2020年10月15日号
次回11月2日更新予定

artscapeレビュー

映像に関するレビュー/プレビュー

Oh! マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー

会期:2019/01/12~2019/03/17

兵庫県立美術館[兵庫県]

関西へ。まずは神戸の兵庫県美でやってる「Oh! マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」へ。一見おチャラけたお祭り騒ぎのタイトルなので、てっきりウルトラマンとかアンパンマンが並ぶサブカル系の資料展かと思ったら、そんなお子さま向けではなく(サブカルもあるけど)、むしろ戦後の日本で美術がいかに政治や社会と向き合ったかを問うきわめてマジメな、そしてずいぶん踏み込んだ展覧会だった。タイトルの「Oh! マツリ☆ゴト」には「お祭り」と「政(まつりごと)」が重ねられ、その主役であるヒーローとピーポー(ピープル)が時代によりいかに描かれたかが概観されている。

展示は「集団行為」「奇妙な姿」「特別な場所」「戦争」「日常生活」の5章に分かれ、その合間に月光仮面、ゴジラ、ウルトラマンというトピックスと、会田誠、石川竜一、しりあがり寿、柳瀬安里による同展のための新作が挟まれる構成で、とくに時代順に並んでいるわけではない。最初の章で印象的だったのは、戦前の阿部合成による《見送る人々》と、戦後の内田巌による《歌声よ起これ(文化を守る人々)》だ。同展にはこうした群像表現がたくさん登場するが、この2点は、前者の人々が左を向き日の丸を振って熱狂しているのに対し、後者の人々は右向きで赤旗を立てて静かに見上げるという対照的な構図。この2点に描かれたピーポーは一見正反対だが、同じ日本人の10年後なのだ。画面の隅に1人だけ正面(こちら)を向いて覚めた人がいるのが救いというか、不気味というか。

戦争画も出ている。藤田嗣治の《十二月八日の真珠湾》、鶴田吾郎の《神兵 パレンバンに降下す》、川端龍子の《越後(山本五十六元帥)》、蕗谷虹児の《天兵神助》などで、記録画、肖像画、神話画とバラエティに富み、戦争画もひとつでないことがわかる。戦争関連でいうと、会田誠の新作《MONUMENT FOR NOTHING V 〜にほんのまつり〜》は圧巻だった。ねぶた祭で使われるハリボテの手法で、巨大な戦没兵士の亡霊が国会議事堂らしき墓碑(?)に触れているシーンを表わしたもので、これがいちばん「Oh! マツリ☆ゴト」というタイトルの両義性と矛盾を表現しているように思えた。

ところで、タイトルは「昭和・平成のヒーロー&ピーポー」と続くが、この昭和+平成のおよそ90年間のうち後半の作品が少なく、とくに1970-80年代(昭和でいうと最後の約20年間)がすっぽり抜け落ちていることに気づく。これは図式的にいえば、70年の安保闘争の敗北以来アートがモダニズムの終焉とポストモダニズムの台頭に振り回され、政治や社会から離れてしまったせいだろう。この間、東西冷戦下でつかの間の平和が保たれていたものの、それがアメリカの巨大な核の傘の下であったことを忘れていた、いや忘れようとしていたわけで、その事実を否応なく突きつけたのが1989-90年の昭和の終わりであり、ベルリンの壁の崩壊であり、冷戦構造の終焉にほかならない。その後90年代以降に登場する柳幸典や会田誠やChim↑Pomらが同展に選ばれているのは、いずれも政治や社会に再び回帰しているからだ。

2019/03/15(金)(村田真)

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『移動都市/モータルエンジン』

[全国]

フィリップ・リーブのSF小説を原作とし、「ホビット」のシリーズで知られるピータージャクソンが製作を担当した「移動都市/モータルエンジン」は、「インポッシブル・アーキテクチャー」展が面白かった人におすすめの映画だった。都市が都市を捕食するという設定は、一体何を意味するのかと訝しがったが、驚くべきことに文字通り、見たことがない場面が展開される。すなわち、いきなり最大の見せ場でもある冒頭のシーンが示したように、移動する巨大都市が小さな街を追いつめ、大きな開口部を広げて、相手が所有している資源もろとも内部にとりこむ。具体的には、頂部にセントポール大聖堂を載せた「ロンドン」が、ハーフティンバーの建物をのせた街を追いかける。もっとも、ここは宗教施設ではなく、再び世界の覇権を握るための秘密の場所となり、映画の終盤はここが重要な舞台となった。また最初は不審人物を追いかけていたはずが、「ロンドン」の外に放りだされた主人公=トムの視点で映像が進むことで、巨大都市の隠れたメカの機構や外の世界の様子も描かれる。ゆえに、機械仕掛けの都市の視覚的な快楽に酔いしれることができる作品だ。

