artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

塩谷定好作品展

会期:2015/05/01~2015/07/31

フジフイルムスクエア写真歴史博物館[東京都]

塩谷定好(1899~1988)は鳥取県東伯郡赤碕町(現琴浦町)出身の写真家。裕福な廻船問屋の後継ぎだったが、家業を弟に譲って、写真撮影と制作に生涯を費やした。1928年創設の日本光画協会の会員として、「ベス単」カメラによるソフトフォーカス表現、印画紙を撓めて引き伸す「デフォルマシオン」などの技法を駆使して、大正・昭和初期の「芸術写真」の中心的な担い手の一人となった。同じ鳥取県境港出身の植田正治は、「塩谷さんといえば、私たちにとって、それは神様に近い存在であった」と常々語っていたという。
塩谷の作品は、一時やや忘れられた存在になっていたが、1970年代に欧米諸国で再評価の気運が高まり、国内外の美術館に収蔵されるようになった。今回の展示は、明治40年頃に建てられたという生家を改装した「塩谷定好写真記念館」に収蔵されている25点によるものであり、ほとんど公開されていない作品が多かった。これまではどちらかといえば、山陰のローカルカラーが色濃く滲み出ている、重厚な風景や人物写真が目についていたのだが、スキーのシュプールを写した「氷ノ山にて」(1938年)や「伯耆大山にて」と題された1920~30年代の山歩きの写真など、スナップショット的に切り取られた軽快な作品もかなりあることがわかった。二人の人物の脚を下から狙って撮影した「無題」(1927年)の斬新なカメラアングルには、モダニズム写真の息吹も感じられる。「日本芸術写真のパイオニア」という塩谷の位置づけも、もう一度見直していくべき時期に来ているのではないだろうか。

2015/05/02(土)(飯沢耕太郎)

西村多美子「猫が...」

会期:2015/04/24~2015/05/16

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

1969年に東京写真専門学校(現東京ビジュアルアーツ)を卒業した西村多美子の雑誌デビューは『カメラ毎日』(1970年8月号)の「4 GIRL PHOTOGRAPHERS」という特集だった。渡辺眸、鹿間英子、中西喜久枝とともに、写真学校を卒業したばかりの女性写真家たちの作品が、それぞれ2~3ページずつ特集されたのだ。
たまたま家に泊まりがけで遊びにきた女友だちをスナップしたこのシリーズは、東京写真専門学校在学中の「状況劇場」の役者たちの写真とも、70年代以降に日本各地への旅を重ねて撮影された「しきしま」のシリーズとも違って、まさに偶然の産物というべきだろう。至近距離から、寝転がっているモデルの姿を撮影し続けた一連のショットには、のびやかな開放感とともに濃密なエロティシズムを感じる。『カメラ毎日』の編集部で、作品ページの構成を担当していた山岸章二に写真を見せたところ、「多美子がお行儀の悪い写真を撮ってきた。でもおもしろい」と評されたのだという。たしかに「女の部屋に飼われた猫」のようなモデルを、あくまでも「女」の目でとらえようとしていることが、その「お行儀の悪い」、ふわふわと宙を舞うようなカメラワークからしっかりと伝わってくる。
今回展示された18点は、しまい込んでいて、たまたま見つけ出したネガから再プリントしたのだという。西村自身は、このような仕事をさらに展開していくことはなかったのだが、四半世紀後の90年代半ばに登場してきた女性写真家たちの、「女」の視点を強力に打ち出した写真の先駆けとなる作品といえそうだ。展示を見て、2つの世代のつながりと断絶を、もう一度考え直したいと思った。なお、展覧会にあわせて、ZEN FOTO GALLERYから同名の写真集が刊行されている。

2015/05/01(金)(飯沢耕太郎)

國府理の仕事と仲間たち

会期:2015/05/01~2015/05/30

ARTCOURT Gallery[大阪府]

