artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2016 Circle of Life|いのちの環

会期:2016/04/23~2016/05/22

京都市内の15会場[京都府]

2013年に始まり、今年で4回目となる「KYOTOGRAPHIE」。2016年のテーマは「Circle of Life|いのちの環」で、プランクトンの姿を捉えた写真と高谷史郎・坂本龍一とのコラボレーションを発表したクリスチャン・サルデ(京都市美術館別館)、人工授精で生まれた赤ん坊を生後1時間以内に撮影したティエリー・ブエット(堀川御池ギャラリー)など、例年通り質の高い展示が並んだ。とりわけ印象深かったのは、マグナム・フォトによる第2次大戦以降の難民の写真を編集した展示「マグナム・フォト/EXILE─居場所を失った人々の記録」(無名舎)と、原爆、三里塚闘争、全共闘、自衛隊など日本の戦後を問い続けた福島菊次郎の個展「WILL:意志、遺言、そして未来」(堀川御池ギャラリーと立命館大学国際平和ミュージアム)ではなかったか。その背景に、ヨーロッパに殺到する難民やパリでのテロ事件など、昨今の国際情勢を想像するのは難くなく、この二つの展覧会の存在が今年の「KYOTOGRAPHIE」を特徴付けたと言って過言ではないだろう。個人的には、自身の裸体と森や湖などの自然を融合させたアルノ・ラファエル・ミンキネン(両足院/建仁寺内)が最も印象深く、コンデナスト社のファッション写真展(京都市美術館別館)、サラ・ムーンの個展(ギャラリー素形と招喜庵/重森三玲旧宅主屋部、アソシエイテッド・プログラムとして何必館・京都現代美術館でも個展を開催)も見事だった。

2016/04/22(金)(小吹隆文)

莫毅「莫毅:1987-89」

会期:2016/04/09~2016/05/11

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

本展は、チベット出身の中国の現代写真家、莫毅(Mo Yi)の、1980年代の軌跡を辿る連続展の「Part II」として開催された。昨年の「Part I」では、彼の最初期のスナップショットのシリーズ「風景 父親」が紹介されたが、今回はそれに続く1987~89年の3シリーズを展示している。莫毅は中国が政治的、文化的に大きく変動していったこの時期、写真家としての試行錯誤とそこからの飛躍の時を迎えていた。「騒動」(1987)では、多重露光を積極的に用いて、視覚世界の解体をもくろんだ。「1m, 我身後的風景」(1988~89)では、カメラを頭の後ろにセットして、背後の群集に向けて5歩ごとにシャッターを切ったり、「自撮り棒」の元祖のような装置で自分自身を画面のなかに取り入れたスナップ撮影を試みたりした。「搖蕩的車廂(揺れ動くバス)」(1989)では、天安門事件直後の不安げなバスの車内の人々の姿を、自らの運命に重ねあわせて描き出している。
80点あまりの写真を壁にクリップでとめた展示は、莫毅本人の手によるものだが、この時期の作品を見ても、彼はむしろ現代美術の発想を取り込みつつ、ほかの写真家たちとは異なる、身体と表現を結びつける回路を模索し続けてきたことがわかる。その先駆的な仕事の重要性は、2000年代以降に中国国内でもようやく認められつつあるが、日本においてはまだ知名度の高い写真家とはいえないだろう。中国の現代写真を本格的に紹介する写真展が、美術館レベルでまだ一度も開催されたことがないという残念な状況ではあるが、莫毅の仕事もぜひまとまったかたちで見てみたい。
なお、展覧会にあわせて写真集『莫毅 1983-1989』(ZEN FOTO GALLERY)も刊行された。今回の展示や写真集出版が、ぜひ大規模な個展開催に向けた第一歩になるといいと思う。

2016/04/22(金)(飯沢耕太郎)

細倉真弓「CYALIUM」

会期:2016/04/02~2016/05/15

G/P gallery[東京都]

1979年、京都府生まれの細倉真弓の作品は、彼女が日本大学芸術学部写真学科在学中から見ているのだが、このところ表現力が格段に上がってきているように思える。2014年のG/P galleryでの個展「クリスタル ラブ スターライト」(TYCOON BOOKSから同名の写真集も刊行)に続いて、イギリスの出版社MACKから『Transparency is the new mystery』が出版された。深瀬昌久、ホンマタカシの写真集と同時刊行ということは、日本の若手写真家の代表格として選ばれたということで、彼女の作品の評価の高まりのあらわれといえるのではないだろうか。
今回のG/P galleryでの個展「CYALIUM」でも新たな手法にチャレンジしていた。「CYALIUM」というのは「化学発光による照明器具「cyalume(サイリューム)」に金属元素の語尾「lium」を加えた造語」だという。たしかに、カラー照明を思わせる、ハレーションを起こしそうな色味の写真が並んでいるのだが、それはカラー写真の6原色(R/G/B/Y/M/C)のどれかにブラックを加えた、7色の組み合わせによってつくられているのだという。色同士のぶつかり合いに加えて、男女のヌードと植物や岩の画像が対比され、心が浮き立つような視覚的効果が生じてくる。実物の照明器具を使ったインスタレーションも効果的だった。
ただ、作品の展示効果が洗練されていくにつれて、なぜヌードなのか、鉱物なのかという、細倉にとっての切実な動機が希薄になっていくようでもある。その点では、ヌード撮影の現場の状況をざっくりと切り取った映像作品(モニターが床に置いてある)のほうが、むしろ彼女の現実世界との向き合い方を、よりストレートに表現しているように思えた。

