artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
GABOMI.「/in/visible」
会期:2016/03/02~2016/03/25
資生堂ギャラリー[東京都]
資生堂ギャラリーが主催する新進アーティストの公募展、「shiseido art egg」には、時々面白い「写真家」が登場する。今回の第10回公募には370名の応募があり、そのなかから選ばれたGABOMI.の写真作品が展示された(前後の会期で川久保ジョイ、七搦綾乃展を開催)。
GABOMI.は1978年、高知生まれで、香川在住のアーティスト。「肉眼で見えない光」の様態を捉えるために、「TELENS」、「NOLENS」などのユニークな手法で制作している。「TELENS」=手レンズは「手をカメラのボディと組み合わせ、手で光を調節」して撮影し、「NOLENS」=ノーレンズは「カメラレンズを外してカメラ内部を開け放った状態で、屋外にて被写体をマクロ撮影し、色を抽出する試み」である。結果として、抽象化され、パターン化された、微妙なグラデーションの色面が出現してくる。それらをグリッド状に並べるのが、今回の展示の基本形だ。
試みとしては悪くないが、ここから先がむずかしいだろう。被写体として選ばれているのは、例えば「NOLENS」のシリーズなら、「コーラ(自販機) あじさい 椿 いちょう あじさいの葉」などであり、なぜこの手法で撮影して提示しなければならなかったかという根拠がやや乏しい。インクジェックプリントのクオリティ、壁面への展示の仕方も、これでいいのかという疑問が残る。紙焼きのプリントでは、「光」本来の物質性や輝きが抜け落ちてしまうように思えるからだ。そのあたりをクリアーしたうえで、さらに大胆な探究と実践が必要になってきそうだ。
2016/03/05(土)(飯沢耕太郎)
MOTアニュアル2016 キセイノセイキ
会期:2016/03/05~2016/05/29
東京都現代美術館[東京都]
入口の正面に、ウオッカをラッパ飲みする女子高生の大きな写真が掲げられ、右側の壁には黒一色の落書きがされている。奥に進むと、陳列ケースに展示物はなく、キャプションだけが置かれた状態……。テーマを知らずに入ったせいか、どの作品も投げやりに見えてあまりいい印象ではない。ここでプレスツアーが始まったのでついていく。今回のアニュアル展は美術館の学芸員だけでなく、アーティストたちの組織「アーティスツ・ギルド」と協働で企画されたこと、社会規範を揺るがしたり問題提起を試みたりする表現行為に焦点を当てたこと、などを知る。なるほど、ウオッカを飲む少女の写真はコスプレイヤー齋藤はぢめの作品で、壁の落書きはルーマニア出身のダン・ペルジョヴスキが表現の自由や検閲批判を表わしたもの。キャプションだけの展示は、東京大空襲に関する資料館の建設計画がストップし、展示物が放置されていることに反応した藤井光のインスタレーションということだ。こうして解説を聞くと、表現の規制を問題にするといういささか挑戦的な企画の枠組みが見えてきて、最初の印象は修正しなければならない。昨年、会田誠の作品をめぐって撤去騒動を起こした同館だけに、よくぞ企画が通ったもんだと感心する。その一方で、「あなた自身を切ることができます」とのコメントとともに包丁を壁に突き立てた橋本聡の作品には、透明アクリルケースがすっぽり被せられているし、高さ2メートルほどのフェンスを設け、その向こうに「フェンスを乗り越え、こちら側に来ることができます」と書いた同じ作者の作品の手前には「作家の意図とは異なりますが、危険ですので登らないでください」との注意書きがある。そのチグハグさには笑ってしまうが、この作品は同展においてこの自主規制によって成就したともいえる。ほかに、「小学生以下はお控えください」と「中学生以下はお控えください」という2コースを設けた(素人目には違いがわからない)横田徹の戦闘シーンの映像や、妻の自殺現場を写した古屋誠一のコンタクトプリントなど、かなりハードな展示も。
2016/03/04(金)(村田真)
野村佐紀子「もうひとつの黒闇」
会期:2016/02/26~2016/03/13
野村佐紀子は2008年に同じAkio Nagasawa Galleryで個展「黒闇」を開催した(同名の写真集も刊行)。今回展示された「もうひとつの黒闇」のシリーズは、その「黒闇」の写真群に、ソラリゼーションを施して再プリントしたものだ。マン・レイが好んで用いたソラリゼーションの技法は、暗室作業中にフィルムや印画紙に過度の露光を与えることで、画像の一部の白黒を反転させるともに、光が滲みだすような効果を生み出す。だが、野村のソラリゼーションはより極端なもので、画像はほとんど黒一色となり、目を凝らすとようやく被写体の輪郭のラインが浮かび上がってくる。もともと野村の写真は、闇の中に溶け込んでいくような表現に特徴があったのだが、それがより強化され、写真とグラフィックのぎりぎりの境界領域が模索されているのだ。
