artscapeレビュー
その他のジャンルに関するレビュー/プレビュー
もにゅキャラ考
会期:2017/07/17
首都大学東京秋葉原サテライトキャンパス[東京都]
「もにゅキャラ」とは、モニュメントと化したアニメやマンガのキャラクターのこと。「鉄腕アトム」や「火の鳥」「メーテル」「ラムちゃん」「両津勘吉」など、さまざまなもにゅキャラが、ここ20年あまりのあいだ全国の公共空間に急速に設置されつつある。『美術手帖』元編集長で首都大学東京准教授の楠見清と、マンガ解説者の南信長は、全国のもにゅキャラを調査し、このほど『もにゅキャラ巡礼』(扶桑社、2017)を上梓した。楠見によって企画されたこのシンポジウムは、同大学の大学院生による研究報告をはじめ、「ケツバットガール」や「美少女図鑑」で知られるフォトプロデューサーでディレクターの西原伸也と筆者による基調講演、そして来場者をまじえたディスカッションを行なったものだ。
もにゅキャラの最大の特徴は、2次元のキャラクターを3次元のモニュメントに変換する点にある。そうした次元変換自体は、この国の芸術史あるいは芸能史を紐解けば一目瞭然であるように、さして珍しいわけではない。だが、もにゅキャラが謎めいているのは、その次元変換を、例えばコスプレのように主体的に身体化させるのではなく、ブロンズ像や石像、あるいはFRP像として客体的に造形化するからだ。謎というのは、もにゅキャラがあらゆる世代にとって親しみのあるキャラクターに基づいていることは事実だとしても、それらをわざわざ銅像に仕立て上げることの必然性がほとんど見受けられないことを意味している。コスプレであれば、衣裳とメイクによってキャラクターになりきるという点に個人的で主観的な欲望を投影しうるため、次元変換に合理的な理由を認めることは十分にできよう。しかし、もにゅキャラの場合、次元変換の背景にそのような享楽性を見出すことはできない。多くのモニュメントがそうであるように、歴史を超越する永遠性が体現されていることは理解できるにしても、なぜ、あえて平面上に描写されたキャラクターを立体造形化するのかは理解に苦しむ。そのキャラクターのファンですら、その疑問は禁じえないのではないか。現代美術の抽象彫刻であれば街の風景の一部として見過ごすことができるし、裸体彫刻であれば人体を再現したという揺るぎない理由がそのような謎を端から寄せつけないだろう。誰もが知るキャラクターであるがゆえに、それらを立体造形化していることの不思議さがよりいっそう募るのである。
西原が仕掛けたケツバットガールは、そのようなもにゅキャラの謎に対する、ひとつの創造的な回答であるように思われる。舞台は新潟市の古町通5番町商店街。この一角に設置された『ドカベン』の山田太郎像は、バッターボックスでバットを力強くスイングしているが、弓なりにしなったバットがあたかも臀部を打ち叩いているかのようなポーズで写真に収まる女子たちのことをケツバットガールと言う。むろん、ここにはかつての体育会系の伝統とされたケツバットという体罰をあえて自演してみせる自虐的な批評性がある。けれども、それ以上に重要なのは、ケツバットガールという西原によって開発された形式が、もにゅキャラという謎めいた銅像に新たな意味を付与しているという点である。ケツバットガールがなければ、山田太郎像は『ドカベン』のファンにとっての聖地にはなっていたかもしれないが、それ以上の意味を見出すことはできなかったに違いない。銅像という古めかしいメディウムは、山田太郎というキャラクターの名前以上の意味をことごとくはねつけるからだ。逆に言えば、モニュメントの永遠性が担保されるのは、銅像が銅像であるというトートロジー以外の意味を受けつけないからではなかったか。だからこそ、多くのモニュメントは認識されることはあっても、とりわけ愛着をもたれることはなく、どちらかと言えば風景の一部として放置されているのである。ケツバットガールは、そのような銅像の単一のイメージに全力で対抗することによって、それを複数のイメージに分裂させる。無味乾燥とした硬い銅像を柔らかく揉みほぐし、一時的に我有化することで新たな意味を生成していると言ってもいい。これほど愛されたもにゅキャラがあっただろうか。
