artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

ソフィ・カル「最後のとき/最初のとき」

会期:2013/03/20~2013/06/30

原美術館[東京都]

原美術館のソフィ・カル「最後のとき/最初のとき」展を訪れる。1階は、生まれて初めて海を見る瞬間の、イスタンブールの人たちの映像。ここにその印象を語る言葉はない。振り向いた後の表情だけを示す。そして2階は、盲人たちに最後に見たイメージの記憶を語らせる。再現はできないが、そのイメージ写真と本人の肖像と文字の組み合わせが、想像力をかきたてる。いずれも表象の不可能性というべきものに肉迫しようとする作品だ。

2013/06/21(金)(五十嵐太郎)

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横谷宣「森話」

会期:2013/06/05~2013/08/10

gallery bauhaus[東京都]

横谷宣がgallery bauhausで個展を開催したのは、2009年1月~2月だから、それからすでに4年以上が経っている。その間彼が何をしていたのかといえば、「印画紙を作っていた」のだという。前回の個展は口コミで評判を呼び、50点以上の作品が売れた。岡山在住の、ほとんど無名の写真家の展示としては、まったく異例のことといえる。横谷のセピア色にトーニングされたプリントは、調色、ニス塗りなどに時間がかかり、しかも水彩紙に乳剤を塗布した特殊な印画紙でしか焼けない。ところが、この印画紙が製造中止で手に入らなくなり、販売したプリントを制作するためには、自分で印画紙をつくるしかなくなってしまった。失敗を重ね、試行錯誤しているうちに4年以上の時間が過ぎてしまったというわけだ。いかにも徹底した完璧主義者の横谷らしいエピソードといえるだろう。
今回展示された「森話」のシリーズは、1点を除いてはすでに4年前にプリントが終わっていた作品だ。前回の「黙想録」は、手製のレンズを用いて、さまざまな被写体から、彼自身の「原風景」というべきイメージを抽出しようとする試みだった。それと比較すると、「森話」は1997年に3ケ月ほどの期間をかけて、東南アジアの国々で集中して撮影された写真群なので、シリーズとしてのまとまりがある。擬古典的なピクトリアリズムの再生に留まることなく、彼がその場所で感じとったリアリティを、できうるかぎり精密に定着していこうという志向は、このシリーズでも貫かれている。
ようやく印画紙製作という重荷から解放されたわけなので、横谷にはぜひ新作の発表を期待したい。一時の虚脱状態からようやく脱して、本格的に撮影にかかろうという意欲も湧いてきたようだ。次回の個展の開催時期は、少し早まるのではないだろうか。

2013/06/21(金)(飯沢耕太郎)

北野謙『our face: Asia』

発行所:青幻舎

発行日:2013年4月26日

「ショッピングセンター前に作られた特設野外映画場で映画を観る31人を重ねた肖像(主に建設現場で働く出稼ぎ労働者)」(中国北京市、2009)、「日本のアニメのコスプレをする少女34人を重ねた肖像」(台湾台北市、2009)、「原宿の少女43人を重ねた肖像」(東京都原宿、2000~2002)、「2011年の東日本大震災による福島第一原子力発電所事故後、脱原発の声をあげる25人を重ねた肖像」(東京都代々木公園、首相官邸前、2012)──写真集におさめられた1枚目から4枚目までの作品のタイトルを書き抜いてみた。北野謙が「our face」のシリーズを撮り進めるプロセスの、愚直なほど生真面目で丁寧な姿勢が、これらのキャプションからも伝わってくるのではないだろうか。トルコからインドネシアまで、アジア11カ国53都市を1999年以来15年にわたって回り、数千人以上の人々に声をかけてポートレートを撮影し、印画紙に焼き付けていく。気が遠くなるほどの労作であり、133点の作品がおさめられた写真集のページをめくっていると、彼が費やした時間の厚みが凝縮して、壁のように立ち上がってくるように感じてしまう。
北野が採用したフォトモンタージュによる集合ポートレートは、19世紀以来人類学や犯罪者の調査のために使われてきた手法だった。ある集団に共通する身体的な特徴を、モンタージュ写真から抽出するために用いられたのだ。ところが北野のこのシリーズには、それらの写真を見るときに感じる不気味さ、禍々しさ、威圧感などがあまりない。たしかに集団の一人ひとりの個性は、写真の中に溶け込み、一体化しているのだが、そこにはある種の安らぎや信頼が芽生えてきているように思えるのだ。プロジェクトを開始してすぐに撮影した千葉県鴨川の漁師さんが、自分たちの写真を見て「これは俺たちの顔だよ」といったのだという。写真を「俺たちの顔」つまり「our faces」ではなく「our face」にしていくためにこそ、北野は全精力を傾けている。その強い思いが、モデルになる人々一人ひとりにも、きちんと伝わっているのではないだろうか。

