artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
蜷川実花展「Light of」
会期:2016/10/21~2016/12/03
小山登美夫ギャラリー[東京都]
花火を撮った写真を中心とする展示。花火を長時間露光で撮影したり、特殊なフィルターをかけて撮ったりすると幻想的な幾何学模様が得られるが、蜷川はそんな小細工はしない。あくまで手持ちでバシバシ撮る。いってみれば抽象表現主義。こういう花火の写真はありそうでなかったと思う。そこがいい。
2016/11/02(水)(村田真)
田口芳正『MICHI』
発行:東京綜合写真専門学校出版局
発行年:2016/09/16
田口芳正は1949年、神奈川県鎌倉市生まれ。1977年に東京綜合写真専門学校卒業後、PUT、OWL、FROGといった、写真家たちの自主運営ギャラリーで作品を発表してきた。この写真集には1977~79年の初期作品26点がおさめられているが、そのすべてが、道を歩きながら連続的にシャッターを切って撮影した写真をやや小さめにプリントして、グリッド状、あるいは渦巻き状に配置したものだ。このような被写体の意味性や物語性を潔癖に排除して、「写真とは何か?」を写真によって提示しようとする「コンセプチュアル・フォト」は、田口だけでなく1970年代後半~80年代にかけて活動した多くの若い写真家たちによって共有されていたテーマだった。田口の営みは、そのなかでも「『私』の行為の軌跡を『見る』こと、『撮ること』と『見る』ことの意識化」を推し進めていく強度と純粋性において際立っている。
以前から何度か指摘してきたのだが、自主運営ギャラリーを中心に展開されていた「コンセプチュアル・フォト」、あるいは「写真論写真」にスポットを当て、きちんと検証していく時期が来ているのではないだろうか。確かにあまり目立たない、地味な動きではあったが、写真と現代美術の境界領域を果敢に切り拓こうとした彼らの活動は、相当の厚みを備えたものであったことは間違いない。田口の仕事をあらためて見直しても、40年という歳月を経ているにもかかわらず、みずみずしさが保たれていることに驚かされる。ぜひ美術館レベルでの掘り起こしを進めていただきたい。その第一歩として、この写真集の刊行は大きな意味を持つのではないだろうか。
2016/10/31(月)(飯沢耕太郎)
古賀絵里子「Tryadhvan トリャドヴァン」
会期:2016/10/21~2016/11/26
EMON PHOTO GALLERY[東京都]
古賀絵里子は2014年に京都に拠点を移す。お寺の住職と結婚し、子供が生まれた。その京都の日々をモノクロームで撮影した写真をまとめたのが、本作「Tryadhvan トリャドヴァン」である。「Tryadhvan」というのはサンスクリット語で「三生」、すなわち「過去生、現在生、未来生」のことだという。タイトルが示すように、今回のシリーズには京都の古刹で暮らす彼女の日常を軸に、複数の時間が重ね合わされている。お寺に伝わる古写真が引用され、やがて生まれてくるであろう子供の姿がエコー写真の画像で暗示される。とはいえ、それらの輻輳するイメージ群は互いに繋がり、結びついている。全体が、淡くおぼろげなソフトフォーカスの画面の中に溶け込んでいて、夢と現の境目を漂っているような感触だ。
本作は2016年4月~5月に開催された京都国際写真祭でも展示されていたのだが、今回のEMON PHOTO GALLERYの展示を見て、そのときとはかなり違う印象を受けた。京都ではひとつながりの和紙にプリントされた画像だったのが、ギャラリーの展示では分割され、パネル仕立てになっている。どちらかというと、巻紙を広げるような見せ方が、このシリーズには合っているのではないかと思った。また、展覧会にあわせて、赤々舎から同名の写真集が刊行されているのだが、その黒白のコントラストの強い印刷のほうが、展示プリントよりも闇の深さを表現するのに向いているように感じた。つまりこの作品は、シリーズとしてどのような体裁に落とし込んでいくのかということが、まだしっかりと確定していないのではないだろうか。
