artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術
会期:2017/03/14~2017/05/21
東京国立近代美術館[東京都]
長次郎が始めた樂茶碗の系譜を400年以上にわたってたどる展覧会だ。前半のパートが初代から14代の歴史、そして後半が15代の樂吉左衞門による作品を紹介する。日本の建築家の系譜も、このようにお家芸をたどれるが、近世から現代までの長いスパンを通じて、特定の技術と表現に関する伝統と変化を確認できるのは興味深い。個人的には、3代の道入や14代の覚入が挑戦した変革が面白い。
2017/05/21(日)(五十嵐太郎)
大英自然史博物館展
会期:2017/03/18~2017/06/11
国立科学博物館[東京都]
ロンドンの自然史博物館はぼくの好きなミュージアムのひとつ。動植物の装飾で飾られたロマネスク様式の建物といい、ディプロドクスの骨格標本が鎮座する中央ホールといい、昔ながらの古きよき博物館の面影をとどめているからだ。んが、今回の展覧会では残念ながら、そうした博物館の全盛期ともいうべき19世紀の香りが伝わってこない。出品は目玉の始祖鳥の化石をはじめ、さまざまな動植物の標本、オーデュボンの鳥類図譜、ベスビオ火山から採集した岩石、ダーウィンの『種の起原』手稿、日本への探検で発見された隕石など。それらが学者単位、探検単位で分類・展示されているのだが、ちっとも胸が躍らないのだ。それはおそらく出品物のせいではなく、会場が地球館と呼ばれるモダンな建物の貧相な地下空間だからではないか。ラスコーの洞窟壁画展なら地下でもいい、というより地下のがいいが、今回はそうはいかない。どうせなら、本家にはかなわないものの、築80年以上を誇るクラシックな日本館を会場にしてほしかった。
2017/05/12(金)(村田真)
広島平和記念資料館
殿敷展を見たら寄らないわけにはいかないだろう。タクシーを飛ばして平和記念資料館へ……と思ったら、今日はフラワーフェスティバルで平和大通りは通行止め。しかたなく遠回りして原爆ドーム側から行く。連休も終盤で、おまけに快晴でフラワーフェスも開かれているため、平和記念公園はけっこうな人出。資料館は本館が改修工事のため閉鎖中で、リニューアルされた東館に入る。新たに導入された広島への爆弾投下の映像が圧巻。上から広島市街の俯瞰図が映し出され、そこに爆撃機が飛来して爆弾を投とすのだが、これってどこかで見覚えがあるなと思ったら、キューブリックの『博士の異常な愛情』で将校が爆弾にまたがったまま落下していくシーンとよく似ているではないか! もちろんリトルボーイにはだれも乗ってないけどね。で、空中で核爆発を起こして市内が焼き尽くされるのを見下ろすという、かなり思い切った映像だ。これって米軍の視点? それとも神の視点?
2017/05/05(金)(村田真)
30周年記念 かいけつゾロリ大冒険展
会期:2017/04/26~2017/05/08
日本橋高島屋8階ホール[東京都]
かーちゃんの命により中2病の息子を科学館へ連れて行く予定が、地下鉄のホームで「かいけつゾロリ」のポスターを見つけてしまい、急遽行き先を変更。「ゾロリ」のシリーズは息子が小さいころ何冊か読み聞かせたので、とーちゃんも覚えている。とーちゃんは本当はテレビの「怪傑ゾロ」の世代だからな。あ、作者の原ゆたかも世代が近いからきっと「怪傑ゾロ」を見ていたに違いない。それにしても「ゾロリ」のシリーズ、子どもが思いつきそうなギャグやストーリー展開だなあと思っていたが、それを大人になっても連発できるというのはやはり才能というしかない。驚くのは、このシリーズ、書き始めて30年、計60冊も出ているという事実だ。親子2代にわたってお世話になった家族も多いだろう。年に2冊のペースで出し続けるというのは、それだけ売れている証拠。どんだけ儲けたんだ? とーちゃんはそっちのほうが気になる。展示は時代順に1冊ずつ、原画やストーリーにまつわるオブジェなどを並べたもの。さすがに60冊もあると見てるだけで疲れる。
2017/05/04(木)(村田真)
誕生 日本国憲法
会期:2017/04/08~2017/05/07
国立公文書館[東京都]
今年は1947年5月3日に施行された日本国憲法の70周年。本展は、日本国憲法の原本のほか、マッカーサーによる憲法草案、憲法の作成で使用された英語辞典、国務大臣への任命書など、日本国憲法にかかわる関係資料を展示したもの。理念としての存在を感知することはあっても、日頃その存在を具体的にイメージする機会に乏しい者にとっては、それを目の当たりにすることのできる絶好の機会であった。
とりわけ昨今、これを敵視する一部の政治家によって、日本国憲法はかつてないほど大きな危機に瀕していると言わねばならない。ましてや政治の現場において虚言と虚妄の身ぶりが言葉を次々と破壊している現状にあっては、原理的には言葉の集積にすぎない憲法は、思いのほか脆くも儚い。それが政治権力の野放図な暴走を戒めるための「構成的権力」であったとしても、言葉で構成されている以上、政治権力の横暴を実質的に拘束することは極めて難しいと言わざるをえない。
だからこそ必要なのは、憲法の日常への下降である。それを、世界に類例を見ないコンセプチュアル・アートのひとつとして位置づけることもできなくはない。だが芸術という価値を付与するだけでは、他の芸術的価値の多くがそうであるように、たちまち日常のなかで雲散霧消してしまいかねない。私たちの日常が憲法によって守られているというより、それが憲法によって構成されているという事実を、つねに召喚する仕掛けが必要なのではないか。本展は、そのための機会として極めて重要である。多くの現代人にとっては明文化された憲法を目にする機会じたいが乏しいからだ。
本展で展示されていたように、昭和天皇は日本国憲法公布の日(1946年11月3日)、貴族院本会議場で次のような勅語を下した。「本日、日本國憲法を公布せしめた。この憲法は、帝國憲法を全面的に改正したものであつて、國家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された國民の總意によつて確定されたのである。即ち、日本國民は、みづから進んで戰争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が實現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて國政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。朕は、國民と共に、全力をあげて相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化國家を建設するやうに努めたいと思ふ」。
今も昔も、美術や芸術に携わる者が政治を忌避することは事実だとしても、その美術や芸術そのものが、昭和天皇が宣言した「文化国家」の一部である以上、少なくともそれらが憲法と無縁であることは到底ありえない。日本国憲法を唾棄する者ですら、よもや昭和天皇の言葉を破壊することまではできまい。これらの言葉は私たちの耳にいつまでもこだまするだろう。
2017/04/23(日)(福住廉)