2016/04/22(金)(飯沢耕太郎)

今井祝雄「Retrospective─方形の時間」

会期:2016/03/26~2016/04/23

アートコートギャラリー[大阪府]

1970年代半ば~80年代前半に制作された、今井祝雄の写真・映像・パフォーマンス作品を展示(再演)する個展。写真の多重露光、テレビ映像の再撮影、ビデオテープによる記録と身体パフォーマンスを行なっていたこの時期の今井の関心が、映像メディウムと物質性、時間の可視化、時間の分節化と多層化、映像への身体的介入、行為と記録、マスメディアとイメージの大量消費などに向けられていたことが分かる。
《時間のポートレイト》(1979)は、1/1000秒、1/30秒、1秒、30秒、60秒、600秒、1800秒、3600秒の露光時間設定でそれぞれ撮影したセルフポートレイトである。1/1000秒や1/30秒の露光時間では鮮明だったイメージが、次第にブレや揺らぎを伴った不鮮明なものになり、最後の3600秒(=1時間)の露光時間で撮られたポートレイトでは、タバコの光やサングラスの反射光が浮遊し、亡霊じみた様相を呈している。ここでは、秒という単位で分節化された時間が、段階的に幅を広げていくことで、ひとつのイメージに時間の厚みが圧縮され、時間の層が可視化されている。
また、「タイムコレクション」のシリーズ(1981)は、「7:10」「7:42」「9:54」など時刻表示のある朝のテレビ画面を、1分間以内に多重露光撮影したもの。1分という時間単位の間に放映された多様なイメージの積層化であるが、断片化した個々のイメージが重なり合って溶解し、人間の顔の輪郭が重なった事故現場(?)の映像とクラッシュするなど、お茶の間で日常的に受容している映像が、安定した知覚を脅かす不気味なものへと変貌していく。ファッション雑誌などに載った写真を15秒間ずつスライド投影し、画像の輪郭をなぞって抽出した線を描き重ねていく《映像による素描》(1974)と同様、マスメディアが大量生産するイメージの受容経験が、分節化した時間と行為の反復によって多重化/解体されている。
一方、今井が「時間の巻尺」と呼ぶビデオテープの記録性や物質性をパフォーマンスに持ち込んだのが、《方形の時間》(1984)と、初日に行なわれたその再演である。展示室の4m四方に設置された観葉樹に、撮影直後のビデオテープを手にした今井が巻き付けていく。そのビデオテープには、直前の作家の行為が記録されており、中央に置かれたブラウン管モニターに「中継」され続けるが、テープはリールに巻き取られることなくデッキから吐き出され、作家の手で四隅の観葉樹にぐるぐると巻き付けられていき、やがて黒い結界で囲まれた空間が出現する。フィルムと異なり、黒い磁気テープには記録された像が見えず、それは「物質」として立ち現われる。現在進行形の行為と一瞬遅れのディレイをはらむ記録が入れ子状に進行する時間と空間が、その黒いテープによって封じられていく。「製造停止となって久しい貴重な機材を入手できたことで可能となった」今回の再演・再展示は、テクノロジーの発展と表裏一体の技術的衰退という時間の流れとともに、アナログ機器ならではの「時間の手触り」を感じさせ、メディアの発展と知覚の変容(もしくは技術的衰退とともに失われてゆく知覚体験──低い解像度の粗い粒子という物質的肌理、ビデオテープ1本=「30分」という時間感覚、空間に置かれた機材やテープのもつ彫刻的性質など)の相関関係についても示唆していた。

2016/04/22(金)(高嶋慈)

「マルティン・チャンビ写真展」

会期:2016/04/19~2016/05/16

ペルー大使館 視聴覚室“マチュピチュ”[東京都]

マルティン・チャンビ(1891~1973)は南米・ペルーを代表する写真家。アンデスの先住民の出身で、鉱山技師の下働きをしながら、イギリス人から写真を学び、1918年、クスコ県シクアニ村に写真スタジオを開業する。1920年にクスコに移り、先住民を含むその地の住人たちの、堂々たる威厳を備えたポートレートや、緊密な構図の集合写真を撮影した。マチュピチュ遺跡や建築物の記録写真、スナップショット的な街の写真も多数残している。
リアルな描写に徹してはいるが、どこか「魔術的リアリズム」の伝統に根ざしているようでもある彼の写真は、近年評価が高まってきており、2015年10月~2016年2月にリマ美術館で開催された大回顧展に続いて、2017年にはサンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)での個展開催も決まっているという。カーニバル評論家としても知られる、写真家の白根全の企画で開催された今回のペルー大使館での個展は、チャンビの作品の日本での初公開である。30点余りと数は少ないが、ガラス乾板から引き伸ばされたクオリティの高いプリントが展示されていた。
今年になって、ラテンアメリカの写真家たちの写真展が相次いでいる。グアテマラの屋須弘平(あーすぷらざ)、メキシコのグラシエラ・イトゥルビデ(タカ・イシイギャラリー フォトグラフィ/フィルム)、ブラジルの大原治雄(高知県立美術館)と展示が続き、このチャンビ展に続いて2016年7月2日からはメキシコの写真家、マヌエル・アルバレス・ブラボの大規模展が世田谷美術館で開催される。こうなると、ラテンアメリカの写真家に共通する特色を抽出できそうな気もしてくる。先に述べた、リアルさと幻想性が同居する「魔術的リアリズム」も、その重要な一要素となりそうだ。

2016/04/16(土)(飯沢耕太郎)