ぜひ、もう少し撮り続けていってほしい。古賀の写真のあり方は、前作の高野山をテーマにした『一山』(赤々舎、2015)から見ても大きく変わりつつある。さらなる写真表現の可能性を模索し、「未来生」を積極的に取り込んでいくような続編を期待したい。
2016/10/28(金)(飯沢耕太郎)
あざみ野コンテンポラリー vol.7 悪い予感のかけらもないさ展
会期:2016/10/07~2016/10/30
横浜市民ギャラリーあざみ野[神奈川県]
美術にとらわれず広く現代のアートを紹介するシリーズ「あざみ野コンテンポラリー」の7回目。タイトルはRCサクセションの「スローバラード」の1フレーズらしい。否定でも肯定でもなく、否定を否定することで肯定的に語るというのは、現代社会を表現するときの姿勢かもしれない。出品は岡田裕子、風間サチコ、金川晋吾、鈴木光、関川航平の5人で、映像2人、写真、ドローイング、版画が1人ずつ。興味深く見たのは関川の鉛筆ドローイングと、風間の木版画。どちらも紙にモノクロ表現だ。関川は鳥、草花、怪獣、ロボット、仮面などいろいろなものを描いているが、いずれもタイトルは「フィギュア」で、鳥なら生身の鳥ではなく「模型」「つくりもの」の鳥を描いているのだ。これはおもしろい。風間は現代では珍しい風刺版画をつくり続けているが、今回は折り込みチラシの住宅の画像をトレースした初期の作品から、校内暴力をテーマにした新作シリーズまで出品。ますますダイナミックに、ますますマンガチックに突っ走ってる。
2016/10/27(木)(村田真)
Chim↑Pom個展「また明日も観てくれるかな?」
会期:2016/10/15~2016/10/31
歌舞伎町振興組合ビル[東京都]
歌舞伎町に行くのはもう20年ぶりくらいだろうか、とんと足が遠のいたなあ。劇場や映画館もすっかりなくなっちゃったし。その歌舞伎町のほぼど真ん中に建つビルをまるごと舞台にしたChim↑Pomの展覧会。入場料1000円とるが、これは見て納得。まずエレベータで4階まで昇り、各フロアの展示を見ながら降りていく。このビルは1964年の東京オリンピックの年に建てられ、2020年のオリンピックを見据えて取り壊すことになったため、約半世紀の時間がテーマになっているようだ。例えば4階は壁を青くしているが、これは半世紀前には建築を設計する際に活用された青写真(青焼き)に由来するという。おそらくその発想源であるこのビルの青焼きも展示。床には正方形の穴が開き、下をのぞくと1階までぶち抜かれている。これは壮観。3階には、繁華街で捕まえたネズミを剥製にしてピカチュウに変身させた《スーパーラット》や、性欲のエネルギーを電気に変換する《性欲電気変換装置エロキテル5号機》といった初期作品に加え、歌舞伎町の風俗店で働くみらいちゃん(18歳)のシルエットを青焼きにした《みらいを描く》も。2階ではルンバみたいな掃除ロボットの上に絵具の缶を載せ、ロボットが床に自動的に色を塗ると同時に掃除するというパラドクスをインスタレーション。そして1階では、ぶち抜かれた4階から2階まで3枚の床板のあいだに椅子や事務用品などを挟んで、《ビルバーガー》として展示している。これは見事、これだけで見た甲斐があった。ちなみにタイトルの「また明日も観てくれるかな?」は、お昼の番組「笑っていいとも」で司会のタモリが終了まぎわに言う決めゼリフで、2年前の最終回の終わりにもこのセリフを吐いたという。このビルの最終回に未来につなぐ言葉を贈ったわけだ。
2016/10/26(水)(村田真)