artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

快快「MY NAME IS I LOVE YOU」

会期:2009/03/07~2009/03/08

ゴタンダソニック[東京都]

ゲネプロを見た。正直7~8割の出来と思った。本番はさまざまな改善点がクリアになっていたかも知れない。恋愛の現在形あるいは未来形を描いた問題作。恋愛に奥手な男の子が主人公の前半に代わって、後半はダッチワイフのロボット2人が真の主人公となる。彼女たちは、渋谷の街でウリをする。ウリをする理由はない、ただそうプログラミングされているから。「プログラミング」された身体というのは、いまとても気になっているテーマだ。人間もロボット同様、神からあらかじめ与えられたプログラムに従っているに過ぎないと考えるのがいまの風潮だとすれば、人間の行動は、意志や努力の問題ではなく性能(天分)の問題に局限化される。ならば相手に対して「もっと愛してよ」と告げるエナジーを燃やすより「ああそうなっているのね」と相手のプログラムを読み取るほうが賢明な時代ということになろう。などと考えつつ、これは未来ではなく現在の物語かも知れないと思って見ていた。
快快:http://faifai.tv/faifai-web/

2009/03/06(金)(木村覚)

Port B「雲。家。」

会期:2009/03/04~2009/03/07

にしすがも創造舎[東京都]

エルフリーデ・イェリネクの同名戯曲の上演。まったく予備知識なしに見た。固まったワンピースが5枚吊ってあり、床には墨で文字が敷き詰められ、舞台奥には三階だての構築物が薄いスクリーンの背後に建っている。その構築物の上を唯一の登場人物(暁子猫)が歩きながら、吊ってあったのと同様のワンピースを纏って「私は家にいる……」などと独り言を呟いている。語りの内容には現実味がない。「大地」「祖国」「外部」「他者」「わたしたち」などの言葉が繰り返され、「ゲルマン」という語も出てくる、ドイツ哲学のテクストから引用されたものに聞こえる。なぜドイツ?と思うと、日本にいるアジアの留学生のインタビューや、公演会場の近くにある池袋サンシャイン60に来た若者に向け「以前ここに何が建っていたのか」と質問する映像が差し挟まれる。処刑場があったらしい。「アウシュビッツ」に通底するなにかを日本の過去から引き出そうということなのだろうか。90分ほどの公演時間中、暁子猫は、ひとり語りを淀みなく続けた。
Port B:http://portb.net/

2009/03/04(水)(木村覚)

ホナガヨウコ×サンガツ『たたきのめすように見るんだね君は』(DVD、WEATHER/HEADZ、2009)

昨年6月に恵比寿siteで上演した同名作品をDVD化。「音体パフォーマンス」と称して独自の音や言葉とダンスとの繋がりを模索していたホナガサンガツとのコラボレーションで見せたのは、きわめて緻密なシンクロだった。ダンサーと音楽家のコラボというと、その日限りの即興がほとんどで、当たり障りのないところで接触するか、バトルにもならずディスコミュニケーションに陥る可能性が非常に高い。本作の素晴らしさは、そうした凡庸さを回避して、ときにダンスが主となり演奏が振りに音をあてがったかと思えば、ときにその正反対を行ないもする絡み合いの丁寧さにある。聴きながら踊るダンサー、見ながら演奏するプレイヤー。聴くことと踊ること、見ることと演奏することが緊張感をともなって交わる。サンガツの演奏、親近感のあるホナガのダンスそれぞれが魅力的なのは言うまでもないのだけれど、両者がひとつの塊となり舞台空間に渦をつくる様は奇跡的でさえある。そうしたパフォーマンスを映像作品として見ごたえのあるものに仕立て上げたという点でも、本作の価値は大きい。

2009/02/21(土)(木村覚)

大駱駝艦「シンフォニー・M」

会期:2009/02/19~2009/02/22

世田谷パブリックシアター[東京都]

壺中天という名の弟子たちが周囲を固めてはいるものの、本作は麿赤兒のソロというのが近い。麿の魅力はプレゼンスにある。大きな顔をさらに大きな髪が際だたせる。なにかをしていなくとも存在感に圧倒される。存在感だけが存在しているような佇まいで、しかし振りはきわめてミニマル、ゆったりとした反復的動作が続く。動きの繋がりに生じる間とかリズムより、存在感が舞台を駆動させる。ダンスというより演劇的。弟子たちが懐中電灯だけで麿を照らしたり、巨大な白い洞窟のごときセットが登場したり、仕掛けのアイディアは豊かな一方、パフォーマーのなかからはっとするズレは起こらない。その分強調される演劇性は、白い洞窟の奥へ落下(?)するラストシーンで、赤子のように泣き叫ぶ麿とその周りを囲む白塗りの若いダンサーたちとの関係を際だたせる。とくに、カーテンコールで弟子のひとりが麿に観客への挨拶を指示するあたりは、この舞踏団それ自体を演劇化しているように見えた。

2009/02/21(土)(木村覚)

吉原治良賞記念アートプロジェクト contact Gonzo:「the modern house──或は灰色の風を無言で歩む幾人か」project MINIMA MORALIA section 1/3

会期:2009/02/11~2009/02/20

大阪府立現代美術センター[大阪府]

どつき合いの喧嘩がそのままダンスになるcontact Gonzoのパフォーマンス。3年前に彼らを知った時の驚きは今も鮮明だが、同時に一発屋の懸念も抱いていた。久々に彼らのパフォーマンスと活動記録を見て、その表現には大きな可能性があることを改めて実感した次第。彼らの今回の活動は、刷新され約3年もの月日をかけて展開された「吉原治良賞記念アートプロジェクト」によるもの。同賞の主旨はさておき、3年間にわたって観客の注目を維持し続けるのは、やはり不可能と言わざるを得ない。私も途中で脱落したため、プロジェクトの全体像は把握できていない。この点は次回以降見直しが必要だと感じた。

2009/02/14(土)(小吹隆文)