artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
藤原敦「詩人の島」
会期:2015/03/26~2015/04/02
ZEN FOTO GALLERY[東京都]
藤原敦は子供の頃に、ハンセン病患者を収容する長島愛生園がある岡山県長島を訪ねたことがあった。彼の叔父がその施設の事務部長を務めていたのだという。手つかずの自然に感動するとともに、島の住人たちの苛酷な運命に小さな胸を痛めた写真家は、35年後に島を再訪し、そこで衝撃的な言葉と出会う。「深海に生きる魚族のように 自らが燃えなければ何処にも光はない」。ハンセン病の歌人、明石海人が、歌集『白描』(1939年)の序文に記したこの言葉は、映画監督、大島渚の座右の銘でもあった。その後、4年おきに島を訪れて撮影した写真をまとめて展示したのが、今回の個展「詩人の島」である。
藤原の視線は、必ずしも明石海人の足跡のみを辿ろうとするのではなく、島の風物や愛生園の建物などに等価に向けられている。錆びた鉄の扉、もう使われていないトイレ、石室におさめられたマリア像などにカメラを向け、過去の時空へと想像力のベクトルを伸ばしていこうとする、揺るぎない意思がしっかりと伝わってきた。ハンセン病はたしかに患者たちに課せられた重い足枷なのだが、明石のようにその運命を逆手にとって、表現者としてみずからを燃やし続けようとした者もいる。そんな「詩人」たちの仕事に対する共感が、縦位置10点、横位置8点の作品に刻みつけられており、居住まいを正させるようないい展示だった。
なお展覧会にあわせて、蒼穹舎から同名の写真集が刊行された。『南国頒』(2013年、蒼穹舎)、『蝶の見た夢』(2014年、同)に続き、藤原の写真集は3冊目になる。どれもよく考え抜かれた構成の、クオリティの高い写真集だ。
2015/03/30(月)(飯沢耕太郎)
赤城修司『Fukushima Traces 2011-2013』
発行所:オシリス
発行日:2015年3月20日
赤城修司は福島市で高校の美術教員をしながら、現代美術作家としても活動している。「3・11」以降、福島市内を中心に、日々変わり続けていく(変わらないものもある)「日常のなかの非日常」をカメラで記録し、ツイートしはじめた。そこから「2011年3月12日」から「2013年6月22日」までの写真と文章を抜粋しておさめたのが本書である。
赤城がカメラを向けるのは、商品が消えてしまったコンビニの棚、街中にあふれる「がんばろう福島」、「がんばろう東北」の標語、公園に設置された「リアルタイム線量計」などだが、次第に放射性物質の除染作業が大きなテーマとして浮上してくる。むろん、除染作業については新聞・雑誌、テレビなどでも報道されているのだが、赤城はあくまでもそこで暮らしている住人の目線で、淡々と、日常の延長として撮影を続けていく。汚染された土や草などをまとめて包み込んだブルーシートが、公園や道路脇、民家の庭などにも増殖していく光景はたしかに異様だが、それらをエキセントリックに強調しない節度が、赤城の記録作業には貫かれている。そこから導き出されてくる「「正しい」伝達なんて存在しない」という認識は、とても大事なものだと思う。ツイートした写真に対しては、「ダークツーリズムではないか」という批判を含めて、さまざまな反応が返ってきたようだが、写真に写された状況を、あえて判断保留まま提示していくことで、読者がそこから自分なりの見方を育てていく余地を残しているのだ。
ツイッターなどのSNSは、たしかに重要な「伝達」のメディアとして機能しているが、反面、感情的な反発を導き出したり、狭いサークル内で消費されるだけに留まったりして、なかなか広がりを持たない。その意味で、本書のような書籍化の試みはとてもありがたい。粘り強く「足元の僅かな傷跡」を記録し続けるという貴重な行為が、確かな厚みと手触りをともなって伝わってくるからだ。
2015/03/29(日)(飯沢耕太郎)
畠山直哉「陸前高田 二〇一一─二〇一四」
会期:2015/03/25~2015/04/07
銀座ニコンサロン[東京都]
畠山直哉は、東日本大震災の津波で、故郷の岩手県陸前高田市の沿岸部が壊滅的な被害を被った後すぐに、その状況を撮影しはじめた。それらは2011年10月~12月に東京都写真美術館で開催された「ナチュラル・ストーリーズ」展で発表され、写真集『気仙川』(河出書房新社、2012年)にも収録される。被災地の生々しい情景を、緊密な画面構成で描写したそれらの写真群は、誰もがそれぞれの「3・11」の体験を想い起こしてしまうような、強い喚起力を備えていた。
