artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
マリオ・ジャコメッリ写真展
会期:2013/03/23~2013/05/12
東京都写真美術館 B1展示室[東京都]
歓ばしいことに、マリオ・ジャコメッリ(1925~2000年)が20世紀イタリアを代表するだけでなく、写真表現の歴史にその名を刻する偉大な写真家であることが、日本の観客にもようやく認められてきたようだ。2008年に東京都写真美術館で開催された回顧展の規模をさらに拡大し、215点あまりを展示した今回の展覧会では、「スカンノ」(1957、59年)、「ルルド」(同)、「私にはこの顔を撫でてくれる手がない」(1961~63年)「風景」(1960年代~2000年)といった代表作だけでなく、日本では未公開のシリーズも多数出品されていた。
だが、なんといっても最初のパートに展示された「死がやって来ておまえの目を奪うだろう」の衝撃力が際立っている。母親が洗濯婦として働いていたという、彼の故郷の街、セニガッリアのホスピスで撮影されたという、死に瀕した老人たちの顔、顔、顔。それらにカメラを向けながら、ジャコメッリは次のような認識に至る。
「ホスピスで目にするのは、我々自身、我々の息子、我々の肖像であり、これらの写真の一枚一枚が私の肖像だ」。
たしかに、死の翼に覆い尽くされたこの場所では、老人たちの顔は互いに似通って来て、「我々の肖像」であるとともに「私の肖像」でもあるような、顔の元型とでも言うべき相がまざまざと浮かび上がってくる。ジャコメッリがいつでも死者の領域にカメラを差し出すようにして撮影を続けていたことが、これらの写真を見ているとよくわかる。
だが、ジャコメッリは同時に「男、女、愛」(1960~61年)や「シルヴィアへ」(1987年)のような、生=エロスの領域にもまた強い関心を抱いていた。生と死、現実と幻影の往還は、多くの優れた写真家の作品に見られるものだが、彼の場合その極端に引き裂かれたダイナミズムに凄みを感じてしまう。今回展示された力強いハイ・コントラストのモノクローム・プリントは、ジャコメッリ自身の手によるものという。深い場所まで届く洞察力と職人的な技巧の見事な結合だ。
2013/04/07(日)(飯沢耕太郎)
上田義彦「M. River」
会期:2013/03/22~2013/05/05
Gallery 916[東京都]
上田義彦が個展「Materia」で、竹芝の倉庫を改装したギャラリー916をスタートさせてから1年が過ぎた。この間にラルフ・ギブソン、有田泰而、Y. Ernest Satowなどを含む意欲的な展示を実現したのだが、今回は再び自作を展示している。
新作の「M. River」は、前回の展示に続いて屋久島の森で撮影された作品である。偶発的なブレやボケを大胆に作品のなかに取り込んでいった「Materia」の試みはさらに先に進められており、展示作品は「写真に欠くことのできないディテールをあきらめ」ることで、大づかみな光と影のマッスがぼんやりとした像を形成するものがほとんどだ。150×119センチの大判プリント(20点)と、かなり小さめの24.9×19.4センチサイズのプリント(12点)を交互に並べていく展示構成も面白かった。森を行きつ戻りつするときのリズミカルな視線の動きを、展示によって追体験するように仕組まれているのだ。ただ、似たようなピンぼけの画像がこれだけ並ぶと、むしろ絵画的な要素が強まり、全体として均質な印象が強まってしまう。森のダイナミズムをどんなふうに作品化していくのかについては、もう少し試行錯誤が必要なのではないだろうか。
なお、今回からメインギャラリーに付設された916Smallでも,展覧会が同時開催されるようになった。今回は石塚元太良が19世紀のゴールドラッシュ時代の廃屋をアラスカで撮影した「GOLD RUSH ALASKA BONANZA TRAIL」が展示されている。いきのいい若手写真家たちに開放していくと、やや「広過ぎる」嫌いがあったギャラリースペースにも活気が生まれてきそうだ。
2013/04/06(土)(飯沢耕太郎)
平野正樹「MONEY」
会期:2013/04/04~2013/04/16
PROMO-ARTE[東京都]
平野正樹は1991~93年に社会主義政権崩壊後のロシア、東ベルリン、カンボジアを撮影した「祭りの後(AFTER THE FESTIVAL)」を皮切りに、「人間の行方(DOWN THE ROAD)」と題する連作を発表し始めた。今回、表参道のギャラリーPROMO-ARTEで展示された新作「MONEY」も、その一環として制作されたものだが、これまでの彼の作品とは一線を画するものになっていると思う。平野の作品は、代表作と言える内戦後のサラエボの壁に残る弾痕を撮影した「HOLES」のように、自然環境や政治体制崩壊後の人間たちの生の痕跡を捉えたものが多かった。ところが今回「人間の行方シリーズ 沈黙の価値」という副題を添えて発表された「MONEY」では、いよいよ社会システムそのものがテーマになってきている。
