方が恐ろしい。
『非常宣言』公式サイト:https://klockworx-asia.com/hijyosengen/
『パーフェクト・ドライバー』公式サイト:https://perfectdriver-movie.com
2023/01/15(日)(五十嵐太郎)
NACT View 02 築地のはら ねずみっけ
会期:2023/01/12~2023/05/29
国立新美術館[東京都]
国立新美術館のパブリックスペースを会場に展開される「NACT View」の第二弾として、築地のはらの「ねずみっけ」が開催されている。乃木坂駅からの連絡通路やカフェ・スペースに映し出されるねずみのコミカルな動きをトリガーに、いつもとは違う美術館への動線が立ち現われる。
私が今回注目したのは、アニメーションを観る体験の拡張もさることながら、DMやポスターにスマートフォンをかざすARでの体験がもう一つの入り口になっている点だ。美術館外でもアクセスできる印刷物上でのAR体験と、美術館でのサイトスペシフィックな鑑賞体験を組み合わせることにより、美術館をめぐる動線が再配置されているように思えるのだ。こうした取り組みは、黒川紀章が設計した空間と来館者の関わりを緩やかに変え、美術館のパブリックスペースにおいて新たな関係を生み出しているのではないだろうか。
「NACT View 02 築地のはら ねずみっけ」(2023) 国立新美術館 展示風景[筆者撮影]
地下鉄乃木坂駅連絡通路 「NACT View 02 築地のはら ねずみっけ」(2023) 国立新美術館 展示風景[撮影:梅田健太]
1階エントランスロビー 「NACT View 02 築地のはら ねずみっけ」(2023) 国立新美術館 展示風景[撮影:梅田健太]
アーティストがARを取り入れる試みには、オラファー・エリアソンの「WUNDERKAMMER」(2020)やクリスト&ジャンヌ=クロードの「マスタバAR」(2020)など、すでにさまざまな前例がある。パンデミックの影響に呼応して、自宅鑑賞可能な作品や一過性の作品を記録し再生するアーカイブ的な側面などが注目を集めた。また、美術館や博物館が鑑賞ツールとしてXR(クロスリアリティ)を採用するなどの動きと並行して、スタートアップCuseum社が自宅での名画鑑賞を目的としたサービス「Museum From Home」(2020)を開始するなど、新規企業の参入という点でも話題となった。しかしながら、今回の展覧会では、技術的な面での新規性や話題性というよりもむしろ、生活のなかに浸透しつつあるインフラストラクチャ―を活用しながら、既存の空間を読み替え、来場者の空間に対する認識やアクセス性をずらしていくところに可能性を見出すことができる。築地による仮設的かつ行為遂行的なアプローチに、来場者の想像力が刺激されるのだ。
築地の作品には、今回の展示に限らず、ねずみのキャラクターが度々登場する。さまざまなコンテクストにおいて登場し、ときに大きく映し出されたり、二次元の画像のまま現実空間と重ね合わされるところなどに、現実の空間とのずれを読み取らせる面白さがある。私たちがねずみを見ているのか、ねずみに見返されているのか。飄々としたねずみの振る舞いを楽しみながら、日常のメディアとの付き合いについて考える機会となるだろう。
1階エントランスロビー 「NACT View 02 築地のはら ねずみっけ」(2023) 国立新美術館 展示風景[撮影:梅田健太]
公式サイト:https://www.nact.jp/2022/nactview-02/
2023/01/12(木)(伊村靖子)
江口智之×小寺創太「回顧展」
会期:2022/12/17~2022/12/28
GALLERY10[TOH][東京都]
アーティストの小寺創太がインタビューされ、アーティストの江口智之が編集した《Artist Inteview》(2022)がスクリーンに投影されている。この映像作品は白い部屋の縦型カーテンの傍らで撮影されている。椅子がぽつんと1脚だけ置いてあって、そこに小寺が入ってくるのが冒頭だ。インタビューのアイスブレイクのように小寺が身に着けている服についての質問から応答が始まるのだが、これが何度かカットされてカチンコが鳴って同じような質問とやりとりが繰り返される。正直、なぜカットが入ったかはわからなかった。このことから、このインタビューにはおよそ台本があるか、質問事項だけが先に決まっていて小寺が返答を定めてきたかというように、作意の次元がいくつか見えてくる。
インタビュー映像は何度かカットされつなぎ合わされているが、前後の映像がホワイトアウトしたりクロスオーバーするようなディゾルブ編集が入ることはないから、映像にテンポをつけるような素振りはまったくない。自己紹介や展示に至った経緯、「いる派」とは何か、好きなアーティストや作品は何か。個人についてのことや展覧会に即したテンプレート的だが初見の観賞者にとっても入りやすい質問が配されていて、問答に拮抗はなく、小寺も衒いなくザクザクと答える。最後の「あなたにとってアートとは」という質問に小寺は「蔑称」である旨を説明して終わった。小寺は椅子から立ち上がり、映像のフレームから消えて、おのずと冒頭のシーンと同じ構図になって、作品はループする。ループした瞬間も同じ構図だが、少し外が明るい。映像は10分程度だが、撮影は数時間に渡っただろうかと推察できるようにつなげてあると言えるだろう。
GALLERY10のプライスリストにはいつも出展作品に併せた何かが商品化されている。今回の展示作品は非売品で、小寺にインタビューする権利と江口にインタビューされる権利が販売されていた。この双方へのインタビュー関連行為だけが販売されているさまは、展示作品である《Artist Inteview》の前述した映像としての成立ないし存在がサンプルで、なかったことにしてもいいと言っているようにも思えるし、映像の存在自体、あるいは、作品は手放さなさないものなので手放しませんと言っているようにも思える。発言や映像よりも、プライスリストが気になって仕方なかった。
