artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
村越としや「雷鳴が陽炎を断つ」
会期:2016/11/04~2016/11/26
ギャラリー冬青[東京都]
村越としやは東京・清澄白河のTAP Galleryのメンバーとして活動してきたが、1年半ほど前に脱退した。今後はギャラリー冬青とTaka Ishii Galleryを中心に展示活動を展開していくという。ギャラリー冬青での最初の展覧会として開催された本展には、2009年に6×6判のカメラで撮影された28点の作品が出品されていた。
2009年1月、村越を可愛がってくれた祖母が余命3カ月ということで入院した。それをきっかけに、故郷の福島県須賀川市に折にふれて帰郷し、「祖母との思い出を少しずつ集めるように」撮影し続けたのが本作である。撮影は祖母の死後も続けられ、同年12月31日で一応の区切りをつけた。例によって、山河や家々の佇まいを静かに写しとった作品が並ぶが、どこかレクイエム的な、沈み込むような気分に覆われている。村越の一連の風景写真の中でも、最もパセティックなシリーズといえるかもしれない。
なお、展覧会にあわせて刊行された『tuning and release 雷鳴が陽炎を断つ』(冬青社)は、「家族との思い出がリンク」した小ぶりな写真集シリーズの4作目になる。『雪を見ていた』(2010)、『土の匂いと』(2011)、『木立を抜けて』(2013)、そして本作と続くこの連作は、東日本大震災以後、より切迫感とスケール感を増した村越のほかの写真群とは、一線を画するものになりつつある。彼自身の個人的な記憶との関わりから、新たな世界が開けてきそうな予感がする。
2016/11/16(飯沢耕太郎)
リフレクション写真展2016
会期:2016/11/07~2016/11/19
表参道画廊+MUSEE F[東京都]
湊雅博のディレクションで、毎年秋に開催されているのが「リフレクション写真展」。「風景写真」の新たな胎動をフォローする企画だが、今回は寺崎珠真、丸山慶子、若山忠毅が出品していた。神奈川県海老名市在住の寺崎は、自宅の近くのアップダウンがある郊外の風景を押さえ、丸山は金属加工業者の多い新潟県燕市の錆に覆われた街並みを撮影している。若山は東北地方から北陸にかけての沿岸地域をバイクで移動しながら、目についた風景を切り取っていく。
3人ともしっかりと地に足をつけた撮り方で、シリーズとしてのまとまりもいい。風景の細部を見落とすことなく、的確に画面におさめていく手際も洗練されている。だが、全体を通してみると何を言いたいのか」がストレートに伝わってこないもどかしさが残る。文字情報がほとんどなく、各作品の背景があまり明確に提示されていないのもその一因だろう。「リフレクション写真展」の出品作をきちんと受け止めるには、かなり高度な写真読解力が必要になるのだが、そのようなリテラシーを備えた観客はそれほど多くはない。もう少し丁寧な解説をつけた展示の仕方も考えてもよいだろう。例えば若山の写真には、海上自衛隊の軍艦、原子力発電所、日の丸の旗などが写っており、明らかにこの時代の社会構造の指標となる眺めを取り込んでいこうとする視点が見られる。そのあたりを、もう少し積極的に文字情報で伝えることができれば、観客の理解も深まるのではないだろうか。
やや地味な企画だが、着実に日本の「風景写真」の裾野を広げつつある。どこかで区切りをつけて、もう少し大きな規模の展示も見てみたい。
2016/11/16(飯沢耕太郎)
つくることは生きること 震災《明日の神話》
会期:2016/10/22~2017/01/09
川崎市岡本太郎美術館[神奈川県]
