artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

殿村任香「orange elephant」

会期:2016/03/09~2016/04/02

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

母親と恋人との情事を撮影した、あの衝撃的な『母恋 ハハ・ラブ』(赤々舎、2008)、クラブ勤めの日常を活写した『ゼィコードゥミーユカリ』(ZEN FOTO GALLERY、2013)。殿村任香の仕事には、いつでも白刃をひらめかせるような凄みを感じる。だが、今回ZEN FOTO GALLERYで展示され、同名の写真集も刊行された「orange elephant」のシリーズは、どちらかと言えばおとなしげで、穏やかな微光に包み込まれているように感じた。「祖母」を撮影した一枚を除いては、そこに何が写っているのかさえ判然としない。最初に見た時には、どこか弱々しい印象さえ受けてしまった。
どんな写真家でも、長くハイテンションを保ち続けるのはむずかしいので、殿村もそういう時期に来ているのかもしれないと思った。だが、何度か見直しているうちに、このシリーズも一筋縄ではいかない、したたかな作品であることがじわじわと見えてきた。今回殿村が狙いを定めているのは、これまでのように、彼女の目の前に否応なしに出現してきた身も蓋もない現実ではない。むしろ現世の光景を、遥か彼方から見つめているような、あるいは「300年後の誰か」にメッセージを送ろうとしているような、遠い眼差しを感じさせる。「見えないものを見る」、あるいは「目を瞑って見る」ために、あえて幽体離脱を試みているような写真群なのだ。
その試みがうまくいったのかといえば、正直よく分からないところがある。だが、今回の展示にヴィヴィッドに反応したのが、ほとんど女性の観客だったということを聞いて、納得するところがあった。このシリーズでは、意味や観念ではなく身体レベルでの反応の速度と精度を、極限近くまで高めることで、それこそ子宮が共振するような視覚効果が生まれつつあるのかもしれない。

2016/04/02(土)(飯沢耕太郎)

山岸俊之展「四十九日の空」

会期:2016/03/28~2016/04/02

なびす画廊[東京都]

市川市に住む作者が江戸川の河原を撮った風景写真。といっても画面の大半は空に占められている。タイトルから察するに、個人的な体験に基づく作品かと思ったら、本人いわく「まるで四十九日を過ぎ彼岸に行ってしまった私が空から此岸をみているよう」な風景だという。そして「ごく見慣れた風景が永遠性を帯びる瞬間を常に待っている」と。写真は自作の額や大型カメラのフィルムを装填するフレームに入れ、破格の値段で分けている。新作を世に問うとか、独自の表現を追求するといった力みもなく、ましてや金もうけとは無縁の、もうひとつ別の貸し画廊の使い方。

2016/04/01(金)(村田真)

比舎麿「シシ─獣じみた─」

会期:2016/03/22~2016/04/02

The White[東京都]

1988年、京都府に生まれ、2012年に東京綜合写真専門学校を卒業した比舎麿が撮影しているのは「シシ垣」である。「シシ垣」というのは「害獣から田畑の作物を守るために」江戸時代以来築かれてきた石垣のこと。時が経つにつれて、獣によって壊されたり、自然現象で崩壊したりして、その形が少しずつ失われていく。比舎はそれらが次第に「獣じみた」様子になっていくことに興味を抱き、撮影を続けてきた。今回の神田・猿楽町、The Whiteでの個展では、伝統的な「シシ垣」のたたずまいだけでなく、電流を通したフェンス、シカの死骸、ニホンザルの群れなど、それらを取り巻く環境の写真も同時に展示していた。
近年、都市化が進み、山が荒れてきて、シカやイノシシやサルなどの「害獣」の数が増えて、人里に降りてくるようになったという話をよく聞く。クマなどに遭遇する機会も増えてきているようだ。自然と人間の領域とのボーダーラインがあやふやになってきているわけで、歴史を経た「シシ垣」は、その変化を見るのにとても興味深い指標となるのではないだろうか。ただ、今回の展示は、写真の数や内容においても、見せ方においても、まだまだ充分とはいえない。さらに粘り強く撮影を続け、写真シリーズとしてより緊密に構築していけば、日本の生態系のメカニズムをユニークな視点から捉え直すことができるはずだ。テーマは面白いのだから、ここから先の積み上げが大事になってくるだろう。

