artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

森山大道「裏町人生~寺山修司」

会期:2016/02/05~2016/03/27

ポスターハリスギャラリー[東京都]

森山大道と寺山修司の関係は、1960年代後半にさかのぼる。森山の畏友の中平卓馬が編集を担当していた『現代の眼』で初の長編小説「あゝ、荒野」を連載していた寺山は、1966年に同書を単行本化するにあたって、表紙の撮影を森山に依頼する。寺山、中平とともに新宿界隈の一癖も二癖もある住人たちをモデルに撮影された集合写真だ。これをきっかけとして、二人の関係はさらに深まり、森山のデビュー写真集『にっぽん劇場写真帖』(室町書房、1968)には寺山が書き下ろしの戯文調の散文詩「芝居小屋の外で観た地獄の四幕」と「新宿お七 浪花節」を寄せることになる。この時期の森山にとって、兄貴分の寺山の影響力は絶大なものがあり、その引力に引きつけられるように、写真表現の深みに降りていこうとしていたといえるだろう。
今回、ポスターハリスギャラリーの笹目浩之と、デザイナーの町口寛の企画で開催された「裏町人生~寺山修司」展は、絶版になっていた寺山のエッセイ集『スポーツ版 裏町人生』(新評社、1972)をもとに森山自身がプリントした写真群から組み上げられたものだ。同時に、町口の装本・デザインで写真集『Daido Moriyama: Terayama』(MATCH and Company)が刊行された。こちらは森山の写真に「拳闘」、「競輪」、「相撲」、「競馬」、「闘犬」をテーマにした寺山の文章の断片を、コラージュ的に組み合わせている。『にっぽん劇場写真帖』、「何かへの旅」などの初期シリーズを中心とする森山の写真と、寺山の湿り気を帯びつつ疾走するテキストとの相性は抜群で、展示も本も見応えのある出来映えに仕上がっていた。町口のデザインワークも、いつもながら、60年代末の気分を見事にすくいとっている。森山と寺山のコラボレーションは、これから先もまだいろいろな可能性を孕んで展開していそうだ。

2016/03/02(水)(飯沢耕太郎)

杉浦邦恵「Little Families; 自然への凝視 1992-2001年」

会期:2016/01/30~2016/02/27

タカ・イシイギャラリー東京[東京都]

杉浦邦恵はシカゴ美術館付属美術大学でケネス・ジョセフソンに師事し、1967年に同大学を卒業後、ニューヨークに移って、当地で作品制作を続けているアーティスト/写真家である。近年は主にフォトグラム作品を制作しているが、今回のタカ・イシイギャラリー東京での個展では、そのなかから生きものをテーマにした作品を展示した。
フォトグラムはいうまでもなく、印画紙上にモノを配置し、光を当ててその輪郭を定着する技法だが、そのモチーフとして生きものが使われることはほとんどない。だが、杉浦は主にコントロール不可能な動物や人間を被写体にしていて、そのことが彼女のフォトグラム作品に、偶発的に生み出された陰翳や形がもたらす、軽やかな律動感を与えている。例えば、今回展示された「The Kitten Papers(子猫の書類)」(タイトルが素晴らしい)では、「暗室の感光紙の上に一晩中ほっておかれた」二匹の子猫の動きの軌跡を、繊細なモノトーンの画面に定着した。ほかに、蝸牛をモチーフにした「Snails」、蛙をジャンプさせた「Hoppings(飛び跳ねる)」など、身近な、小さな「自然」のありようを見つめることで、そこから驚きや感動をともなうイメージをつかみ取ろうとする姿勢は、どこか俳句のようでもある。19世紀以来の伝統的手法であるフォトグラムは、まださまざまな方向に伸び広がって行く可能性を秘めているのではないだろうか。


Kunié Sugiura, "The Kitten Papers", 1992, 7 gelatin silver prints mounted on aluminum, wood shelf with text, 122×601×18cm
© Kunié Sugiura / Courtesy of Taka Ishii Gallery

2016/02/26(金)(飯沢耕太郎)

金川晋吾『father』

発行所:青幻舎

発行日:2016年2月18日

何とも形容に困る、絶句してしまうような写真集だ。金川晋吾は、サラ金で借金を作っては「蒸発」を繰り返す父とその周辺の状況を、2008~09年にかけて撮影した。それらの写真群が写真集の前半部におさめられ、同時期に金川が執筆した「日記」をあいだにはさんで、後半部には「毎日自分の顔を一枚と、写す対象は何でもいいので何か一枚」撮るようにと父に指示して撮影してもらった「自撮り写真」1000枚以上が収録されている。
金川が、なぜ父の写真を撮り始め(撮ってもらい)、このような写真集にまとめたのか、その動機の明確な説明はない。だが、写真撮影を通じて、人間存在の不可解なありようを解きほぐし、見つめ直そうという強い意志を感じとることができる。否応なしに始まった写真撮影の行為が、次第に確信的になっていくプロセスが、ありありと浮かび上がってくるのだ。特に、父が撮影した「自撮り写真」を見ていると、それらが何とも言いようのない力を発していて、じわじわと見えない糸に絡めとられていくような気がしてくる。ほとんど無表情で、カメラを見つめる中年男の顔、顔、顔の羅列は、写真を撮るという行為にまつわりつく「怖さ」(同時に奇妙な快感)を、そのまま体現しているように思える。気になるのは現在の父との関係だが、そのあたりをフォローした新作の発表も期待したい。
なお、作者の金川晋吾は1981年京都生まれ。神戸大学発達科学部卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科(先端芸術表現専攻)で学んだ。本作が最初の本格的な写真集になる。

