artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

梁丞佑「新宿迷子」

会期:2016/01/15~2016/02/10

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

梁丞佑(ヤン・スンウー)は韓国出身の写真家。1996年に来日し、2006年に東京工芸大学大学院芸術学研究科を修了した。同大学在学中から、被写体に寄り添うように撮影するプライヴェート・ドキュメンタリー作品を発表して「写真新世紀」等のコンペに入賞し、注目を集めるようになる。2012年のZEN FOTO GALLERYでの個展「青春吉日」(同名の写真集も刊行)は、韓国のアウトローたちを記録したシリーズで、体を張った彼らの生き方への、切ないほどの共感が伝わってくる佳作だった。
今回展示された「新宿迷子」は、1998~2006年に新宿歌舞伎町界隈で撮影されたスナップ写真を集成したもので、「青春吉日」の続編にあたる。ヤクザ、警察官、ホームレスなど、いつもながら「よくここまで撮れるものだ」と感じてしまう過激な写真が並ぶが、その中に路上で遊んだり、寝ころんだりしている子供たちの姿が目についた。親が歌舞伎町で働いているので、その帰りを待ちながらたむろしているのだという。とはいえ、彼らに全面的に感情移入するのではなく、リスペクトしつつも、むしろ突き放すような撮り方をしているのがいかにも梁らしい。
これらの写真に撮影された、血を騒がせるような光景は、東京オリンピックに向けた「浄化作戦」で、表面的には消えてしまっている。だが逆に、どこかに奥深く潜伏しているのではないかとも思う。撮りにくくなっているとは思うが、ぜひ新宿で撮影を続けていってほしいものだ。

2016/02/05(金)(飯沢耕太郎)

野町和嘉「天空の渚」

会期:2016年1月15日(金)~2016年2月14日(日)

916[東京都]

19世紀の写真の発明公表以来、写真家たちはまだ見ぬ未知の世界のイメージを採集し、それらを持ち帰ることに情熱を傾けてきた。写真を見る観客の欲求に応えるように、彼らはさらに遠くにある、よりスペクタクルな事象を撮影しようとしてきたのだが、野町和嘉の仕事はまさにその系譜に連なるものといえるだろう。デビュー作の『SAHARA』(1977、日本語版は1978)以来、ナイル川流域、チベット、メッカ巡礼、インドの聖地、アンデス奥地など、撮影の範囲を全世界に広げ、雑誌掲載、写真集、写真展などを通じて、スケールの大きな写真群を発表し続けてきた。
今回の「天空の渚」も、圧倒的な「遠さ」と「大きさ」を感じさせるシリーズである。2015年初頭、野町は中南米のメキシコ、ボリビア、チリ、アルゼンチンを巡る旅に出た。めくるめく装飾に彩られたメキシコのサンタマリア・トナンツィントラ教会、「天空の鏡」と化したボリビアのウユニ塩原、青みがかった氷が絶えず崩れ落ちるアルゼンチンのペリト・モレノ氷河、マゼラン海峡に取り残された巨大な廃船──それらを撮影するために5060万画素のデジタル一眼レフ、キヤノンEOS 5Dsが駆使されている。結果的に、今回の作品もまた、未知の世界に出会いたいという観客の欲求を満たす視覚的なエンターテインメントとして、充分に成立していたと思う。
ただ21世紀を迎え、あらゆるイメージに既視感がつきまとうようになってしまった現在、「遠さ」と「大きさ」を供給し続ける営みが、どこまで続けられるのかという疑問は残る。デジタルカメラの高画素化も、そろそろ限界に近づきつつあるのではないだろうか。野町の、ある意味愚直な撮影ぶりがどこまで突き抜けていくのか、その行方を見てみたい。だが逆に、足元に目を転じることで、別の眺めが見えてくるのではないかとも思う。

2016/02/03(水)(飯沢耕太郎)

作家ドラフト2016 近藤愛助 BARBARA DARLINg

会期:2016/02/02~2016/02/28

京都芸術センター[京都府]

