artscapeレビュー
パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー
近藤等則パフォーマンス公演
会期:2009/05/17
BankART Studio NYK[神奈川県]
フリージャズのトランペッター、近藤等則の公演。原口典之の作品「ファントム」の前でトランペットを演奏した。アルミニウムの機体に音が反響するせいか、迫力のあるパフォーマンスだった。80年代に来日したヨーゼフ・ボイスが講演で話した音声とあわせて、いかにもフリージャズ的なトランペットを奏でていたものの、大半はむしろ演歌のようで、そのギャップがこの上なくおもしろい。(こういってよければ)哀愁を帯びた中年親父の背中を見た気がした。
2009/05/17(日)(福住廉)
スティーヴ・パクストン+リサ・ネルソン『Night Stand』
会期:2009/05/17
スパイラルホール[東京都]
パクストンは、体を接触したまま二人組で踊るC.I.(コンタクト・インプロヴィゼーション)の創始者として有名だけれども、70年代以前は、カニングハムのカンパニーに在籍していたり、ジャドソン・ダンス・シアターに参加したりとアメリカのモダンダンス以後の展開を全身で生きたひとだ。肉眼で初めて見た彼の身体は、マリオネット人形のようにフワっとしていて自由自在。派手な動きはない。胸の辺りがしっかりと核をもち、そのうえで全身が揺れ、全身が見所となっている。最初の5分で打ちのめされた。70才の老体は、大野一雄のことも想起させた。いや、大野はパクストンに比べれば微細さに欠ける。ならばもし土方が生きていたら?などと思って見ていると、舞踏にはない独特の構造的性格が気になってきた。空間を数学的に分割してそれにしたがって移動しているように見える。縦、横、前、後、上、下……。共演のリサ・ネルソンは、パクストンのリズムに応じながら、彼とともに時空を埋めてゆく。旅館の浴衣で額にティッシュ箱を括りつけたり、箱からティッシュを取るとネルソンの体の上に並べたり、即興的な時間が続く。ものとひとがともに自分の身体性を表出している。あわてず丁寧につくりだす時間は、往時の「ポスト・モダンダンス」のかたちを示してくれている気がした。
2009/05/17(木村覚)
田中泯パフォーマンス公演
会期:2009/05/16
BankART Studio NYK[神奈川県]
原口典之展にあわせて催された田中泯のパフォーマンス公演。暗い会場に入ると、空間の片隅に田中泯が仰向けに横たわっている。局部は辛うじて隠されているものの、全身素っ裸で、衣服や履物は一切身につけていない。自然美ともいえる筋肉の美しさとは対照的に、全身の皮膚は不自然に着色され、黒ずんでいる。来場者が凝視するなか、徐々に手足を持ち上げ、首を傾け、腰をひねり、立ち上がると見せかけては、また寝転ぶ動作を繰り返す。ようやく立ち上がったと思ったら、両手で天を仰ぎながらゆっくりと歩き出し、原口の油のプールに静かに入る。鏡面のような油の上で踊るうちに、漆黒の油が黒ずんだ身体をさらに塗り変えていき、ついには真っ黒になってしまった。白い眼球と赤い口内がやけに目立つ。足元に手を伸ばす黒い男は、油の表面に映りこんだもう一人の黒い男になにか語りかけ、両者の接点が溶け合っているようにも見える。しかし、油の上に横たわり、右腕一本だけで身体を円状に回転させる動きは、その同一化が決してかなわないことを物語っているようでもある。油から上がった黒い男が、先ほどと同じように天を仰ぎながらゆっくりと会場を移動し、海に抜ける出口の前で、ひとこと「ありがとうございました」と呟くと、来場者から万感の思いを込めた拍手が鳴り響き、しばらくやまなかった。
2009/05/16(土)(福住廉)
神里雄大『グァラニー~時間がいっぱい』(キレなかった14才♥りたーんず)
会期:2009/04/21~2009/05/04
こまばアゴラ劇場[東京都]
〈日系のパラグアイ人〉という説明しにくいアイデンティティを生きる作家が描いた、自伝的な作品。面白かった。冒頭は、作家本人の反映である主人公の喫茶店での1人語り。自分を語る不確かさ、表現の不正確さを確認しながら、パラグアイに移ったばかりの、自尊心と自己嫌悪が混在する少年時代を振り返る。「誰も興味ないだろうが」と言いながら客に向かう矛盾に自嘲する場面がいい。自分を語り紹介するなんて日常でもよくすること。それが演劇化されるとむしろ気づかされるのは、ぼくたちの日常の演劇性。自分を語ることそれ自体の力をひらく神里の手つきはとても丁寧で、だからきわめて個人的なエピソードも他人事とは思えなくなる。夢と現実のギャップ。少年の魅力も惨めさもそこに集約される。エピソードは、「サザン」や「マテ茶」や「ビートルズ」や具体的な対象がどう他人と交わり、誤解や不理解を招いたかを明かすことで、味わい深さを湛える。演劇をちゃんとやっていると思った。
2009/05/05(木村覚)
柴幸男『少年B』(キレなかった14才♥りたーんず)
会期:2009/04/21~2009/05/04
こまばアゴラ劇場[東京都]
36歳の男が、少年時代を振り返る話。少年というものはいつも興奮している。興奮は、現実を正しく計る余裕を奪う。漫才師に憧れ真夜中に友達と練習し、昼間はクラスの合唱大会や女の子に夢中になっている。戯曲は、妄想と現実の曖昧な少年の生活を丁寧に浮き彫りにした。演出も冴えている。強くて超面白いと自分を思いこむ、その思いこみ(空想)を再現フィルムのように演じ、その直後、現実の時間が演じられる。何度かあったそうした上演のアイディアがじつに楽しい。猫の殺害事件や殺人事件が少年の周囲で起きる。自分の仕業かどうか判然としない。そもそも自分の輪郭が曖昧模糊としているのだから当然と言えば当然。その曖昧さはそのままに、気づけば大人になってしまったということに対する辛さ、それがとてもリアルに感じられた。このリアリティは、36歳の主人公演じる同年代の男優を14歳くらいに見えるリアル女子学生と共演させたが故に引き出されたものだろう。
2009/05/02(木村覚)


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