60分戦争によって一度世界が滅びたポスト・カタストロフの世界では、いったん技術が退化し、スチーム・パンクの設定のように、異なる発展を遂げたため、都市が移動するのが当たり前になっている。いや正確に言うと、少数派として地表に定住する非移動都市。したがって、アーキグラムのプロジェクトではないが、いろんなウォーキング・シティが登場し、空想建築のオンパレードが目を楽しませる。例えば、虫のように地をはう建築、空に浮く乗物や空中都市。なお、キャラクターとしては、じつは人間よりも、異常な執念でヘスター・ショウを追跡する「復活者(人造人間)」のシュライクが目立つ。破壊の限りを尽くす非情な怪物的相貌ゆえに、それが抱えていた孤独や悲しみが深く突き刺さるからだ。

2019/03/05(火)(五十嵐太郎)

『ヨーゼフ・ボイスは挑発する』

ヨーゼフ・ボイスが来日してから35年、没してからも30年以上たつ。名前を聞く機会もめっきり減ったけど、アート・プロジェクトやソーシャリー・エンゲイジド・アートなどが喧伝される昨今、「社会彫刻」を掲げたボイスはもっと再評価されていい芸術家の筆頭に挙げられるだろう。この映画は残された写真や映像により、ボイスの生涯と思想を大まかにたどったドキュメンタリー。

第2次大戦中に搭乗した戦闘機が撃墜され、タタール人に救出されて体に脂肪を塗られ、フェルトにくるまれて九死に一生を得たとか、デュッセルドルフの美術学校の教授に収まったものの、定員を無視して学生を入れたため解雇されたとか、資本主義と対立し、アメリカのギャラリーから呼ばれたときには誰とも会わず、コヨーテと過ごしたとか、緑の党の立ち上げに参加したとか、おおよそのエピソードは80年代から知られていた。しかしそれをボイス自身の口から聞いたり、実際のパフォーマンスを映像で見るのは初めてのこと。余計な演出もなく、ただ既存の映像をつなぎ合わせ、合間に関係者へのインタビューをはさんだもので、キャロライン・ティスダルとかヨハネス・シュトゥットゲンとか懐かしい人物も出てくる。

ボイス自身の言葉も興味深い。いわく「笑いなしで革命ができる?」「芸術だけが革命的な力を持つ。芸術によって民主主義はいつか実現する」「撹乱は必要だ、人目を引くためにね」。ボイスはみずからの考えを広めるために道化役をいとわなかった点で、岡本太郎を思い出させる。しかし毀誉褒貶があったにしろ、晩年のボイスが栄光に包まれていたのに対し、岡本太郎の晩年が悲惨だったという明暗対比はいかんともしがたい。どうしてこんなに差がつくんだろう?
いろいろ考えさせられる映画だった。

2019/01/08(火)(村田真)

パッドマン 5億人の女性を救った男

会期:2018/12/07〜

渋谷シネクイントほか[全国]

パッドマンのパッドとは生理用ナプキンのこと。本作はインドで安価な生理用ナプキンを普及させた男の物語である。生理用品というテーマに対し、日本でも公に語らうことにはやや恥ずかしさが伴なうが、しかし素直に良い映画だった。私はことにソーシャルデザインの面で着目した。本作は実話をもとにしたフィクションである。主人公のモデルとなったのは社会起業家のアルナーチャラム・ムルガナンダムで、その功績は海外にも知れわたり、2014年には米国『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた人物だという。

物語は2001年、インドの小さな村に住むある夫婦の結婚式から始まる。主人公の男は妻を持って初めて、インドの女性たちの生理の実態を知る。生理中の女性は「穢れ」とされ、家の外廊下で寝起きして過ごしていた(これは昔の日本でも似たような状況だったのではないかと思うが……)。なかでも男がショックを受けたのは、妻が汚いボロ布をあてがっていたことである。なぜならインドでは市販の生理用ナプキンが非常に高価で、貧しい家庭では日常使いできる値段ではなかったからだ。しかし汚いボロ布を使うことで身体に雑菌が入り、病気や不妊を招く危険があると知り、男は妻のために奮起する。清潔で安価な生理用ナプキンづくりへの困難な旅はここから始まった。

「パッドマン 5億人の女性を救った男」[配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]