だが、畠山はその後何度も陸前高田に足を運んで、このシリーズを撮り続けた。今回の銀座ニコンサロンでの個展では、2011年3月19日から2014年12月7日までの写真63点が、撮影された順に日付を付して展示されている。それらを見ると、瓦礫の山が片づけられ、更地に盛り土がされ、道路や防波堤が整備されるなど、時の経過とともに「復興」が進みつつあることがわかる。夏の祭りが復活し、仮設の弁当屋が店を開き、かなり早い時期にコンビニの営業が再開している。畠山の撮影の姿勢は、基本的に震災直後と変わりはないのだが、少しずつ平常化していく街の眺めに向けられた眼差しの質に、柔らかな余裕が感じられるようになっていた。
畠山は2002年頃から、実家があった気仙川の周辺の光景の写真を撮りためていた。その「気仙川」のシリーズは、やや緊急避難的な意味合いを込めつつ、「陸前高田」とともに「ナチュラル・ストーリーズ」展で発表され、写真集『気仙川』にも収録された。今回の展示を見て強く感じたのは、2013~14年頃の「陸前高田」の写真群は、「気仙川」に直接結びつき、その延長上に撮影されているように見えるということだった。おそらく、もう少し長くこのシリーズが撮り続けられていけば、これまでも戦災や津波の被害を乗りこえてきたこの街の歴史と、畠山の個人的な記憶・体験とが、分ちがたく溶け合っていくような「サーガ」として成長していくのではないだろうか。そんな予感を抱いてしまった。
なお、本展は2015年4月30日~5月13日に大阪ニコンサロンに巡回する。それにあわせて、河出書房新社から同名の写真集も刊行される予定である。
2015/03/25(水)(飯沢耕太郎)
遠藤湖舟「天空の美、地上の美」
会期:2015/03/15~2015/04/05
日本橋高島屋8階ホール[東京都]
遠藤湖舟は1954年、長野県生まれ。中学時代から天体写真を撮りはじめ、その後、撮影の範囲を広げて、独自の自然写真の世界を作り上げていった。今回の展覧会では、音楽にも造詣が深い彼らしく、楽曲の構成で作品が並んでいた。
前奏曲「宇宙を受け止める」から、第一楽章「月」、第二楽章「太陽」、第三楽章「空」、第四楽章「星」、第五楽章「ゆらぎ」、第六楽章「かたわら」、終曲「雫」と続く130点余りの作品を見ると、あくまでも細やかな自然観察をベースにしながら、宇宙からごく身近な環境にまで目を凝らし、写真というフィルターを介することで新たに見えてくる「美」を定着しようという彼の意図がよく伝わってくる。特に、第五楽章「ゆらぎ」の、水の反映を色と光とフォルムの抽象的なパターンに還元していく試みは興味深い。そこに出現してくる華麗で装飾的な絵模様は、まさに「現代の琳派」につながっていくのではないだろうか。
もう一つ、可能性を感じたのは、作品を単純にフレーミングして壁に掛けるのではなく、アクリルボードでトンネルを作ったり、屏風や掛け軸に仕立てたりする展示の手法である。現代美術寄りのインスタレーションではなく、日本の観客にも馴染んでいる見せ方を工夫することで、デパートの催事場にふさわしい展示になっていた。さらに作品の何点かは、豪華な「龍村錦帯」のデザインに転用されている。写真の画像の活かし方として、これまでにない展開といえるだろう。今回は和風のテイストだったが、写真によっては洋服のファッション・デザイナーとのコラボレーションも充分に考えられそうだ。
2015/03/25(水)(飯沢耕太郎)
phono/graph 音・文字・グラフィック
会期:2015/03/21~2015/04/12
神戸アートビレッジセンター[兵庫県]
藤本由紀夫、softpad、ニコール・シュミット、八木良太、城一裕、intext、鈴木大義のメンバーから成るアート/デザインプロジェクト「phono/graph」。その目的は「音・文字・グラフィック」の関係性を研究し、それらを取り巻く現在の状況を検証しながら形にすることだ。神戸アートビレッジセンター(KAVC)のギャラリー、シアター、スタジオを使用した本展では、メンバーが持ち寄った書籍、音源、作品などを自由に手に取って体験できるライブラリー空間と、音、文字、グラフィックを触覚的に体験できる2つのインスタレーションを構築。まずライブラリーで「phono/graph」を学習し、次にインスタレーションで五感をフル活用してもらい、最終的に観客一人ひとりが新たな知見を得ることが目指された。また、上記メンバーがKAVCのシルクスクリーン工房を約半年間にわたり使用し、さまざまな物にシルクスクリーンを施す実験を行なったのも興味深いところだ。「phono/graph」は過去に、大阪、ドルトムント(ドイツ)、名古屋、京都、東京で開催されてきたが、今回が最も充実していたのではなかろうか。
ウェブサイト:http://www.phonograph.jp/
2015/03/20(金)(小吹隆文)