artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

“人間の記憶” 須田一政写真展

会期:2016/04/20~2016/05/08

gallery Main[京都府]

須田一政が1997年に「第16回土門拳賞」を受賞した作品群《人間の記憶》。同作は彼が本格的に写真を始めてから1993年までのモノクロ作品から選びだしたものであり、一作家の写真史とも言える。本展では、須田が1997年にニコンサロンで行なった個展で発表したオリジナルプリントを、約20年の時を経て再展示した。しかも、作品の配置も可能な限り当時の個展を再現したとのこと。作品数は50点以上。当時を知る者はもちろん、初めて同作を見る若い写真ファンにとっても貴重な機会であった。昔の個展を再現する手法自体が魅力的で、今後同様の企画が広まれば写真史の再発掘に資するだろう。なお、本展の画廊主(写真家と兼業)は当時の個展を見ており、自分が写真家を志すきっかけになったという。関係各位の写真愛が垣間見えるという点でも、本展は感動的な企画であった。

2016/04/29(金)(小吹隆文)

「京都国際写真祭」

会期:2016/04/23~2016/05/22

京都市美術館別館ほか[京都府]

4回目を迎えた「京都国際写真祭」(KYOTOGRAPHIE)。2013年の初回を見た時には、どれだけ続くのかと心もとなかったのだが、質量ともに飛躍的に向上している。今回は「いのちの環」をテーマにしたメインプログラムが13会場で開催されたほか、サテライト展示の「KG+」、関連企画など、50以上の展覧会が開催された。かなり広い地域に散らばっているので、一日ではとても全部回りきれないが、それでも、何日か滞在してじっくり見てみたいと思わせる魅力的な企画が目白押しだった。主催者の仲西祐介とルシール・レイボーズがめざしているのは、「国際的に通用する写真祭にする」ということだが、その志の高さが全体の雰囲気を盛り上げているように感じる。
KYOTOGRAPHIEの特徴のひとつは、美術館やギャラリーだけでなく、京都らしい寺院や町家などの空間を活かした展示が多いことだろう。フィンランド出身の写真家、アルノ・ラファエル・ミンキネンの「YKSI: Mouth of the River, Snake in the Water, Bones of the Earth」(建仁寺内両足院)では、作品が建物の中だけでなく、日本庭園内にも配置されていた。町家の座敷に作品を並べた古賀絵里子の「Tryadhvan(トリャドヴァン)」(長江家住宅)、「マグナム・フォト/EXILE─居場所を失った人々の記憶」(無名舎)、蔵の中に写真と漂流物でつくったランプを展示したクリス・ジョーダン+ヨーガン・レールの「Midway:環境からのメッセージ」(誉田屋源兵衛 黒蔵)も見応えがあった。
インスタレーションやライティングに気を配った「見せ方」にこだわっているのも、KYOTOGRAPHIEの特徴で、昨年逝去した報道写真家、福島菊次郎の「WILL:意志、遺言、そして未来」展(堀川御池ギャラリーほか)では、写真パネルを鉄パイプや鉄の箱を使ったソリッドな装置を組んで展示していた。海洋生物学者のクリスチャン・サルデの写真映像を、高谷史郎が床置きの複数のモニターで上映し、坂本龍一がサウンドをつけた「PLANKTON 漂流する生命の起源」(京都市美術館別館2階)も、高度に練り上げられたインスタレーションを愉しむことができた。
予算的にはかなり厳しいようだが、このクオリティを保ちつつ、「国際写真祭」としてのさらなる広がりを期待したい。将来的には、東川町国際写真フェスティバルのような先行する地域写真イベント、またアジア各地の写真祭などとも相互交流を図ってほしいものだ。

2016/04/27(水)(飯沢耕太郎)