2013/06/18(火)(飯沢耕太郎)

カタログ&ブックス│2013年6月

展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。

建築資料にみる東京オリンピック 1964年国立代々木競技場から2020年新国立競技場へ

発行日:2013年5月8日
発行・監修:文化庁
サイズ:B5判、40頁

2013年5月に東京都の湯島にオープンした国立近現代建築資料館の開館記念特別展示の図録。丹下健三設計の国立代々木競技場の図面、建設過程の写真をはじめ、ザハ・ハディドによる新国立競技場最優秀案のCGなどの展示内容を豊富な図版によって紹介。また、建築資料の役割、位置づけに関する文章を多数掲載。




螺旋海岸|album

著者:志賀理江子
デザイン:森大志郎
発行日:2013年3月1日
発行所:赤々舎
サイズ:257×364mm、280頁

2012年11月7日〜翌1月14日まで、せんだいメディアテークにて開催された同名の展覧会の内容がおさめられた写真集。展覧会に向けて10回にわたり開催された、志賀によるレクチャーがおさめられたテキスト集『螺旋海岸|notebook』も会期中に発売されている。


児玉房子作品展「東京 around1990」

著者:児玉房子
発行日:2013年5月8日
発行所:JCIIフォトサロン
サイズ:250×240mm、31頁

東京のJCIIフォトサロンにて2013年の5月8日〜6月2日にかけて開催された児玉房子の「東京 around 1990」の図録。1990年台前半、バブル崩壊寸前の終焉が色濃く写し出された東京の街並みや人々の営みを追い続けた作品群を紹介する。


石原正道写真集 叢 KUSAMURA

著者:石原正道
発行日:2013年5月10日
発行所:株式会社日本写真計画
サイズ:189×263mm、60頁

2013年5月、ペンタックスフォーラム ギャラリーⅠにて開催された、石原正道の展示「叢(KUSAMURA)」の写真集。普段見過してしまう身近な草に目を向け、叢と題し、立夏から立秋にかけて生い茂る夏草の繊細な魅力を、格調高くモノクロで表現した作品約50点を掲載。


アーキエイド活動年次報告2012 | ArchiAid Annual Report 2012

編集:アーキエイド事務局
発行日:2013年3月11日
発行所:一般財団法人アーキエイド
サイズ:A4判

アーキエイド事務局編集のもと、設立当初からの活動をまとめた昨年度のAnnual Report 2011に続く、2冊目の活動報告書。全ページPDFにてデータ公開中。
アーキエイド ウェブサイト

2013/06/17(月)(artscape編集部)

薄井一議「Showa88/ 昭和88年」

会期:2013/06/15~2013/08/08

写大ギャラリー[東京都]

薄井一議が2011年にZEN FOTO GALLERYで「Showa88」展を開催したとき、やや奇妙に感じたのは、2011年は「昭和86年」であり「昭和88年」ではなかったことだった。もし彼が、2013年=昭和88年にも展覧会を開催することを見越してこのタイトルを選んだとすれば、かなりの配慮ということになるのだが、実際はそうではないのではないか。「Showa88」という響きのよさに惹かれたのだろう。いずれにしても、1998年に、彼の母校でもある東京工芸大学の中にある写大ギャラリーで、このシリーズをあらためて展示できたのは、薄井にとってもわれわれ観客にとってもとてもよかったのではないかと思う。彼の作品が孕む可能性をあらためて確認することができたからだ。
今回は大判プリント18点による展示である。飛田新地(大阪)、五条楽園(京都)、栄町(那覇)など、昭和の匂いが色濃く残る歓楽街のたたずまいを、一癖も二癖もありそうな住人たちとともにおさえたこのシリーズは、薄井の代表作になっていくのではないか。けばけばしいピンク色をそこここに登場させることによる、目くらましのような視覚的効果もうまく計算されている。ノスタルジーやエキゾチシズムに過度に寄りかかることなく、日本=東アジアに特有の生の形をしっかりと見出していこうという志向性を、強く感じることができた。
とすると、このシリーズは、もう少し長いスパンで撮り進めてもいいのではないだろうか。会場に展示されていた作品は、すべて前回のZEN FOTO GALLERYでの「Showa88」展のときに刊行された、同名の写真集におさめられていたものだった。新作の「Showa88」もぜひ見てみたいと思う。

2013/06/16(日)(飯沢耕太郎)