artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
小野規「東北─247日目から341日目に」
会期:2013/04/13~2013/05/05
小野規が「京都グラフィー」の展示の一環として開催した「東北─247日目から341日目に」展は、これまで数多く発表されてきた「震災後の写真」の展覧会とは、やや異なった感触を与えるものだった。彼はスイスの建築雑誌『TRACÉS』の依頼を受けて、2011年11月から2012年2月にかけて、岩手県宮古市から宮城県を経て福島県相馬市に至る東日本大震災の被災地を、3回にわたって撮影した。この震災当日から8ヶ月以上経過している時期というのが、なかなか微妙だと思う。すでに震災直後の混乱はおさまり、瓦礫の片付けも進んでいる。とはいえ、特に沿岸部にはまだ生々しい津波の傷跡がくっきりと残ったままだ。
小野は撮影にあたって、「被災というドラマを撮ることよりも、波の到達した縁の部分をなぞる」ことを心がけたのだという。そこから見えてくるのは「破壊され、変形し、自然の形態(フォルム)との境界が曖昧に」なってしまった「戦後経済のかたち」だ。東北の風景を、日本の戦後の経済発展(とその停滞)のフロントラインとして捉える視点はとても興味深い。それを可能としたのが、自分を「19世紀なかばに、エジプトやメキシコで考古学資料を撮影していた写真家」になぞらえるような小野の撮影の姿勢だろう。その淡々と、冷静に距離を置いて撮影された写真群を、あまりにも素っ気なく取り澄ましたものと感じて忌避する人もいるかもしれない。だが美学的なアプローチを注意深く回避して、あくまで「考古学資料」として写真を提示することに徹するという彼の選択は、それはそれで貴重な試みではないだろうか。各地の神社とその周辺を、特に入念に撮影しているのもその姿勢のあらわれと言えるだろう。
なお「京都グラフィー」では、小野のほかにも細江英公、マリック・シディベ、ケイト・バリー、アルル国立高等写真学校の学生たちの展示など、京都市内のさまざまなスペース12カ所で写真展が開催され、シンポジウムやワークショップも開催された。時期もいいので、恒例行事として大きく発展していくことが期待できそうだ。
2013/04/28(日)(飯沢耕太郎)
オオサカがとんがっていた時代─戦後大阪の前衛美術 焼け跡から万博前夜まで─
会期:2013/04/27~2013/07/06
大阪大学総合学術博物館[大阪府]
戦後から1970年大阪万博前夜までの大阪の文化状況を、美術、建築、音楽を中心に振り返る企画展。出品物のうち、資料類は約70件。具体美術協会のものが大半を占めたが、パンリアル美術協会、デモクラート美術家協会、生活美術連盟の資料も少数ながら見ることができた。作品は約40点で、前田藤四郎、池田遊子、早川良雄、瑛久、泉茂、白髪一雄、嶋本昭三、元永定正、村上三郎、田中敦子、ジョルジュ・マチウ、サム・フランシスなどがラインアップされていた。具体美術協会に比して他の団体の割合が少ないのは、現存する資料の豊富さが如実に関係している。このことから、活動記録を残すことの重要性を痛感した。また、本展は大学の博物館で行なわれたが、本来ならこのような企画は地元の美術館がとっくの昔に行なっておくべきものだ。その背景には、美術館の活動が思うに任せない1990年代以降の状況があると思われるが、必要なことが行なわれない現状を嘆かわしく思う。
2013/04/27(土)(小吹隆文)
口枷屋モイラ/村田タマ「少女ロイド」
会期:2013/04/17~2013/04/28
神保町画廊[東京都]
口枷を使ったフェティッシュな写真とオブジェの作品を発表してきた「口枷屋モイラ」と、写真家・村田兼一のモデルからスタートして、自分も「大人の童話」のような作品を制作し始めた村田タマによるコラボレーション展である。
「少女ロイド」というのは、「2XXX年、ゆるやかに滅びつつある世界でなき主人のインプットした情報により、2体のアンドロイドが想像で“女子高生”の日常を演じるというSFストーリー」を元にしたシリーズだ。いかにもありがちな設定に思えるが、彼女たちはいたって真剣。豊富なアイディアを、玉手箱を開けるように次々にイメージ化してみせてくれる。特に、写真といろいろなオブジェを箱額に一緒におさめた作品がうまくいっていると思う。1980年代生まれの彼女たちにとって、コスチュームを身につけ、何かのストーリーを演じるという行為が、まったく特別なものではなく、日常の延長で軽々と成し遂げられるものであることがよくわかる。その無理のなさ、屈託のなさはやや拍子抜けしてしまうほどのものだ。