なお、展覧会は無料で観覧可能でした。
展覧会情報(GALLERY10[TOH]Instagram):https://www.instagram.com/p/ClvdMv7yTcJ/
2022/12/28(水)(きりとりめでる)
湯田冴 個展「惑わせるもの When a meteorite crushed」
会期:2022/12/22~2022/12/29
PARA[東京都]
東京神保町のビルにある「PARA」で湯田冴の個展を見た。ループの短い映像がひとつに、壁に貼られた複数の写真、ハンドアウトで構成されたシンプルな展覧会である。ハンドアウトの番号区分で作品は(a)(b)(c)と三つに分類されていた。ざっとまとめてみよう。
展覧会メインビジュアル(『PARA』ウェブサイトより引用)
(a)2〜3万年前に落ちたという日本国内ではじめて発見された「御池山隕石クレーター」にまつわるものと、それを観光するためのオブジェや看板といった表象や、窪地や崖といった現場の写真。
(b)湯田が知人やSNSを通じて収集した尿路結石の写真。掌や綿の上で撮影された結石は、それぞれが受けた施術や撮影の仕方やプリントのサイズに左右されながら、砂にも月の欠片にも雪の結晶にも根付の華にも見える。
(c)一面の雪原や飛行機の窓から見える雲といった地球を循環する水の状態変容の様子が、ときに結石を模倣し、ときに隕石を想起させるように撮影された写真と映像。
(c)は、(a)と(b)の混交点と言える。
隕石から発生した人間が、子を産む。嬰児がときに石を産む。そして、その石は写真の天地がさかさまに展示されることで隕石になる。ハンドアウトの(b)のキャプションとして途中、以下が引用されていた。
「地球はまるごと隕石が集まってできたものです。それでは、私たちの身体も隕石でできているのでしょうか?」★
人間も工業製品も、都市もトーンやスケールを整えて同質的に撮ることで、写真なら万物を等しく並置できるのだと示した1920年代後半のドイツにおけるノイエ・フォト(新即物主義写真)と違い、湯田の場合、被写体に視覚的な統一感が与えられているわけでは決してない。とはいえ、身体-隕石という図式から唯物論的視点を本展が持つということは言えるだろう。
「これぞ身体なんてものはない」と身体の物質性をときに述べてきた哲学者のジャン=リュック・ナンシーは、covid-19が世界中の人々を共通の状況に置いたが、その人々の予防能力には経済格差が介在し、議論の土台となることがないということが土台だと論じた。これらのことを念頭に、湯田が結石と隕石を双方に起点とした視点をもちつつ、どこまでが物質で、どこまでが身体かなんて言いようがない、あるいは、身体を無限に拡散させたことをどう捉えるべきかと考えさせられる。
ここでわたしが暫定的にもった問いは以下のように言い換えられる。(結石/隕石を、あるいは)身体を非当事者性をもっていま捉えることは、どのような意味をもつことなのか。なぜ尿路結石なのか。御池山隕石による巨大災害に直面した人間は(おそらくもう)誰もいないし、社会的構築物としての性差に心身が焼かれる世界である一方で、生物学的性差もまた結石を筆頭に心身へ激烈な痛みを不均衡に到来させるものとして対置されるのだろうか。
とはいえその傍ら、湯田がハンドアウトの作品群(a)のキャプションとして掲載している結石の提供者たちから得たインタビューはいずれも、その治療法が身体を物質として扱うも空回りするエピソードばかりだ。体外から衝撃波を与え結石を破砕する治療方法のうち、水浴でその衝撃波を和らげる施術ではうまく結石が砕けなかったり、体内で石を溶かす生薬やクエン酸が効かなかったりする。結石患者が背中を叩かれたときに身体に響くのが定石だとしても、当人がそれを感覚するかはわからない。それに加えて、ハンドアウトには、作品群(c)のキャプションとして以下のような戯曲が記載されている。
いし「腎臓を摘出してしまったほうが早いですよ」
「腎臓はふたつありますから」
手 「ではどうして腎臓は二対なのですか」
いし「多分、ひとつがだめになってもよいようにです」
非当事者性への問いが、「いし」だって「手」だって「山」だって演じる/描く自由があると接続される。隕石が身体をつくり、身体の中で結石することと並列して、何になったって良いと。ただし、戯曲であること、書籍から引用すること、インタビューからの抜粋であること、それぞれの情報の書き方、フィクションの範疇や程度を示す手続きがあることを湯田のハンドアウトは前提条件としている。
ナンシーが土台のなさを論じた他方で湯田は、自作における身体-隕石というアナロジーを組み立て、そのなかで、身体は物質でもあるが、完全なイコールでは決してないことや、痛みを感知する主体にとって身体のとりとめのなさを受けて身体を諸物質から特権化することなど、情報を共有するうえで土台となる形式の存在ありきで展示をつくっている。
尿路結石のできやすさは一説によると、60歳までは生物学的性差が認められるが、それ以降での違いは認められないし、低重力下での宇宙生活もまた尿路結石のリスクを上昇させるという。身体自体の経年変化や、どのような環境に身を置くことになるか、個人ないし人類史的な変化によって、誰にでもその痛みの当事者となりうる未然の可能性がある。尿路結石にまつわる歴史は文明の歴史とほぼ並行して始まり、1901年にはイギリスの考古学者が5000年ほど前のミイラから結石そのものを発見している。わたしたちの共有財産はウイルスだけではない。そのずっと以前からすでに結石の前で平等だったのだ。結石を排出したことが(いまは)ない湯田が本展への結石提供者にインタビューで「結石の夢を見ることはありますか」という問いに「あります」と答えが返されるとき、わたしたちの誰もが「あります」と返す潜在的な可能性があるということを、もし隕石が落ちたら/落ちてこなくても理解しよう。実際のところ、空から物質が落ちて窪地が生まれるという事象は隕石に限らない。これがたったいまの本作のリアリティである。
