artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

エレナ・トゥタッチコワ「In Summer, Apples, Fossils and the Book」

会期:2016/12/09~2016/12/29

POST[東京都]

ロシア・モスクワ出身で、現在東京藝術大学大学院美術研究科で学んでいるエレナ・トゥタッチコワの「林檎が木から落ちるとき、音が生まれる」のシリーズも厚みを増してきた。今回のPOSTでの個展は、torch pressから同名の写真集が刊行されたのにあわせてのもので、同時に渋谷区富ヶ谷のnaniでも映像作品を中心にした「In Summer, With My Dinosaurs」展が開催された。
これまでは、彼女の少女時代の記憶を、ロシアの夏の別荘、ダーチャで撮影した写真と重ね合わせてきた。だが今回の作品では、彼女自身は一歩距離を置いて、モスクワ郊外の川の近くに住む3人の兄妹、トーリャ、アーニャ、サーシャの夏の日々にカメラを向けている。もちろん、彼らがエレナの分身であることに違いはないのだが、父親と化石や「恐竜の骨」を拾いに行ったり、水の中で「サメ」に出合ったりするそれぞれの体験が、写真だけでなく文章でもいきいきと浮かび上がるように構成されていた。以前よりも、物語的な要素がより強まっていることは注目してよい。化石と水の流れ、炎、部屋の中に置かれた水槽などの象徴的なイメージも効果的に使われている。
写真展の会場の壁には、エレナの手書きの字で、テキストの一部が記されていた。それらを読むと、あらためてその日本語能力の高さに驚かされる。
「──林檎が木から落ちた、それだけのこと。木にいたときも誰の目にも触れず、落ちても草の中に隠れたままの小さな林檎。その音だけがいつまでも記憶に残った。アーニャが11歳になった年の夏の終わり。彼女の髪の毛が一番長く伸びた8月のことだった」。
こうなると、これまでのように写真(映像)が主で、文章が従という関係だけでなく、その逆もありえるのではないだろうか。われわれは、日本語で書くロシア人の小説家の誕生前夜に立ち会っているのかもしれない。

2016/12/16(金)(飯沢耕太郎)

畠山直哉 写真展 まっぷたつの風景

会期:2016/11/03~2017/01/08

せんだいメディアテーク[宮城県]

前半は作品の軌跡を再構成、後半は陸前高田を時系列で。ほとんどの作品はすでに見ているので、どう配列するかに興味。最大の横幅をとって、チューブ列で会場を前後2分割。空間をうまく生かす。後半で海の水平線写真のみ日時の記載がない。これだけ奥尻だった

2016/12/15(木)(五十嵐太郎)

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操上和美「ロンサム・デイ・ブルース」

会期:2016/11/25~2017/01/16

キヤノンギャラリーS[東京都]

以前、操上和美から「日々、目の鍛錬をしている」と聞いたことがある。仕事で撮影する写真とは別に、つねにカメラ(カメラ付き携帯電話を含めて)を持ち歩き、目につくものをスナップ撮影しているということだ。今回キヤノンギャラリーSで開催された「ロンサム・デイ・ブルース」展の出品作も、その「鍛錬」の成果といえそうだ。
操上が撮影したのは「人々の欲望を呑み込んで、ダイナミックに変貌し続ける渋谷」の夏の光景である。とはいえ、ランドマークが写り込んでいる数枚の写真を除いては、それらが渋谷で撮られた写真と気づく人は少ないのではないだろうか。主に広角系のレンズで切り取られた眺めは、むしろ無国籍的な様相を示している。いま世界各地に蔓延しつつある、グローバルな「都市的なるもの」のあり方が、的確に浮かび上がってくるのだ。操上の反応は、視覚的というよりはどちらかといえば触覚的だ。ブルーシート、割れたガラス、ひび割れたコンクリート、そして女性のカーリングした髪の毛などの“異物”が、皮膚感覚的にコレクションされている。雑多な色味の眺めを、モノクロームの画像に還元することによって、都市風景を触覚的に再構築しようという意図がより強調される。横位置の大判のプリントを、黒い壁(一面だけが白)に一列に並べた会場構成も、すっきりと決まっていた。
操上は1936年生まれ。ということは、今年80歳を迎えたということだ。スナップショットの写真家としての、しなやかで、敏捷な身体的反応をキープし続けているのは、それもまた「鍛錬」の賜物といえるだろう。

2016/12/12(月)(飯沢耕太郎)

幻の響写真館 井手傳次郎

会期:2016/12/07~2016/12/27

Kanzan Gallery[東京都]

井手傳次郎(1891~1962)は長崎県佐世保に生まれ、16歳で上京した。画家を志して太平洋画会研究所で学ぶが、夢は果たせず、長崎に帰って写真家の道に進んだ。上野彦馬の弟子筋にあたる渡瀬守太郎に入門して肖像写真撮影の技術を身につけ、1925年に長崎市舟大工町で写真館を開業する。1928年には同市片淵に移って、響写真館という名前で営業を開始した。今回の展覧会は、傳次郎の孫にあたる根本千絵(次女・夏木の娘。父は美術批評家の針生一郎)が上梓した『長崎・響写真館 井手傳次郎と八人兄妹物語』(昭和堂)の刊行にあわせたもので、傳次郎の残した約1300枚の乾板から、あらためてプリントした写真を中心に、アルバムや資料が展示されていた。
長崎という土地柄もあるのだろうか、蔦の絡まる煉瓦造りの西洋館の前で撮影された家族の写真などを見ていると、どこかエキゾチックな雰囲気が目につく。傳次郎の作風も、当時としてはかなりモダンなもので、特に光と影の処理の巧みさ、ソフトフォーカスの効果をうまく使った画面構成に、独特のセンスを感じる。背景に植物の影のパターンを写し込む手法を得意としており、ロマンチックな女性ポートレートには、画家としての素養が活かされている。自ら編集・構成した写真アルバム『長崎』(1927)、『島原・雲仙』(1930)を見ても、写真家としての力量が群を抜いていたことがわかる。
今回は展示されていなかったが、傳次郎には原爆投下後の長崎の被災の状況を撮影した写真もある。もう少し大きな会場で、その全体像が浮かび上がる展示を見てみたい。このところ、埋もれていた写真家たちの業績に光を当てていく取り組みが目につく。地道な掘り起こしの作業を、着実に展示や出版に結びつけていってほしい。

2016/12/11(日)(飯沢耕太郎)

鷹野隆大「距離と時間」

会期:2016/11/26~2017/01/09

NADiff Gallery[東京都]

毎日、自分の顔を撮ってるという。そのうち2006年の顔写真2点と、同じ場所で2016年に撮ったもの2点を並べて展示している。やっぱり10年もたつと変わるもんだ。2011年2月から3月にかけて自宅屋上から定点観測のように毎日撮った風景写真も並べている。東京タワーと世界貿易センタービルらしきものが写っているので、浜松町あたりか。だが、3月11日と12日の2日分が抜けていて、その2点だけ別に額装してある。それだけでなんか意味が出てくる。それだけ高いんだろうか。

2016/12/10(土)(村田真)