とはいえ、この「少女ロイド」の世界には、単なる絵空事ではない切実さがあるように思えてならない。「2XXX年、人類は緩やかに滅んでいった。人類の現象に伴い、学校や社会は機能しなくなった」という彼女たちが考えた舞台設定が、この国では決して現実からかけ離れたものではないことを、彼女たちもわれわれ観客も身に染みて実感しているからだろう。この二人のコラボレーション、一回で終わらせるのはもったいない気がする。「少女ロイド」の続編でも、新作でもいいから、あと何回か続けていってほしいものだ。
2013/04/25(木)(飯沢耕太郎)
松江泰治『jp0205』
発行所:青幻舎
発行日:2013年03月15日
以前の松江泰治の写真集は、地表や都市を一定の距離を置いて撮影したモノクローム写真を素っ気なく並べただけだった。だが、2000年代以降、そのあり方が大きく変わってきている。一作ごとにスタイルを変え、遊び心、サービス精神が発揮されるものになっているのだ。この『jp0205』も、ページをめくっていくたびに、目の前にあらわれてくる眺めを追うだけで実に愉しい。
本作は2006年に刊行された『jp-22』(大和ラヂヱーター製作所)の続編にあたるもので、静岡県を舞台にした前作に続いて青森県(jp-02)と秋田県(jp-05)の各地を空撮している。写真集の解説の清水穣の文章(「無限遠と絶対ピント──松江泰治の空撮写真」)の言葉を借りれば、「晴天、順光、低空、真正面、絶対ピントという五つの条件を全て満たしうる」本作は、「jp」シリーズにおける松江のスタイルが、完全に確立したことを示している。その最大の見所は、彼が試行錯誤の末に見出した絶妙な視点の取り方によって、それぞれの土地の原像とでも言うべきものが鮮やかに立ち上がってくることだ。秋田県象潟の水田の風景は、雨期になると日本の農村の地表が水の膜によって覆い尽くされることを示す。あらゆる場所に点在する春の桜のピンク色の塊、小さな矩形の石がちらばっているような墓地も日本独特の眺めだろう。三内丸山の縄文遺跡と石油コンビナートが、共通の構造を持つように見えるのも面白い。一枚一枚の写真から発見の歓びが伝わってくる。こうなると最終的な目標は、47都道府県すべての「jp」シリーズがそろうということになるのだろうか。
2013/04/24(水)(飯沢耕太郎)
梅佳代 展
会期:2013/04/13~2013/06/23
東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]
梅佳代が東京オペラシティアートギャラリーで個展を開催すると知って、ちょっと心配になった。彼女の、時々画面の右下に日付の表示が入っているようなスナップショットは、雑誌や小型サイズの写真集なら目に快く飛び込んでくるが、あの天井が高く広い会場にはうまくおさまらないのではないかと危惧したのだ。ところが、実際に展示を見て、その不安は見事に吹き飛ばされた。梅佳代の写真から伝わってくる生命力の波動は、写真を大きくプリントしようが、額縁におさめようが、変わりがないどころかさらにパワーアップしているようにすら感じられたのだ。会場全体のアートディレクションを担当したグラフィック・デザイナーの祖父江慎の力量もあるだろうが(カタログも素晴らしい出来栄えだ)、彼女の写真にもともと備わっている「巻き込み力」の強さをあらためて思い知らされた。
展示全体は「シャッターチャンスPart1」「女子中学生」「能登」「じいちゃんさま」「男子」「シャッターチャンスPart2」の6部、約390点で構成されている。2001年にキヤノン写真新世紀で佳作を受賞した「女子中学生」のあっけらかんとした野放図なカメラワークにも度肝を抜かれたが、今後の彼女を占ううえで重要なのは、現在も撮り続けている「能登」シリーズ(新潮社から写真集『のと』も刊行)ではないだろうか。生まれ育った石川県能都町、そこに住む家族と故郷の人々を愛おしさと批評的な距離感を絶妙にブレンドして撮り続けているこの連作は、梅佳代にとってライフワークとなるべきものだろう。だがそれだけではなく、地域社会と写真家との関係のあり方を、志賀理江子などとは別な形で切り拓きつつあるのではないだろうか。写真を目の前にして対話の輪が生まれ、それが周囲を巻き込みながら波紋のように広がっていく、そんな楽しい未来図が予測できそうな写真群だ。
2013/04/21(日)(飯沢耕太郎)