とはいえ、地元住民に愛されるもにゅキャラがないわけではない。楠見と南によれば、神楽坂商店街のコボちゃん像は服を着せられているし(同書、pp.179-182)、鳥取の境港市の水木しげるロードに設置されたねずみ男像は、明らかに仏像ではないにもかかわらず、撫で仏のように撫でられているため鼻の下と膝頭がツルツルに磨き上げられているという(同書、p.117)。このように、もにゅキャラの作者はもちろん、マンガの原作者でさえ想定してなかった愛着の持たれ方は、あるいはもにゅキャラの謎を解き明かす、ひとつの鍵になりうるのかもしれない。もにゅキャラに限らず、この国のありとあらゆる造形の歴史を振り返ってみればわかるように、造形を制作する側というより、造形を受容する側に、民間信仰に似た精神性を無意識のうちに作動させてしまう論理と力学が確かに認められるからだ。私たちは愛着のあるイメージを造形化することによって、その愛情の投影をより直接的かつ確実にしながら、同時に、救いや祈りの対象にもしてきたのではなかったか。すべてとは言わないにせよ、もにゅキャラはそのような無意識の欲望の延長線上に現われた現象と言えるかもしれない。
しかし、仮にそうだとしても、もにゅキャラの謎は依然として深い。なぜならケツバットガールたちの方法は、いずれも写真というメディアに帰着しているからだ。もにゅキャラは2次元のキャラクターを3次元のモニュメントに置換したものだが、彼女たちは、いや、もにゅキャラに近接する者たちは誰であれ、もにゅキャラを再び写真という2次元に変換しているのである。だとすれば、もにゅキャラはいったいどこにいるのだろうか。
2017/07/17(月)(福住廉)
NO PROBLEM展
会期:2017/06/20~2017/07/17
モノがつくられ、売られ、私たちの手元に届くまで、ふだん私たちがあまり意識しない工程に「検品」がある。製造時、工場出荷時、商品受け入れ時、さまざまな段階でモノは「検品」され、はじかれる。たいていのばあい私たちが手にするのは既にいくつかのふるいに掛けられた製品なので、そもそもふるいの存在を意識することは少ない。では、検品によってはじかれる製品はどのようなものなのか。機能的に不具合のある製品、安全性に問題のある製品、すなわち不良品や欠陥品がはじかれるのは当然だが、実際には良品と不良品の間にはグレーゾーンがあり、実用上は問題なくてもなんらかの基準によってはじかれる製品(B品)がある。この展覧会は検品におけるこうしたグレーゾーンに焦点を当て、モノの価値を問いかける、とても興味深い企画だ。
本展のきっかけは、インドの理化学ガラスメーカーBOROSIL社の製品VISION GLASS。その日本への輸入元である國府田商店株式会社/VISION GLASS JPが輸入後に検品した結果として日本の市場に出さなかった製品が多数生じている。わずかなキズやこすれた跡、出荷時にメーカー側でも検品しているので、そのほとんどは実用上の問題がない。実際インドでは普通に販売されており、クレームもほとんどないという。それにも関わらず、輸入された製品には日本の市場では販売が難しいと判断されるものがある。この違いは何に起因するのか。価値観の差なのか。誰が判断するのか。本展ではこれらの疑問を起点に、日本のメーカーや商店にものづくりの意識や検品の基準を取材し、それを実物とともに解説、紹介している。
展示全体を見ると、その基準は、素材や工程、製品の用途、ブランドによってさまざまだ。たとえば土人形は手作りゆえに一つひとつが異なっており、基本的に「B品」はないという(とはいえ、売れないと判断して廃棄されるものはある)。木工家具の業界では木の節が敬遠されるために、部品として利用できなかったり、塗装して利用されたりするが、同じものが海外の市場では問題なく受け入れられている。荒物を扱う商店では、製品のばらつき、サイズの不統一があってもすべて通常品として売っている。木工製品や革製品は自然素材であるがゆえに、工程に由来しない差異は買い手に受け入れて貰いたいと考える作り手もいる。基準が厳しいメーカーもあれば、それほどでもない店もある。基準がはっきりしているメーカーもあれば、オーナーの目が基準でマニュアル化できないでいる店もある。B品をアウトレットで販売するメーカーもあるが、VISION GLASS JPではB品を「NP品(No Problem品)」として、通常価格で販売する試みをしている。そこには作り手、売り手、買い手の、モノに対する多様な価値観を見ることができる。おそらく正解はない。ぶれのない高品質を売りにするブランドもあるし、手作りによる差異を楽しむ商品もある。相応に安ければ問題ないと考える買い手もいるだろう。対象が自然素材であっても、その特質を見極めることも技術のうちという考えかたもあろう。必要なことは買い手に対する丁寧な説明だ。