2016/03/31(木)(飯沢耕太郎)

沢渡朔「Nadia」

会期:2016/03/18~2016/04/10

AKIO NAGASAWA Gallery[東京都]

沢渡朔は『カメラ毎日』1971年11月号から1年にわたって「Nadia」のシリーズを連載する。1978年には写真集『Nadia 森の人形館』(毎日新聞社)が刊行された。このシリーズは、日本人写真家が外国人女性をモデルに撮影したヌード写真ということだけでなく、写真家とモデルとの関係のあり方をあらためて問い直す画期的な作品となった。沢渡とイタリア人女性のナディア・ガッリィは、撮影当時に恋愛関係にあり、そこには男女の心理の綾や、時にモデルに対して距離を置いたり、冷酷に突き放したりするような写真家の駆け引きのあり方が、なまなましく露呈していたからだ。1年のあいだに日本とイタリアを往復しながら撮影された写真群は、フィクションとノンフィクションが見境なく混じりあう、ある種の「私写真」として成立していたといってもよいだろう。
今回、AKIO NAGASAWA Galleryで展示された新編の「Nadia」は、「シリーズ全てのネガを見直し、現在の視線で今後に残したいと考えるものを新たにセレクト」したものだという。結果的に、そこには「未発表作品」が多数展示されることになった。このシリーズを現時点でどのように評価できるのか、愉しみと不安を両方抱えて見に行ったのだが、作品としての生命力がまったく衰えていないことがわかって安心した。沢渡自身の代表作であるとともに、このシリーズが、1970年代という日本写真の変革期が孕んでいたエネルギーに支えられて成立したものであることを、あらためて確認することができたのだ。なお、今回の展示にあわせて、モノクローム作品とカラー作品をそれぞれ収録した2冊組の写真集『Nadia b/w』(Akio Nagasawa Publishing)と『Nadia color』(同)が、各600部限定で刊行されている。

2016/03/24(木)(飯沢耕太郎)

高橋宗正「石をつむ」

会期:2016/03/10~2016/04/28

PGI[東京都]

高橋宗正が本展のプレスリリースに、作品制作の動機について書いている。それによれば、ある洞窟の中で積み石を見て、自死した友人のことを思い出し、「彼が最後の場所に選んだ森」に入って「ぼくの石を積もう」と考えたのだという。むろん、実際に石を積むのではなく「いつか写真にとろうと思っていたものを撮影して一つずつ手放して」いくということだ。そんな時にスペインに行く機会があり、巡礼の最終地点である「世界の終わり」と呼ばれる場所に、やはり積み石を見つけた。それを見て「終わりというよりは始まりという言葉が似合う」と思ったのだという。終わりがないように思えた撮影の作業に、ひとつの区切りがついたということだろう。
たしかに、写真を撮るという行為はどこか石を積むことと似ている。そのことで何かが生まれるとか変わるとかということは抜きにして、とりあえず石を拾い上げ、積み上げていくように、指先に全神経を集中してシャッターを切る。結果的に、それが鎮魂の意味を持つこともあるのだろう。今回の高橋の仕事は、動機の切実さが、すべて縦位置の端正なモノクローム・プリントの質感によく見合っているように感じた。とはいえ、34点の展示作品を見ていると、「森」で撮影されたと思しき植物、昆虫などに加えて、ヌードなどを含んだシリーズ全体のあり方に、隅々まで神経が行き届いているようには見えない。写真の選択、構成が、やや場当たり的、表層的に見えてしまうのだ。これで一区切りというにはまだ物足りない。もう少し、じっくりと時間をかけて熟成させていくべきテーマのようにも思える。

2016/03/24(木)(飯沢耕太郎)