artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

プレビュー:palla/河原和彦「断面 SECTION」

会期:2015/05/02~2015/05/17

COHJU contemporary art[京都府]

写真や映像を折り返し重ね合わせ、それらを規則的にずらしていくことにより、現実の風景から思いもよらぬ時空間を取り出すpalla/河原和彦の作品世界。大阪を中心に活動していた彼が、初めて京都で個展を開催する。本展では、折り重ねられた空間をずらして行く過程に現れる瞬間に着目した映像作品2点を出品。我々の日常世界に隠された不可視の時空、それが現れる瞬間のクールなダイナミズムを味わいたい。
ウェブサイト:http://www.pallalink.net/modx/weblog/?p=2050

2015/04/20(月)(小吹隆文)

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2015

会期:2015/04/18~2015/05/10

虎屋 京都ギャラリー、有斐斎 弘道館、京都市役所前広場、コム デ ギャルソン京都店、堀川御池ギャラリー、嶋臺ギャラリー、ギャラリー素形、誉田屋源兵衛 黒蔵、無名舎、花洛庵(野口家住宅)、両足院(建仁寺内)、ASPHODEL、祇園新橋伝統的建造物、SferaExhibition、村上重ビル 地下[京都府]

京都市内の伝統的建造物、寺社、現代建築などを舞台に開催される国際写真展。3回目となる今年は、「TRIBE ─あなたはどこにいるのか」をテーマに市内中心部15会場で開催されている。出品作家は、ジャズの名門ブルーノートで写真撮影を担当したフランシス・ウルフ、20世紀を代表する写真家の一人マルク・リブー、現代文明に背を向けて自給自足生活する人々を捉えたルーカス・フォリア、大阪で共に過ごしたパンクスやスケーターたちとの破天荒な日常を生々しくドキュメントした山谷佑介、1950年代に能登の海女を取材したフォスコ・マライーニ、アフリカ・コンゴの平和主義のお洒落紳士たち「サプール」を紹介するボードワン・ムアンダなど、9カ国14組。全体を通して多文化主義が貫かれており、企画時期から直接の関係はないと思われるものの、結果的に今年1月にパリで発生したシャルリ・エブド紙襲撃事件への応答となっている。毎回、優れた写真作品と京都の歴史・文化を共に味わえる「KYOTOGRAPHIE」だが、今回はテーマの時事性という観点からも高い評価が得られるだろう。
ウェブサイト:http://www.kyotographie.jp/

2015/04/17(金)(小吹隆文)

莫毅「80年代 PART1 「風景」、「父親」」

会期:2015/04/07~2015/04/22

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

1958年チベット生まれの莫毅(モイ)は、他に類を見ない独特の作風を育て上げてきた。まったくの独学で写真を始め、お仕着せの報道写真か、伝統的なテーマを繰り返すだけのサロン写真しかなかった中国の写真界で、文字通り体を張って意欲的な実験作を発表し続けてきたのだ。ZEN FOTO GALLERYでは、2回に分けて彼の作家活動の原点というべき1980年代の作品を取り上げる。今回のPART1では、1982~87年に撮影された「風景」、「父親」の2シリーズから、23点が展示されていた。
この時期、中国の社会は閉塞状況にあり、人々のフラストレーションは爆発寸前にまで高まっていた。チベットから大都市、天津に出てきた莫毅もむろんその一人で、鬱積した怒りの感情を抱いて、望遠レンズで街を舐め尽くすように撮影していったのが「風景」のシリーズである。そのタイトルには当時人気があった「田園風景」の写真に対する皮肉が込められているという。莫毅のような当時の若者たちにとっての父の世代の人物にカメラを向けたのが「父親」のシリーズで、彼らの虚飾や歪みを、冷静に距離をとって暴きだしている。思い出したのは、東松照明が1950~60年代初頭に撮影した「日本人」シリーズで、「地方政治家」(1957年)や「課長さん」(1958年)のアイロニカルな視点は、莫毅と共通しているのではないだろうか。
なお2016年1月開催予定のPART2では、莫毅の1987年以降の代表作が展示される予定である。1989年の天安門事件を挟んで、彼はより実験的でコンセプチュアルな作品を発表していくようになる。以前も本欄で書いたことがあるが、もうそろそろどこかで、このユニークな写真家の全体像を見ることができるような、大規模な展示を実現してほしいものだ。