展示パネルでは取材先が生産・流通・販売のどの段階にあるのかが図示されていて、問題の所在が分かりやすい。チラシの黒ベタ部分には「ひっかき傷」「指跡」があり、一瞬「不良品」を手にしたのかと思ったが、数枚のチラシの同じ場所に傷があり、それがニスによる印刷で表現されたものであることに気づいてニヤリとする。欲を言えば、そこは量産化された「傷」ではなく、用紙にザラ紙を用いるなどして生じる「意図せざる不良品」でありたかったところだ。
なお、東京展は終了しているが、7月29日から8月13日まで、KIITO デザイン・クリエイティブセンター神戸(兵庫県)に巡回する。[新川徳彦]
2017/07/15(土)(SYNK)
バーンスタイン シアターピース「ミサ」
会期:2017/07/14~2017/07/15
フェスティバルホール[大阪府]
20世紀後半を代表する指揮者であり作曲家のレナード・バーンスタインが、1971年に発表した舞台作品「ミサ」。同作は、オーケストラ、歌手、混声合唱、児童合唱、ロックバンド、ブルースバンド、ダンサーなど総勢約200人が出演する大規模なもので、台本と歌詞はローマ・カトリックの「ミサ」典礼文に、スティーブ・シュウォーツとバーンスタインがテキストを付け加えている。作品のテーマは、宗教が衰退し不安と混沌が渦巻く社会のなかで、人は何に救いを求めるのか。バーンスタインはユダヤ系アメリカ人だが、作品が発表された当時のアメリカは、ベトナム戦争、公民権運動、カウンターカルチャー、要人の暗殺(ケネディ大統領、キング牧師、マルコムXなど)などにより混迷の極みにあった。同作がそうした時代背景を元につくられたのは間違いない。また、「ミサ」が日本で上演されるのは23年ぶりだが、主催者の脳裏には同作と現代の不安な国際情勢を重ね合わせる意図があったのではないか。舞台は2幕で構成されており、聖と俗が入り混じながら進行する。フィナーレは清浄かつ壮麗な合唱で、心の奥に突き刺さるような感動を覚えた。この大作を見事にさばき、素晴らしい舞台を作り上げた井上道義(総監督・指揮・演出)をはじめとするメンバーに敬意を表したい。なお、同作には美術家、倉重光則の作品が重要な場面で使用されており、筆者は彼の計らいで公演前日の通し稽古を拝見させていただいた。深く感謝する。
2017/07/13(木)(小吹隆文)
東京都復興記念館
東京都復興記念館[東京都]
今日はBankARTスクール生と両国界隈の美術館・博物館探訪。最初は復興記念館で待ち合わせたのに、暑いせいか集まりが悪い。ここは関東大震災(1923)の犠牲者を追悼する震災記念堂の附属施設として、震災の惨禍を伝える目的で1931年に建てられたもの。その後、震災記念堂は東京大空襲などの戦災の犠牲者も追悼するため東京都慰霊堂に改称、復興記念館も戦災関連の資料を追加した。設計は伊東忠太+佐野利器。慰霊堂も伊東忠太の設計で、どちらも軒下あたりにガーゴイルみたいなモンスターが装飾されている。入場無料。
まず1階の陳列室に入ると、震災の被害状況を示す写真や地図やデータが展示され、震災後の大火で焼け出された食器、服、眼鏡、硬貨(溶けて塊になっている)などの日用品が並ぶ。広島平和記念資料館の被爆遺品もすさまじいが、破壊力の違いはあれど高温で焼けたり溶けたりした姿は変わりない。2階へ上がると、中央に震災を描いた絵画や復興状況を伝える都市の模型などの陳列室があり、それを囲むように回廊が設けられ、資料やデータが展示されている。絵画は記念碑的な目的で制作されたのだろう、超大作が多い。作者は徳永柳洲のほか有島生馬もいる。ほぼ同時代の聖徳記念絵画館の壁画やこうした震災画が、後の戦争画の原点になっているのかもしれない。模型のほうは復興記念展や博覧会に出されたもので、背景画を組み合わせたジオラマもある。戦前の世相などもしのばれてとてもタメになった。
2017/07/08(土)(村田真)
誕生40周年 こえだちゃんの世界展
会期:2017/07/08~2017/09/03
八王子市夢美術館[東京都]