何しろインドで生理はタブー視されていたため、男性が生理用品をつくるというだけで、周囲からは奇異な目で見られ、女性たちからは変態扱いされ、ついには家庭崩壊を招く。それでも男は諦めず信念を持ち続け、最終的に行き着いたのが、最適な材料のセルロース・ファイバーを入手することと、大型のナプキン製造機からヒントを得て、小型のナプキン製造機を開発することだった。セルロース・ファイバーを分解し、圧縮し、包み、殺菌する。この4工程を分割することで、低コストで製造機をつくることに成功。市販の生理用ナプキンが1袋(10枚入り前後)55ルピーだったのに対し、1枚2ルピーで販売可能となったため、約半値である。さらに特筆すべきは、男が優秀なビジネスパートナーを得て、この製造機をインドの貧しい女性たちの自立支援に役立てたことだ。女性たちは銀行から融資を受け、その資金で製造機を購入し、生理用ナプキンを製造販売し収益を得て、その一部を返済にあてる。この仕組みづくりを考案し実現させたことがソーシャルデザインであると思った。まさにSDGsに沿ったビジネスモデルである。とはいえ本作は決して堅苦しい映画ではない。全体に明るく楽しく、インド映画ならではのミュージカルシーンも盛り込まれていて、良質なエンターテイメントとしても楽しめる。

「パッドマン 5億人の女性を救った男」[配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]

公式サイト:http://www.padman.jp/site/

2018/12/09(杉江あこ)

林勇気「遠くを見る方法と平行する時間の流れ」

会期:2018/11/23~2018/12/07

FLAG studio[大阪府]

同時期にギャラリーほそかわで開催された個展「times」とともに、「デジタルデータのアーカイブ」に焦点を当てた個展。映像作家の林勇気は、デュッセルドルフにあるimai – inter media art instituteで映像作品のアーカイブについての調査を2ヶ月間行なった。その経験を元に、「映像作品の保存形式(の複数性)」と「時間軸」という観点から、新作が発表された。

メインスクリーンに映し出された《trajectory - timelines》は、無数のカラフルな色の帯がゆっくりと軌跡を描きながら落下し、氷柱や鍾乳石の形成を極端に時間を速めて眺めているような、あるいは流れる滝をスローモーションで見ているような有機的な印象を与える。だが、これらの色の帯の1本1本は、インターネット上の著作権フリーの動画を素材に制作されており、設定した範囲内に小さく圧縮したものを、軌跡を残しながら上から下に移動させている。近づくと、コマ同士の切れ目が見える場合もあり、「連続した時間の流れ」が文字通り可視化されている。また、素材となった著作権フリーの動画のうち、約100本はアーカイブ化され、2台のPCモニターで自由に検索して閲覧できる。



林勇気《trajectory - timelines》 FLAG studioでの展示風景 [撮影:麥生田兵吾]

一方、《trajectory - timelines》は、別の問題提起も孕んでいる。メインスクリーンの手前のテーブル上には、2種類の紙資料が置かれている。ひとつは、作品の購入者と制作者の林との間で交わされる「作品証明書・利用契約書」であり、タイトルや制作年、時間の長さに加え、保存メディア、解像度、ビデオフォーマットとコーデックといった基本情報、購入者が所有するマスターデータと林が所有するアーティストプルーフが存在すること、展示の際に守るべき使用規定(機材や動作環境など)が細かく記されている。またもうひとつは、映像作品のスクリーンショットをプリントアウトしたものだ。一見どれも同じに見えるが、キャプションをよく見ると、ビデオフォーマット(MP4/MOV)、データ容量のサイズ、アスペクト比、ビデオコーデック、ビットレートなどの数値の違いが表記されている。加えて、防湿庫に保管されたハードディスクも保存の規定書とともに「展示」されており、管理湿度、3ヶ月ごとにハードディスクを通電させること、3年ごとにデータの入れ替えを行なうこと、などの旨が記されている。



FLAG studioでの展示風景 [撮影:麥生田兵吾]

このようにデジタルデータの映像には複数の形式があり、その保存や再生は物理的なハードディスクに依存せざるを得ない。また、古いデータ形式は、新しい動作環境では見られなくなる可能性があり、マスターデータを残しつつ、常に複数の保存形式を確保する必要がある。個展タイトルの「遠くを見る方法と平行する時間の流れ」は、まさにこの事態を詩的な言い回しで言い当てている。それはまた、「オリジナル」「固有性」といった近代的な価値基準を、「複製・コピー」という従来的な観点からではなく、「データの保存形式の複数性」というデジタルデータに内在する条件から問い直す。作品を未来へと延命させるための「データの保存形式」が差異を生み出すのであり、それらは共通項とズレを孕みながら、分岐していく未来をつくり出すのだ。

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林勇気「times」|高嶋慈:artscapeレビュー

2018/12/01(土)(高嶋慈)

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