若手アーティストの発掘・支援を目的に行なわれる京都芸術センターの公募企画展。今年は美術家の小沢剛が審査員を担当し、104件の応募の中から近藤愛助とバーバラ・ダーリンの展示プランが採用された。近藤は、移民としてサンフランシスコで暮らし、第2次大戦中に日系移民収容施設に入った経験を持つ曾祖父の人生を、遺品、写真、映像などでたどるインスタレーションを発表。国家や時代に翻弄される人間の姿を描きながら、現在ドイツに住む自身の姿とも重ね合わせていた。一方、ダーリンの作品は上映時間約10時間の長尺映像作品。東京から青森まで自動車で旅する男女の姿を、ほぼ後部座席からの車載カメラで捉えている。ほかに宿泊、食事、寄り道などの場面もあるが、「愛している」の一言以外2人の音声は消去され、外部の音も一部の場面以外は聞こえない(ちなみに筆者は2時間以上粘ったが、台詞を聞けなかった)。両者の作品に共通するのは、個人的な記憶がテーマになっていることであろうか。強度のある表現が個人の枠を突き破り、普遍性へと至る可能性を示すこと。小沢が2人を選んだ意図はそこにあったと思う。

2016/02/02(火)(小吹隆文)

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地霊 ──呼び覚まされしもの~東川賞コレクションより~

会期:2016/01/30~2016/05/15

十和田市現代美術館[青森県]

北海道上川郡東川町で1985年から開催されている東川町国際写真フェスティバル。それにあわせて毎年東川賞(海外作家賞、国内作家賞、新人作家賞、特別作家賞、飛彈野数右衛門賞)が選定され、受賞者の作品を収集してきた。30年以上にわたるそのコレクションは2300点以上にのぼるという。その中から20人の写真家たちの作品約120点を選び、筆者がゲスト・キュレーターとして構成したのが、十和田市現代美術館で開催された「呼び覚まされしもの」展である。
「地霊」(ゲニウス・ロキ)というのは、それぞれの土地に根ざした守護霊のことである。東川賞の受賞者たちの作品を見ているうちに、写真家たちが意識的、あるいは無意識的に、「地霊」の存在を感じとりつつ撮影した写真がかなりたくさんあるのではないかと思えてきた。それらを「第一部 生と死をつなぐもの」(小島一郎、須田一政、グラシエラ・イトゥルビーデ[メキシコ]、荒木経惟、深瀬昌久、高梨豊、猪瀬光、アントワーヌ・ダガタ[フランス]、小山穂太郎、鈴木理策、オサム・ジェームス・中川[アメリカ]、志賀理江子、川内倫子)、「第二部 土地と暮らし」(飛彈野数右衛門)、「第三部 精霊との交歓」(掛川源一郎、金秀男[韓国]、クラウディオ・エディンガー[ブラジル]、マニット・スリワニチプーン[タイ]、宇井眞紀子、ヨルマ・プラーネン[フィンランド])の三部構成で展示している。
年代的にも、地域的にも、作風においても、かなり幅の広い人選だが、「地霊」というテーマの下にくくると、写真同士が相互に共鳴して、意外なほどの共通性が見えてきたのが興味深かった。圧巻は、東川町に生まれ育って、役場に勤務しながら街の暮らしを細やかに記録し続けた飛彈野数右衛門の写真群だった。今回はスペースの関係で40点余りしか展示できなかったのだが、その全体像をきちんと見ることができる機会がほしい。飛彈野の写真に限らず、東川賞コレクションにはさまざまな展覧会の企画を実現できる可能性が含まれていると思う。ほかの美術館やギャラリーでも、ぜひ別な切り口での展示を期待したいものだ。

2016/01/30(土)(飯沢耕太郎)

FUKUSHIMA SPEAKS アートで伝え考える 福島の今、これからの未来

会期:2016/01/22~2016/01/31

京都造形芸術大学 ギャルリ・オーブ[京都府]

東日本大震災と福島第一原発事故の後、文化芸術の力による福島の復興を目指し福島県で始められた「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」。本展は、その活動から生まれた美術作品を紹介し、復興に向かう現地の姿を伝えると同時に、問題意識の共有を図ろうとするものだ。出展作家は、美術家の岡部昌生と安田佐智種、華道家の片桐功敦、写真家の赤坂友昭と本郷毅史の5名。彼らがそれぞれの視点と手法で捉えた福島は、圧倒的なスケール、真摯な眼差し、鎮魂の情をもってこちらに迫ってきた。出展作家や福島県の美術館・博物館学芸員が参加したトークイベントも多数開催され、主催者の意図はひとまず達成されたと思う。1995年の阪神・淡路大震災の折、関西在住の筆者は東京発の報道に隔靴掻痒の感を幾度も覚えた。そして今、自分は逆の立場にいる。当時の記憶と現在の被災地への思いを風化させないために、このような機会を設けてくれた主催者に感謝したい。

2016/01/26(火)(小吹隆文)