artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

守屋友樹「gone the mountain / turn up the stone: 消えた山、現れた石」

会期:2015/04/14~2015/04/26

Gallery PARC[京都府]

マッターホルンの山の写真を出発点に、複数の写真や立体の空間的配置の中で、「山」をめぐるイメージが連鎖的に反応し、意味の獲得と喪失を繰り返しながら、記憶と認識のズレについて問いかける。岩石を写したと思しき写真は、山の部分が切り抜かれた写真を見た後で目にすると、切り抜かれた山の形なのかただの石ころなのか判然とせず、意味の曖昧な領域へと漂い始める。小高く盛り上がった雪面を写した写真は、山の形が切り抜かれた写真の白い空白と響き合う。くしゃくしゃにした紙切れの写真は山の稜線をなぞり、脱ぎ捨てられた衣服の写真もまた、峡谷のイメージへと錯覚を誘う。逆さまに掛けられた山岳写真の中の輪郭線は、ネオン管のラインへと置き換えられ、白々しく空間を照らし出す。イメージの目まぐるしい転移、反復、連鎖の中で、「マッターホルン」という固有名は失われていく。
このようにして、守屋友樹は、写真イメージのもつ多義性と戯れ、かつ三次元のモノへと展開し、イメージ同士が干渉し合う磁場を作り上げることで、自由な連想の遊戯へ誘うと同時に、記憶と認識の危うさを突きつける。それはまた、写真は複数の意味を多義的に呼び込める場であるからこそ、逆説的に、写真それ自体は次々と意味を充填されることを待ちかまえる空白に他ならないことを暴き出している。

2015/04/22(水)(高嶋慈)

尾仲浩二「海町」

会期:2015/04/17~2015/05/30

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

「海町」は尾仲浩二が1990年代に八戸、宮古、釜石、陸前高田、気仙沼、石巻、塩竈、小名浜など、東北地方の太平洋岸を旅して撮影した写真をまとめたシリーズ。既に2011年にSUPER LABOから写真集として刊行されているが、あらためてプリントの形で展示された35点を見て、思いを新たにした。尾仲にとっても、重要なシリーズとして位置づけられていくのではないだろうか。
写真が撮影された1991~97年頃は、尾仲が最初の写真集『背高あわだち草』(蒼穹舎、1991年)と二番目の写真集『遠い町・DISTANCE』(mole、1996年)を刊行し、自分の写真撮影のスタイルを確立しようともがいていた時期だ。日本各地に旅を続け、目についた被写体にカメラを向け、シャッターを切っては次の場所に向かう。そんな「旅と移動の日々」の中から、一見さりげなく、穏やかに見えて、記憶に食い入るような強い喚起力を備えたスナップショットが生み出されていくことになる。この「海町」を見ても、写真に写っている街並にまつわりつく湿度や空気感が、皮膚にじわじわと浸透してくるように感じられた。
だが、このシリーズを見ていてどうしても強く意識してしまうのは、ここに写されている港町の景色が、今はほとんど失われてしまっているということだ。いうまでもなく、東日本大震災後の大津波によって、これらの街々は大きな被害を受けた。灯りがついたばかりの黄昏時の「呑ん兵衛横町」も、古い写真館も、「まや食堂」も、「スナックロマン」も、「大衆食堂ラッキーパーラー」も、おそらくもう残っていないだろう。それが尾仲の写真の中にそのままの姿で息づいていることに、あらためて大きな衝撃を受けた。「それはもう僕だけの旅の思い出だけではなくなっていることに気づいたのです」と、尾仲は写真展に寄せたテキストに記しているが、その感慨は彼だけではなく、写真を見るわれわれ一人ひとりが共有できるものになりつつあるように思える。

2015/04/22(水)(飯沢耕太郎)

佐藤雅晴「1×1=1」

会期:2015/04/18~2015/05/23

imura art gallery[京都府]

椅子に座ってショートケーキを食べる双子の姉妹、同じ姉妹の立ち姿、2個のショートケーキなど、2人(つ)尽くしの作品が並んでいる。それらは写真画像を元にコンピューター上で描いた絵画をプリントしたものだ。1人(つ)のモデルをダブルにしたのは違和感の演出であろう。作品のディテールを凝視すると、それが絵画だと分かる部分もある。しかし説明を受けなければ、多くの人が写真だと思い込むに違いない。この写真ともCGとも絵画とも言い切れないビジュアルの薄気味悪さは何だろう。来るべき世界を先取りしているから? 美しい外見とは裏腹に、モヤモヤが募る作品であった。なお本展には、漫画のコマ割りを流用したマルチ画面の映像作品もあった。画面に映る時計の時刻から、東日本大震災に言及したものと思われる。

2015/04/21(火)(小吹隆文)

楢橋朝子 写真展「biwako 2014-15」

会期:2015/04/15~2015/04/26

galleryMain[京都府]

楢橋が近年取り組んでいる、水面から風景を撮るシリーズの最新版。昨年から今年にかけて琵琶湖を取材したシリーズ約30点を展示している。自ら琵琶湖に入り、足がぎりぎり着く程度の位置から岸を撮影した作品は、撮影場所、天候、季節の違いにより様々な表情を見せる。しかし本作の真の主役は「水」そのもの。その浮遊感、漂流感、時には大波が襲い、作家が翻弄されている様子も伝わる。本作のテーマは、生と死の境界から現世を見ることではなかろうか。ちなみに本展は、Gallery Mainの移転リニューアル第1弾となる。以前に比べて大幅に増床した展示室を見て、同画廊の今後ますますの躍進を確信した。

2015/04/21(火)(小吹隆文)

福岡陽子「本と物語、または時間の肖像」

会期:2015/04/20~2015/04/25

森岡書店[東京都]

本には、それ自体に写真の被写体としての独特の魅力があると思う。特に長い年月を経て現在まで残っている古書は、まさに「時間の肖像」とでもいえるような存在感を発しており、そこからさまざまな物語を引き出せそうな気がしてくる。福岡陽子は、ここ10年ほど古書店で洋書を扱う仕事をしており、次第にそれらを写真に撮ってみたいと思うようになった。2010年頃から17世紀~19世紀に出版された書籍を撮影しはじめる。その中から選んで、壁に10点、机の上に4点、ケースの中に1点展示したのが今回の個展である。
福岡のアプローチは、奇を衒ったものではなく、まず本をしっかりと観察し、細部に眼を凝らしつつ、その一部をクローズアップして提示している。そのことによって、革の表紙のほつれ、経年変化によって黄ばんだ紙、かすれた文字などが、あたかも生きもののような生々しさをともなって立ち上がってくる。それはまさに、本を「肖像」として撮影するという試みなのだが、そのプロセスが無理なく、自然体でおこなわれているように感じられるのは、彼女が長年古書を扱ってきたためだろう。いわば、それぞれの本を最も魅力的に見せる勘所のようなものを、正確に把握していることが伝わってきた。
会場構成で気になったのは、展示作品の上方の壁に、切り離された洋書のページが「鳥の群れ」のように貼り付けてあったことだ。アイディアは悪くないが、インスタレーションとしての精度を欠いているので、やや取ってつけたように見えてしまう。それと、そろそろ撮り方がパターン化しはじめているように思える。本というテーマには、まだまだ可能性があると思うので、違う方向からのアプローチも試みてほしい。

2015/04/21(火)(飯沢耕太郎)