2016/02/23(水)(飯沢耕太郎)

田附勝『魚人』

発行所:T&M Project

発行日:2015年11月11日

田附勝は2006年頃からデビュー作の『DECOTORA』(リトルモア、2007)や、第37回木村伊兵衛写真賞を受賞した『東北』(同、2011)などの撮影で、東北地方に足を運びはじめる。『その血はまだ赤いのか』(SLANT、2012)や『KURAGARI』(SUPER BOOKS、2013)では、鹿狩りをテーマに撮影を続けた。その田附の東北地方への強い思いが形をとったのが、今回写真集として刊行された『魚人』のシリーズである。「八戸ポータルミュージアムはっち」が主催する「はっち魚ラボ」プロジェクトの一環として、2014年度から約1年かけて八戸市大久喜地区や白浜地区などの沿岸部で撮影された。
写真集は、6×9判の中判カメラでじっくりと腰を据えて撮影された写真群と、35ミリカメラによる軽やかなスナップの2部構成になっている。漁師たちの暮らしの細部を、舐めるような視線で浮かび上がらせた6×9判のパートがむろんメインなのだが、フィールド・ノートの趣のある35ミリ判の写真を、コラージュ的にレイアウトした小冊子もなかなかいい。むしろこちらのほうに、皮膚感覚や身体感覚をバネにして被写体に迫っていく田附の写真のスタイルがよくあらわれているようにも思える。
撮影中に、東日本大震災後の津波で大久喜地区から流された神社の鳥居の一部(笠木)が、アメリカオレゴン州の海岸に流れ着き、ポートランドで保管されているというニュースが飛び込んできた。田附は早速ポートランドに飛び、ガレージに保管されていた笠木を撮影するとともに、当地の漁師たちの話も聞いた。それらの写真が、写真集の後半部におさめられている。そこから「海に対する仕事の姿勢は日本もアメリカも変わらないこと」、つまり「魚人」たちの基本的なライフスタイルの共通性が、見事に浮かび上がってきた。
なお、この『魚人』は赤々舎から独立した松本知己が新たに立ち上げたT&M Projectの最初の出版物として刊行された。丁寧なデザイン・造本の、意欲あふれる写真集になったと思う(デザイナーは鈴木聖)。またひとつ、期待していい写真集の出版社が名乗りを上げたということだろう。

2016/02/22(月)(飯沢耕太郎)

石川竜一「考えたときには、もう目の前にはない」

会期:2016/01/30~2016/02/21

横浜市民ギャラリーあざみ野 展示室1[神奈川県]

1984年、沖縄出身の石川竜一は、いま最も期待が大きい若手写真家の一人といえるだろう。2015年に『絶景のポリフォニー』(赤々舎、2014)、『okinawan portraits 2010-2012』(同)で第40回木村伊兵衛写真賞を受賞し、抜群の身体能力を活かしたスナップ、ポートレートで新風を吹き込んだ。今回の横浜市民ギャラリーあざみ野での個展では、二つのシリーズだけでなく、その前後の作品も合わせて展示してあり、彼の作品世界の広がりと伸びしろの大きさを確認することができた。
最初のパートに展示されていた「脳みそポートレイト」(2006~08)と「ryu-graph」(2008~09)が相当に面白い。スナップやポートレートを撮影しはじめる前に制作された実験作で、「脳みそポートレイト」では、クローズアップされた身体の一部の画像をコラージュして、ぬめぬめとした奇妙な生きものの姿を造り上げている。「ryu-graph」は「印画紙上に直接溶剤を使用しながら形態をイメージ化した」抽象作品である。彼の中にうごめいていたコントロールできない衝動を、そのまま形にしていったとおぼしき写真群で、それが『絶景のポリフォニー』や『okinawan portraits 2010-2012』で解放され、「写真」として秩序づけられていったプロセスがよく見えてきた。近作の「CAMP」(2015)にも瞠目させられた(SLANTから写真集としても刊行)。最小の装備で山の中に入り、現地で食物を確保していくサバイバル登山家とともにキャンプしながら、石川県、秋田県の山中で撮影されたシリーズで、壮絶な美しさを発する自然環境の細部が、震えつつ立ち上がってくる。都市を舞台に撮影を続けてきた石川の新境地というべき作品群で、今後の展開が大いに期待できそうだ。
なお、本展は「あざみ野フォト・アニュアル」の一環として開催されたもので、展示室2では「『自然の鉛筆』を読む」展が開催されていた。「世界最初の写真集」であるイギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットの『自然の鉛筆』(The Pencil of Nature,1844-46)の収録作品に、横浜市所蔵の写真・カメラコレクション(「ネイラー・コレクション」)からの約100点を加えて、19世紀以後の写真表現を辿り直そうとしている。ちょうど『自然の鉛筆』の日本語版(赤々舎)が刊行されたばかりというタイミングでもあり、時宜を得た好企画といえるだろう。

2016/02/19(金)(飯沢耕太郎)