artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
長島有里枝「家庭について/ about home」
会期:2016/03/16~2016/04/23
MAHO KUBOTA GALLERY[東京都]
東京・神宮前に新しいギャラリーがオープンした。元白石コンテンポラリーアートの久保田真帆さんがオーナーの、現代美術専門の商業ギャラリーだが、そのこけら落としとして、長島有里枝の「家庭について/ about home」展が開催された。
長島は1993年のデビュー以来、「家族」をテーマにした写真作品をコンスタントに発表し続けてきた。だが、2010年に刊行した『SWISS』(赤々舎、展示は白石コンテンポラリーアート)のあたりから、その取り組みの姿勢が変わってきたと思う。以前のように、直接的に「家族」を被写体として撮影し、生々しい関係を写し込んでいくのではなく、やや距離を置きつつ、「家族」と過ごした時間や、そこで積み上がってきた記憶を辿ろうとしているのだ。
『SWISS』では、祖母が遺した花の写真が重要な要素となっていたのだが、今回は母と共同作業で布や衣服を繋ぎあわせたテントを制作した。テントの素材には長島の息子が小さかった頃の服や、ヴァージニア・ウルフの言葉を刺繍した布などが使われており、「母とわたしの関係性─家族という関係性」が再構築されている。さらに、台所の一部や身近な人たちのポートレートなどを含む大小の写真群が、テントと呼応するように壁に貼られており、全体として、「家族」のイメージを透して見た「女性の経験」が緩やかに浮かび上がってきていた。アーティストとしての成熟を感じさせるいい展示だと思う。このシリーズは、ぜひ写真集としてもまとめてほしいものだ。
MAHO KUBOTA GALLERYのアーティストは、今のところ写真家は長島だけだが、今後はジュリアン・オピーや富田直樹のように、写真を下絵として絵画作品を制作する作家の展示も予定している。写真と現代美術の境界領域で活動するアーティストを、積極的にフォローしていってほしい。
2016/03/16(水)(飯沢耕太郎)
Symposium, “New Directions in Japanese Art and Architecture after 3/11”
会期:2016/03/11
Japan Society Gallery[アメリカ、ニューヨーク]
震災から5年ということで、ジャパン・ソサエティーのシンポジウム「New Directions in Japanese Art & Architecture after 3/11」が開催された。僕は企画に携わったあいちトリエンナーレ2013や「3.11以後の建築」などの展覧会を通じて、アートと建築における状況とその変化を紹介し、志賀理江子さんは村のカメラマンとしての活動、米田知子さんは自作の経緯と離れた場所からの震災について語る。記憶がテーマになったように思う。
2016/03/11(金)(五十嵐太郎)
In the Wake: Japanese Photographers Respond to 3/11
会期:2016/03/11~2016/06/12
Japan Society Gallery[アメリカ、ニューヨーク]
吉村順三が設計したニューヨークの《ジャパン・ソサエティ》へ。和風の表現として、ルーバーの利用は、ここからすでに始まっていた。そしてギャラリーの「In the Wake: Japanese Photographers Respond to 3/11」展のオープニングに出席する。ボストン美術館からの巡回であり、畠山直哉、米田知子、志賀理江子、荒木経惟、北島敬三ほか、日本では馴染みの写真家の作品が海外で集結している。なお、会場の構成、作家の順番は大幅に変えたようだ。ところで、「In the wake」展の名称は、あいちトリエンナーレ2013でも「揺れる大地」の英語タイトルをさんざん議論して「awakening」と決めたので興味深い。オープニングでは、MoMAの日本建築展を企画し、現在はリスボンでミュージアムのディレクターとなったペドロと再会した。
2016/03/10(木)(五十嵐太郎)
TARYN SIMON
会期:2016/02/18~2016/03/26
ガゴシアン・ギャラリー[アメリカ、ニューヨーク]
ホイットニー美術館の足元から始まるハイラインに沿って北上する。厳寒時とは違い、春は多くの人が憩いの場として楽しむ。ハイラインはさらに北に延長され、さまざまな仕掛けの場も増えたようだ。途中で一度降りて、ガゴシアン・ギャラリーを訪れる。タリン・サイモン展は、一見生花のような写真だが、そこに意味を込める。ともあれ、ハイラインは相変わらず、カッコいいと同時に新しい公共の場所をつくり出すことに成功している。日本の景観派は首都高解体さえすればいいとか、渋谷川復活とかの後向きだが、他の可能性を考えられないものか。
写真:左=上から、ハイラインとホイットニー美術館、ハイライン、右=上から、ハイライン、ガゴシアン・ギャラリー
2016/03/10(木)(五十嵐太郎)
「屋須弘平 グアテマラ140年のロマン」
会期:2016/01/23~2016/03/27
あーすぷらざ3階企画展示室[神奈川県]
屋須弘平(1846~1917)は現在の岩手県一関市藤沢町の蘭方医の家に生まれ、17歳で江戸に出て医学、フランス語、スペイン語などを学ぶ。1874年に金星の太陽面通過を観測するために来日したメキシコ調査隊の通訳となり、75年にメキシコに渡った。76年にグアテマラに移り、80年にグアテマラ市で写真館を開業、以後一時帰国を挟んで、1917年に亡くなるまでグアテマラ市と古都 アンティグアで「日本人写真師」として活動した。
1985年、グアテマラに長期滞在していた写真家、羽幹昌弘が「ある古都の一世紀 アンティグア グァテマラ 1895-1984」(東京デザイナーズスペースフォトギャラリー)と題する写真展を開催した。数年前に再発見された屋須のネガからプリントしたアンティグアの風景・建築写真と、羽幹が1980年代に同じ場所を同じアングルから撮影した写真群を並置した写真展だった。僕はたまたまその展覧会を見て、屋須の写真家としての能力の高さに感嘆するとともに、アンティグアの街並が一世紀前とほとんど変わっていないことに驚いた。それをきっかけにして、屋須について調べ始め、当時『芸術新潮』誌に連載していた「フットライト 日本の写真」の原稿を執筆するため、アンティグアを訪ねることができた。その「グアテマラに生きた写真家 屋須弘平」という記事は、のちに『日本写真史を歩く』(新潮社、1992)におさめられることになる。
そういうわけで、屋須弘平の仕事はずっと気になっていたのだが、今回、横浜市栄区のあーすぷらざで、藤沢町に寄贈された屋須の遺品と遺作の回顧展が開催されることになり、久しぶりにその全貌に触れることができた。あらためて、屋須とその養子のホセ・ドミンゴ・ノリエガの写真群はとても面白いと思う。技術力の高さだけでなく、当地のキリスト教文化との密接な関係が、聖職者の肖像写真や教会の建築写真によくあらわれているからだ。また、アンティグアとその周辺の村を撮影したスナップ的な写真群も残っており、少しずつ写真家としての意識が変わりつつあったことが伺える。
今回は、羽幹昌弘の「ある古都の一世紀 アンティグア グァテマラ 1895-1984」に展示されていた写真も出品されており、懐かしさとともに、時を越えて異空間に連れ去られるような彼の写真の力を再確認することができた。来年は、屋須の没後100年にあたり、グアテマラの日本大使館でも記念イベントが予定されているという。さらなる研究の進展が期待できそうだ。
2016/03/06(日)(飯沢耕太郎)