会場にはお札、株券、証券、債券証書の類をスキャナーにかけて画像データをとり、大きく引き伸ばしたプリントが並ぶ。紙の皺や折り目や破れ目もそのまま複写されているので、生々しい物質感がそのまま写り込んでいる。背景となる画像のパターンも、スキャニングしたデータを加工してつくっているのだという。2008年の「リーマン・ショック」の引き金となったリーマン・ブラザーズの証券、1917年のロシア革命で紙屑になった「ロシア帝国債券」、内戦や財政赤字によるハイパー・インフレで数字のゼロの数が増えてしまった「百万トルコリラ」や「百万ザイール」の紙幣──平野が題材にしているのは、われわれの経済活動の信頼性の根拠となっている「MONEY」のシステムが、いかに脆弱なものであるのかをまざまざとさし示すサンプルばかりだ。
ストレートな複写であるにもかかわらず、そこには「MONEY」の背後にうごめくグロテスクな欲望や情念が幻影のように浮かび上がってくる気がして、心底ぞっとしてしまう。ドキュメンタリー写真の新たな切り口、方法論を提示する意欲作と言えるだろう。
2013/04/04(木)(飯沢耕太郎)
林ナツミ「本日の浮遊」
会期:2013/03/26~2013/03/31
スパイラルガーデン[東京都]
林ナツミは今日もまた「浮遊」し続けている。昨年刊行した写真集『本日の浮遊』(青幻舎)や、ブログ、ツイッター、フェイスブック等で展開された活動の報告は世界中で大きな反響を呼び、空中を軽やかに舞う彼女の姿は時代のイコンになりつつあるようにも見える。
今回東京・原宿のスパイラルガーデンの円形スペースに、大きく引き伸ばして展示された作品群は、日付でいうと2011年4月以降に撮影されている。写真集には2011年1月1日~3月31日の「本日の浮遊」シリーズが掲載されているので、今回の展示は未収録の作品のみということになる。それらを見ると、彼女が空中に飛び上がる場所や状況の設定がより多彩で細やかなものになり、表情やポーズはより自然体で、ふわふわと宙を漂うような「浮遊感」がさらに強まっているのがわかる。
注目すべきはベトナム、ビエン・ホアの縫製工場で撮影されたという新作で、その巧みなポージングと画面の構成力は、これまでの「写真日記」のスタイルとは、やや次元の違うものになってきているように感じる。日々のひらめきや思いつきに頼るだけではなく、アイディアをしっかりと熟成させ、完成させていく方向に、彼女の仕事が進みつつあるのではないだろうか。『本日の浮遊』の続編となる写真集の刊行が、ますます楽しみになってきた。
2013/03/27(水)(飯沢耕太郎)
宮崎学「自然の鉛筆」
会期:2013/01/13~2013/04/14
IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]
先日、長野県安曇野市の田淵行男記念館で、自然写真の分野の優秀作に与えられる第4回田淵行男賞の審査会があった。宮崎学、海野和男、水越武といった面々と一緒に審査をしたのだが、彼らが異口同音に語っていたのは、デジタル化によって技術的なレベルは上がっているが、写真制作を支える思想や哲学といったバックボーンの形成においては、まだまだということだった。今回IZU PHOTO MUSEUMで開催された宮崎学の「自然の鉛筆」展を見て、たしかにそのとおりであることが納得できた。田淵行男賞に応募してくるアマチュア写真家など及びもつかない強靭な精神力と粘り強さで、ひとつのシリーズを仕上げていく力業は、海野や水越も含めたこの世代の自然写真家の特質と言えるのではないだろうか。
「自然の鉛筆」展には、土門拳賞を受賞した代表作「フクロウ」(1988年~)をはじめとして、自動シャッターが切れるリモコンカメラを駆使した「けもの道」(1976年~)、動物の死骸が土に還っていく様を定点撮影で写しとめた「死」(1993年~)、都市の環境に同化していく生きものたちを追った「アニマル黙示録+イマドキの野生動物」(1992年~)、地元の長野県伊那谷の丘の上に立つ一本の木を撮影し続けた「柿の木」(1991~92年)など、代表作約130点が展示されていた。それらの写真を見ていると、宮崎の写真を貫くキーワードが「循環」であることがわかる。動物や植物たちの世界は、互いに結びつきつつ変化し、そのプロセスを繰り返していく。「死体から毛をあつめて巣をつくるシジュウカラ」(2002年)の連作を見ると、死骸が新たな生命を産み落とす巣づくりに利用され、再生を促していることがはっきりと見えてくる。その生と死の循環のリズムこそが、彼の写真の基調低音となっているのだ。
2013/03/23(土)(飯沢耕太郎)