昨年4月に急逝した國府理を偲んで、彼の作品15点と、彼と交流のあった仲間たちの出品物65点(作品37組、文章28名)から成る展覧会が開催された。筆者と國府の出会いは、彼が1994年に発表した《電動三輪自動車》にさかのぼる。その後も機会があるごとに作品を見てきたが、このように改めて彼の仕事を振り返る機会を得ると、やはり感慨を禁じ得ない。國府の作品は、前述した《電動三輪自動車》の他、《ROBO Whale》、《Sailing Bike》、《Parabolic Garden》などが展示された。それに花を添えたのが、仲間たちの65点である。國府理というアーティストが、どれだけ多くの人に愛され、影響を与えたかがよく分かる。今後は同輩や後輩のアーティストが、彼のスピリットを継承してくれるであろう。

2015/05/01(金)(小吹隆文)

山崎弘義「DIARY 母と庭の肖像」

会期:2015/04/28~2015/05/04

新宿ニコンサロン[東京都]

大隅書店から刊行された同名の写真集に目を通していて、山崎弘義の「DIARY 母と庭の肖像」については、ある程度理解しているように思っていた。だが、作品27点(うち5点は大伸ばし)による新宿ニコンサロンでの展示を見て、違う景色が見えてきたように感じた。
一つは、認知症の母親のポートレイトとカップリングされた庭の片隅を撮影した写真についてである。どうしても、母親の方に目が行きがちなのだが、「日記」として同じ日に撮影された「庭の肖像」の方もなかなか味わい深い写真群であることが見えてきた。母親の顔つきや身体の変化と呼応するように、庭もまた姿を変えていく。秋から冬へ、そして春が巡ってくるとともに、植物たちも枯れてはまた芽吹く。よく見ると、草木の生え方も、前の年とはかなり様相が変わっていることに気がつく。つまり、自然という「もう一つの時計」がこの作品には組み込まれているわけで、そのことが重要な意味を持っていることがよくわかった。
もう一つは、写真に付されたキャプションが、作品全体に柔らかなふくらみを与えているということだ。むろん介護の過程の描写は、切実に身につまされるものが多いのだが、そこにほんのりとしたユーモアを感じることがある。「(母親が)盛んに服を脱ごうとする。脱ぐ...。私「やめろ」。脱ぐ...。私「やめろ」。脱ぐ...。私「やめろ」」(2002年2月27日)という件を読んで、思わず笑いがこみ上げてきた。言葉と写真との呼吸が、絶妙としかいいようがない。
写真集が刊行され、写真展が開催されて、このシリーズも一区切りという所だろう。それでもこれで終わりというのではなく、また別の形で続いていきそうな気がしてきた。写真の大きさ、出品(掲載)点数なども、まだ確定する必要はないと思うし、その後に撮影された写真とのコラボレーションも充分に考えられそうだ。むろん「DIARY──母と庭の肖像──」以後の新作にも期待したいが、山崎にとって、このシリーズは今後の写真家としての活動の基点になっていくのではないだろうか。

2015/04/30(木)(飯沢耕太郎)

山本昌男『小さきもの、沈黙の中で』

発行所:青幻舎

発行日:2014年12月10日

やや前に刊行された作品集だが、山本昌男の新作を取り上げておきたい。山本はどちらかといえば、日本より欧米諸国で評価の高い写真家で、小さいプリントを、「間」を意識しながら、撒き散らすように貼り付けていくインスタレーションで知られている。だが、日本では展覧会を見る機会はあまりなく、アメリカのNazraeli Pressなどから刊行されている写真集も、少部数であるだけでなく絶版になっているものが多い。その意味で、今回青幻舎から代表作をおさめた作品集が刊行されたのは、とてもよかったと思う。
「混沌」、「静謐な気」、「逍遥」、「構築された光」、「超空間時間」、「浄」の6部で構成された作品の並びは、とても注意深く考えられており、ほぼ実物大の写真のレイアウトの仕方に、独特のリズム感がある。山本が書いた序文にあたる文章に、彼の制作の姿勢がよくあらわれているので、引用しておくことにしよう。
「見過ごされそうな小さな物や些細な出来事を発見した喜び、ボタンのかけ違いのような感覚、思わず入り込んでしまった霞の中で立ち位置を失った瞬間などに強く興味を引かれ、こだわってきたことではないかと思っています。[中略]私の作品から、有るのか無いのか分からないくらいの微かな電磁波のようなものが発せられて、弱いけれど弱いからこそ強いメッセージとなり、皆様に届くように願っています。」
こんな写真家がいるということを、ぜひ知ってほしいと思う。

2015/04/27(月)(飯沢耕太郎)