「ジャック=アンリ・ラルティーグ 幸せの瞬間をつかまえて」

会期:2016/04/05~2016/05/22

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

1970年代以来、「偉大なるアマチュア写真家」ジャック=アンリ・ラルティーグの写真は、展覧会や雑誌の特集などを通じてたびたび紹介されてきた。ベル・エポックの輝きを軽やかに具現化した、彼のスナップショットの魅力を知る人も多くなり、正直、今回の埼玉県立近代美術館のラルティーグ展の企画の話を聞いた時に、同工異曲の展示を見せられるのではないかと思ってしまった。ところが、実際に展示作品(約160点)を見て、われわれがこれまで享受してきたラルティーグの写真の世界は、ほんの一部であることがよくわかった。生涯に130冊以上の写真アルバムと、11万カット以上の写真原板(ネガ)を残したという彼の写真は、想像以上の広がりを備えているのだ。
今回特に興味深かったのはカラー写真である。ラルティーグは1912年から、最初期のカラー写真技法であるオートクロームの製作に取り組み、戦後の1950年代以降はリバーサル・カラーフィルムを使って撮影している。それらは全作品数のうち約3分の1を占めているという。ラルティーグのモノクローム写真は、躍動感あふれる奇抜な演出に特徴があるが、カラー写真は露光時間が長かったこともあって、ややスタティックで絵画的な印象を与える。特筆すべきは、そのみずみずしくヴィヴィッドな色彩感覚で、それは彼が画家としての経験を積んでいたことと無関係ではないはずだ。ラルティーグのカラー写真は、2015年にパリで開催された「ラルティーグ、彩られた人生」(Lartigue, La vie en couleurs)展で初めて本格的に紹介され、大きな反響を呼んだ。本展では後半部分にカラー作品が40点ほど出品されていたが、今後はそちらを中心にした展示も考えられるのではないだろうか。
ほかに、1914年にラルティーグの指揮の下に一家が勢揃いして制作された「盗賊と妖精」と題する映画が上映されるなど、アルバムや日記を含む資料展示も充実している。彼の写真がもたらす幸福感が、会場全体を包み込んでいたように感じる。

2016/04/26(火)(飯沢耕太郎)

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ライアン・マッギンレー BODY LOUD!

会期:2016/04/16~2016/07/10

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

自然の風景のなかでの男女のヌード写真がカラフルだったり、厳しい環境と人体の対比が激しかったり。展示室のスケール感を最大限に活かした500枚のポートレートで埋め尽くされた巨大な壁は壮観だった。写真作品の端が平気で重なる思い切った展示である。

2016/04/24(日)(五十嵐太郎)

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ひらいゆう写真展「休眠メモリー」

会期:2016/04/19~2016/05/01

アートスペース虹[京都府]

フランス在住の写真家、ひらいゆうの個展。鮮烈にして夢幻的な色彩のなかに、悪夢と現実の輪郭が溶解したような光景が出現する。「マダムアクション」のシリーズは、男児向けのマッチョな男性フィギュア(アクションマン)に化粧を施して「女装」させ、フォーカスをぼかして接写することで、生きた人間のポートレートのように写し取った写真作品である。カーニバルの仮装やドラァグ・クイーンのように見える彼ら/彼女らは、儚くも妖しい美しさをたたえている。一方、風景写真のシリーズ「BLUEs」では、夜明けとも黄昏ともつかない、薄明のブルーが浸透した世界を、ライトの人工的な灯が照らし出す。ブルー/赤やオレンジという色彩の対比のなかに、夜/昼、夢や記憶のなかの光景/現実の風景、人形/人間、男/女、といういくつもの境界が揺らぎ合う。とりわけ、印象的な「赤」という色は、血や内臓など生々しい生理的感覚を呼び起こすとともに、網膜内の残像として感じる光のように、非実体的な浮遊感を帯びている。
また、ベルギーのモンスという、第一次世界大戦の戦禍を受けた街で撮影した映像作品も出品されている。暮れゆく、あるいは明けていく空。記憶のなかの闇を照らす象徴のようなロウソクに、顔の見えない兵士の写真がオーバーラップする。墓石の立ち並ぶ墓地の光景。威嚇するような表情の、サルの剥製の頭部。その両目のイメージは、車のヘッドライトと思しき二つの円と重なり、地面に散った無数の花びらへと連鎖していく。圧縮され重なり合った時間と、反復され引き伸ばされた時間。不可解な夢やフラッシュバックのような映像の連なりのなか、覚醒したいくつもの「目」が、闇や夢のなかからこちらを眼差していた。

2016/04/23(土)(高嶋慈)