2015/04/16(木)(飯沢耕太郎)

菱沼勇夫「彼者誰」/「Kage」

会期:2015/03/31~2015/05/03

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

菱沼勇夫は1984年、福島県生まれ。2004年に東京ビジュアルアーツ卒業後、11年からTOTEM POLE GALLERYのメンバーとして活動している。
若い写真家が急に力をつけてくる時期があるが、いま菱沼にそれが来ているのかもしれない。今回の連続展を見てそう思った。「彼者誰」は、35ミリ判のカメラで撮影された、どちらかといえば「私写真」的な色合いの強い作品である。被写体を見つめていく視点に安定感があり、その場の光や空気感を的確に判断して端正な画面におさめていく。一見バラバラな作品をつないでいくキー・イメージが、もう少しくっきりと浮かび上がってくるといいと思った。
注目すべきなのは、もう一つのシリーズの「Kage」の方で、こちらは6×6判で撮影されたイメージが並ぶ。ヌード、仮面をつけたセルフポートレート、窓ガラスの割れ目、炎、馬の背中のクローズアップなど、「彼者誰」よりも象徴性が強まってきているようだ。それらもバラバラに引き裂かれてはいるが、自分自身の記憶や感情のほの暗い深みに降りていこうという意欲をより強く感じる。ただこのままだと、作者も観客もどこに連れて行かれるかわからない宙づりの状態で取り残されてしまいそうだ。そろそろ作品全体の構想をしっかりと思い描きつつ、個々の被写体をつかまえていくアンテナをさらに研ぎ澄ませていくべきだろう。
この連続展に続いて、5月20日~30日にはZEN FOTO GALLERYで、旧作の「LET ME OUT」の展示がある(同名の写真集も刊行)。12月には再びTOTEM POLE PHOTO GALLERYでの展覧会も予定しているという。溜めていたものを一挙に吐き出し、次のステップに踏み出していってほしい。

「彼者誰」2015年3月31日~4月12日
「Kage」4月14日~5月3日

2015/04/16(木)(飯沢耕太郎)

上田義彦「A Life with Camera」

会期:2015/04/10~2015/07/26

916[東京都]

日本の写真の最前線で活動している上田義彦にとって、回顧展というのはやや早すぎるような気もする。だが、それだけの厚みと量を備えた仕事をしてきたということが、今回の「A Life with Camera」を見てよくわかった。
それにしても、かなり破天荒な展示ではある。天井が高い916の会場全体を使って、いろいろなフレームに入れた約240点の写真がアトランダムに並んでいる。大きさ年代もバラバラ、これだけ盛りだくさんの展示も珍しいだろう。1982年、フリーの写真家としてスタートした24歳の時に撮影したモンテカルロバレエ団の写真から、近作まで、内容的にも技法的にも極端に引き裂かれた写真が一堂に会している。コマーシャルの仕事からプライヴェートなスナップまで、あらためて上田義彦という写真家の仕事の、幅の広さと志の高さがしっかりと伝わってきた。
これだけ多様な写真が並んでいると目移りがしてくる。それでも、上田のある意味特異な「眼差し」のあり方が浮かび上がってきた。彼自身が、展覧会のリーフレットに寄せた文章で書いているように「不器用」には違いない。それでもその都度、被写体に生真面目に向き合い、その時の自分の物の見方を問い直しつつ、ぎりぎりの所まで追い込んで、手抜きせずに作品を仕上げていく。そのために、時折、作品化への意欲が空回りしてしまうこともあるようだ。シャープネスの極致のような細部へのこだわり、厳密な画面構成が際だつ作品もあれば、光と大気の感触だけしか伝わってこないピンぼけの作品もあるのはそのためだろう。おそらく、その過剰な表現意識を自然体でコントロールできるようになった時に、上田の写真家としての文体が完全に確立するのではないだろうか。そのサンプルになりそうな作品(たとえばフランク・ロイド・ライトの落水荘の写真)を見ることができたのが収穫だった。
なお、展覧会にあわせて羽鳥書店から同名の写真集が刊行されている。装丁は中島秀樹。300点を超える作品をおさめた、文字通りの集大成となる大判ハードカバー写真集である。

2015/04/15(水)(飯沢耕太郎)