本展は1,000円で鑑賞可能でした。
★──会場ハンドアウトに記載されたこの言葉は以下からの引用であると示されている。
『尾池山隕石クレーターって何だろう?』(飯田市美術博物館、2011、p.74)
参考文献:
・Ahmet Tefekli, Fatin Cezayirli, “The History of Urinary Stones: In Parallel with Civilization” (The Scientific World Journal, 2013)2023.1.5閲覧(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3856162/pdf/TSWJ2013-423964.pdf)
・森川満+奥山光彦+吉原秀樹+山口聡+八竹直「尿路結石症における男女差に関する検討」(『日泌尿会誌』89巻5号、1998、pp.538-545)2023.1.5閲覧(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpnjurol1989/89/5/89_5_538/_pdf)
公式サイト:https://paratheater.com/8b8956943aaa44a18b775192da5e70d5
2022/12/28(水)(きりとりめでる)
「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」「クリスチャン・ディオール 夢のクチュリエ」
東京都現代美術館[東京]
夕方に東京都現代美術館に到着したため、「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」展は、映像作品をフルに鑑賞できず、その内容についてはあまりコメントできない(モダニズムの集合住宅をめぐる社会的な問題を扱う作品は興味深いものだった)。これは鑑賞に時間を要する映像系の展示の悩ましいところだが、会期中に再入場できるウェルカムバック券が出るようになっていた。感心したのは、映像を見せるための会場デザインがとても良かったこと。映像がメインになると、しばしば暗室が並んだり、空間がなくなってしまうこともあるが、ここでは相互に浸透する魅力的な空間が出現していた。特にデザイナーは明記されず、展覧会のチラシでは「これまでの代表的な5作品を、複数の視点と声が交差する舞台のような、ひとつのゆるやかなインスタレーションとして展示します」と書かれていたように、会場の構成も作家によるものだ。
「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」展 展示風景
「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」展 展示風景
「ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台」展 展示風景
パリ、上海、ロンドン、ニューヨークなど世界巡回した「クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ」展は、館外の企画なのに、なんで会期が半年もあるのかと実は訝しがったが、実際に展示を鑑賞し、これだけ作り込んだものなら、それに見合う価値をもつと思わされた。一昨年は福岡で天神ビジネスセンターを完成させ、今年竣工する予定の虎ノ門ヒルズ ステーションタワーにも関わる、OMAの重松象平が、展覧会の空間デザインを担当しており、企画展とは思えない、常設並みの仕上がりになっていたからである。精度が高い鏡面を多用しつつ、複数のパターンの空間が展開しており、端的にいって、ものすごい費用がかかっているはずだ。近年は、安ければ良い、コスパばかりが求められるが、それだけがデザインの可能性ではない。ディオールに興味がなくとも、良い意味で桁違いにお金をかけると、正しく、ここまで徹底したディスプレイが可能になるのを体験するだけでも訪れるべき展覧会である。天井まで可燃に見えるような造作物で覆い、消防法など、どうやってクリアしたのだろうと思うエリアも存在した。(もちろん、東京オリンピック2020の開会式のように、大金をかけたはずなのに、ダメだったものは批判されるべきだ)高木由利子が撮影した写真も魅力的である。ゴージャスな夢の世界を演出する展覧会が、ディオールのブランド・イメージを上げることを目的としているなら、完全な成功と言えるだろう。
「クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ」展 展示風景
「クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ」展 展示風景
「クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ」展 展示風景
「クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ」展 展示風景
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台
会期:2022年11月12日(土)〜2023年2月19日(日)
クリスチャン・ディオール 夢のクチュリエ
会期:2022年12月21日(水)~2023年5月28日(日)
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2022/12/25(日)(五十嵐太郎)