野村はこのところ表現の幅を大きく広げつつあるが、この実験作もその一環として捉えていいのではないだろうか。そういえば、彼女の師匠の荒木経惟も、かつて高温現像のネガによるプリントのなどを試みたことがあった。写真表現の振り幅をどれだけ広げられるかという課題を、野村もまた荒木とは違った方向に展開しつつあるということだろう。なお、本作は昨年アルル国際写真フェスティバルで開催された「もう一つの言葉 8 Japanese Photographers」展(キュレーション:サイモン・ベーカー)に、森山大道、深瀬昌久、深瀬昌久、猪瀬光、横田大輔らの作品とともに出品された。また、展覧会にあわせて600部限定の写真集『Another Black Darkness』(Akio Nagasawa Publishing)が刊行されている。
2016/03/03(木)(飯沢耕太郎)
西村裕介「The Folk」
会期:2016/03/03~2016/04/02
IMA gallery[東京都]
先月、銀座メゾンエルメスフォーラムでフランスの写真家、シャルル・フレジェの「YÔKAÏNOSHIMA」の展示を見たばかりだったので、同じようなテーマの写真展が続けて開催されたのが興味深かった。とはいえ、西村裕介のアプローチは、フレジェとはかなり違っている。
映画製作から写真に転じ、主に雑誌や広告の分野で活動している西村は、3年半ほど前に明治神宮の祭事で郷土芸能を見て、その力強さに衝撃を受ける。それから北海道から沖縄まで全国を回り、「現場に黒幕を張り、演者の姿を封じ込める」という手法で撮影を続けてきた。開放的な雰囲気で、どちらかといえばクールに、衣装やマスクを中心に撮影しているフレジェと比較すると、西村は「猛々しい迫力」を発する演者の所作に強い関心を寄せているように見える。黒バックで、ストロボに照らし出されて浮かび上がってくるダイナミックな動きの表現は、たしかに魂を震わすようなパワーを感じさせる。ただ、黒バックの「封じ込め」は諸刃の剣でもある。周囲とのつながりを欠くために、ドキュメントとしての情報量が限定され、各行事がむしろ均一なものに見えてしまうのだ。
このような祭礼や民間行事への関心の深まりは、もしかすると東日本大震災以後の状況ともかかわりがあるのかもしれない。震災以後、家族や共同体との「絆」がクローズアップされる中で、郷土芸能を受け継いでいくことの意味があらためて問い直されつつあるのだ。ただ、単純なアリバイづくりでは物足りない。むしろ、民衆の自発的なエネルギーの発露としての芸能の起源に着目していかなければならないだろう。
2016/03/03(木)(飯沢耕太郎)
津田直「Grassland Tears」
会期:2016/02/20~2016/03/26
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
津田直が東日本大震災前から東北地方を中心に撮り続けている「縄文文化」の写真群には、以前から注目している。僕のキュレーションで2012年から海外を巡回している「東北─風土・人・くらし」展(国際交流基金主催)にも、出品作家の一人として加わってもらった。今回の「Grassland Tears」(草むらの涙)は、その中間報告といった趣の展示で、風景作品4点、縄文時代の出土品を撮影した写真10点が並んでいた。
「Isedotai Site」(2012)、「Kitatogane#1」(2016)、「Ayoro#1」(同)といった風景作品を見ると、歩き回りながら「ここしかない」という場所を嗅ぎ当て、風景のなかに埋め込まれた縄文時代の痕跡を定着していく津田のアンテナの精度の高さにあらためて驚かされる。出土品の写真をあえてネガプリントで出力し、「反転した世界」を出現させることで、「形ある霊魂」に迫ろうとする試みも興味深い。ただ、このシリーズの全貌を見せるためには、さらに大がかりなインスタレーションの展示が必要なはずで、その機会ができるだけ早く来ることを願いたいものだ。
やや気になるのは、このところの津田の展示が、どこか集中力を欠いて、エネルギーを小出しにしている印象を受けることだ。ライトジェット・プリントの画質も、やや弱々しく感じてしまう。近作の写真集にしても、かつての『SMOKE LINE』(赤々舎、2008)のような圧倒的な強度が失われている。もう一度、写真家としての飛躍を期す時期が来ているのではないだろうか。
2016/03/03(木)(飯沢耕太郎)