東日本大震災から5年半が過ぎ、そろそろ「震災後」のアーティストたちの活動をしっかりと検証する時期に来ている。だが、美術館レベルでのこうした企画は意外に少ない。震災はすでに忘却の対象になりつつあるのだろうか。そんななかで、川崎市岡本太郎美術館で開催された「つくることは生きること 震災《明日の神話》」展は、そのテーマに真っ向から取り組んだ貴重な試みとなっていた。
会場の中央に、原爆と人類の運命とを重ね合わせた岡本太郎の《明日の神話》(1968)のエスキースと、彼が東北地方を1950~60年代に撮影した写真群を置き、9組(7人+2組)のアーティストたちの作品をその周囲に配している。「東北画は可能か?」(三瀬夏之助+鴻崎正武)、片平仁、安藤榮作、渡辺豊重、作間俊宏、平間至、大久保愉伊、岩井俊二、そして「アーツフォーホープ」(高橋雅子を中心とするアートNPO)という顔ぶれによる展示は、絵画、CG作品、彫刻、写真、映像など多岐にわたるが、主に東北出身、あるいは東北を拠点として活動するアーティストたちが選ばれている。東日本大震災がもたらした衝撃が、彼らの作品制作の根本的な動機になっているのは確かであり、それをどのように受け止め、投げ返していくかという、真摯な問いかけがそれぞれの作品に結晶していた。
特に印象に残ったのは、平間至の「光景」(2011~16)である。震災直後から撮り続けられた、モノクローム写真の「心象風景」が淡々と並ぶ展示の反対側の壁面は、天井近くまで黒く塗られている。それは彼の故郷の宮城県塩竈市を襲った、4メートルを超える津波の高さだという。その黒い壁のさらに上に、平間が2012年から塩竈で開催している「GAMA ROCK」を訪れたミュージシャンたちのポートレートが並ぶ。苦い記憶と希望とが交錯する、よく練り上げられた展示だった。
2016/11/15(飯沢耕太郎)
トーマス・ルフ展
会期:2016/08/30~2016/11/13
東京国立近代美術館[東京都]
これまでいろいろ断片的にルフの作品を見てきたが、これだけまとまった展示は初めてである。建築系では、ミースや大阪万博を題材にしたものが興味深い。初期から近年の作品に至るまで、写真や知覚の最前線に切り込んできた現代性が浮かび上がる。なお、いつもと違い、作品の写真撮り放題ということで、あちこちで鑑賞者がパチパチ撮っている会場の様子がまた、写真とは何かを考えさせる契機になっている。
2016/11/13(日)(五十嵐太郎)
ニュー・ヴィジョン・サイタマ 5 迫り出す身体
会期:2016/09/17~2016/11/14
埼玉県立近代美術館[埼玉県]
埼玉ゆかりの若手アーティスト7人の展示。小左誠一郎と高橋大輔と中園孔二は絵画、小畑多丘は彫刻、鈴木のぞみは写真、二藤建人はインスタレーション、青木真莉子は映像とインスタレーション。小左も高橋も中園もみんないい絵を描いてるけど、高橋と中園は示し合わせたように壁一面が埋まるほど大量の作品を出している。1点1点じっくり見せるより、量とバリエーションで圧倒している。特に高橋は壁だけでなく床にも絵のほか額縁やクレート、絵皿まで並べていて楽しい。ただし、高橋が同館のコレクションから選んだ速水御舟の日本画も隅っこに展示しているが、これは余計じゃないか。鈴木のぞみは解体前の民家を借りて窓ガラスに感光材を塗り、そこから見える風景を7日間もの長時間露光で焼きつけた「窓ガラス写真」を出品。しばしば写真は窓にたとえられるが、これはたとえではなく窓そのものに画像を写すことで、写真の原点に迫っている。二藤はいつも驚かせてくれるが、今回も期待以上に驚かせてもらった。展示室に部屋が丸ごとひとつ天井から吊るされ、ハシゴを伝って部屋に入ると布団が敷いてあり、なんと爆弾が寝ている。こいつと添い寝しろってわけだ。部屋の下は爆発跡のように穴が開いている(ように見せかけるため、わざわざ床を数十センチ上げてある)。いやーどれも楽しめた。出品作家たちはいつになくがんばってるように感じた。これもトリエンナーレ効果かもしれない。
2016/11/12(土)(村田真)