「こえだちゃんと木のおうち」は、1977年に玩具メーカーの株式会社タカラトミー(当時:株式会社タカラ)が発売したミニドールつきのハウス玩具。その誕生40周年を記念して開催される本展では、初代「こえだちゃんと木のおうち」からシリーズ最新作までの玩具のほか、パッケージ、初期イラストレーター桜井勇氏によるイラスト原画など、約150点の作品が展示されている。また、会場には最新の「こえだちゃんと木のおうち」で遊べるプレイスペースが設けられている。
展示は時系列に全5章で構成されている。「こえだちゃん」が生まれた1970年代半ばにはサンリオから「ハローキティ」が誕生するなど、ファンシー、メルヘンをテーマにしたキャラクターが人気を呼んでいた。パステルカラーを基調とした2頭身キャラクターの「こえだちゃん」もその系譜に属するが、「自然」をテーマ設定した「こえだちゃんと木のおうち」では大きな木の家の屋根がワンタッチで開閉したり、幹の中にエレベーターが付いているなど、数々のギミックが仕掛けられていたことが従来の女児向けの玩具と大きく異なった点であった。初期の製品パッケージには「こえだちゃん」で遊ぶ男の子の写真が女の子に並んで配されており、男の子も遊べるファンシーな玩具という企画意図がうかがえて興味深い。仕掛けの付いた「木のおうち」は男の子にとって秘密基地のイメージだったのだろうか。玩具の発売と平行して講談社の雑誌『おともだち』では初期「こえだちゃん」の桜井勇氏による連載が始まり、メルヘンな世界が形作られていった。1980年代前半には「こえだちゃん」にはさまざまなバリエーションが登場。お風呂遊びや病院ごっこなど、「自然」というテーマから離れた玩具も現れる。おそらくこれは「こえだちゃん」というキャラクター自体が認知を得たからではないかと推察する。またこの頃のパッケージからは男の子が姿を消しており、女の子向け玩具としてのイメージを強くしている。
1985年、「こえだちゃん」には強力なライバルが現れた。エポック社の「シルバニアファミリー」である。動物を擬人化しフロッキー加工を施した2.5頭身の人形、海外のドールハウスのような高級感のある家や家具を特徴とする「シルバニアファミリー」は子供たちの間でおおいに人気を博した。「こえだちゃん」も対抗する。3頭身のプロポーション、髪の毛を植毛したミニドールを発売するなど、さまざまな方向が模索されたものの、1993年にシリーズはいったん休止となった。再開は2004年。自然というテーマはそのままに「木のおうち」のギミックが進化。そしてミニドールはこの時期の流行に合わせてポップなかわいらしさを意識したものになった。復刻版が発売されるなど、かつて「こえだちゃん」で遊んだ母親たちと現在の子供たちの双方を視野に入れた展開がみられる。2011年以降はさらに「木のおうち」の大型化、音声や電動によるギミックの進化など、遊び方が拡張される一方、サンリオの「キキ&ララ」「マイメロディ」や「シナモロール」とコラボレーションするなど、キャラクター面でも新たな広がりを見せ、YouTubeを使った情報発信をするなど、プロモーションの方法も進化を続けている。
40年にわたる「こえだちゃん」の変化と進化のスピードは、本展と会期を同じくして目黒区美術館で展示されているヨーロッパの木の玩具のあり方ととても対照的だ 。古くからの技術を用い変化が緩慢な印象を与えるヨーロッパの玩具に対して、日本の玩具は日々進化する素材、技術をいちはやく取り入れ、またその意匠は社会の要求に応じて、市場における流行と競争によって、絶え間なく変化している。この展覧会を見て、日本において玩具は時代を映す鏡であるという思いを改めて強くした。どちらが良いということではない。これは彼の地の人々と日本人の玩具の使いかた、価値観の違いを反映しているのだろう。
話を「こえだちゃん」に戻す。学部生男女に聞いてみたところ、「こえだちゃん」を知っている、あるいは「こえだちゃん」で遊んだことのある者はわずか。「シルバニアファミリー」で遊んだという者の方が多かった。これらの玩具の主な対象年齢は3歳から5歳なので、彼らの年齢から逆算するとそれは1990年代終わりから2000年代初め、ちょうど「こえだちゃん」シリーズが休止していた時期に当たる。彼らが知らないのも当然だ。それでは「こえだちゃん」を知らない彼らが子供を持つころ、「こえだちゃん」はどのように進化し、どのようにプロモートされ、どのように時代を映していることだろうか。[新川徳彦]
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2017/07/08(土)(SYNK)