artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家一九五五年
会期:2013/01/12~2013/03/24
パナソニック 汐留ミュージアム[東京都]
建築写真家・二川幸夫の回顧展。1957年から59年にかけて発行された『日本の民家』に掲載した二川のモノクロ写真から選び出した70点と、関連する資料を併せて展示が構成された。
展示を見てまざまざと理解できるのは、一口に「民家」と言っても、その内実はじつにさまざまだということ。民家の建材や全体的なフォルムはもちろん、屋根の形状や柱の組み方、さらには民家と民家のあいだの距離感や路地の動線にいたるまで、文字どおり多種多様な民家のありようが、面白い。しかも、二川の写真には民家の造形的な美しさだけでなく、その土地土地の風土に適したそれぞれの合理性が表われているところが、すばらしい。
おそらく、「民家」にさまざまな民家があるように、「日本」にもさまざまな日本がある。それを無理やり十把一絡げに共通の規格によって塗りつぶしてきたのが、近代化の歴史だった。どこに行っても同じような建売住宅が建ち並び、どこの駅で降りても同じような駅前広場が広がる現在の建築風景は、その結果にほかならない。むろん、そのことによって暮らしの利便性が高まったことは事実だが、同時に、その暮らしを支えているテクノロジーや知性に大きな疑いが生じてしまったいま、これ以上「近代」を信奉することはできないという限界に、じつは多くの人びとは気がついているのではないか。
二川が撮影のために訪れた集落で、当初は「とても見せられるものではない」と撮影を断られたというエピソードがある。しかし、共同体の内部にとって美しくはないものが、外部にとっては美しいということは十分にありうる。二川の写真の今日的なアクチュアリティーが、私たちの想像力を「近代」とは別の針路に押し進めることにあるとすれば、それを強力に担保するのは、近代文明への危機感というより、むしろ二川の写真のなかに見出すことができる美しさだろう。
2013/03/22(金)(福住廉)
記憶写真展─お父さんの撮った写真、面白いものが写ってますね
会期:2013/02/16~2013/03/24
目黒区美術館[東京都]
いわゆる市井の人びとによる写真展。目黒区めぐろ歴史資料館が所蔵する目黒とその近辺で撮影された写真、およそ200点が、「交通」や「工事中」、「都市と農村」などのセクションに分けて展示された。
写されているのは、主に1960年代の目黒の街並みや人びと。アマチュア・カメラマンによる写真だから、とりわけアーティスティックというわけではないが、昭和30年代の古きよき時代を感じ取ることができる清々しい写真が多い。質実剛健と言えばそうなのかもしれない。だが、それより深く印象づけられるのは、彼らがシャッターを切る前に、その対象を写真に残そうと思い至った心の躍動感である。
一見すると日常の何気ない風景を撮影した写真のように見えるが、よく見るとそれらの根底には撮影者にとっての新鮮な驚きや発見があることがわかる。工事によって激変する目黒駅や碑文谷八幡神社の例祭、あるいは大雨や大雪にみまわれた街などの写真の奥に、「あっ、撮りたい!」という純粋な欲望が垣間見えるのだ。本展で展示された写真に漂う清々しさは、写された風景に思わず感じ取ってしまう私たち自身の懐古趣味などではなく、撮影者が写真に向き合う実直な態度に由来しているのではないだろうか。
有名性を求める芸術写真に対する、無名性によって成り立つ限界芸術としての写真。これまでの写真批評や写真史研究は、これを検討の対象から外してきた。しかし、誰もがカメラを日常的に持ち歩き、誰もが撮影者でありうる現在、これを内側に含めない写真批評や写真史研究にどれだけのアクチュアリティーがあるのだろうか。これは純粋な疑問である。
2013/03/22(金)(福住廉)
喜多村みか「Einmal ist Keinmal|my small fib」
会期:2013/03/20~2013/03/31
THERME GALLERY[東京都]
喜多村みかは渡邊有紀と互いにポートレートを撮影し合った「TWO SIGHT PAST」で2006年に写真新世紀優秀賞を受賞した。その後、自分の写真の世界を構築する作業を、じわじわと水が地表に沁み出してくるように続けて、今回写真集『Einmal ist Keinmal』(THERME Books)の刊行につなげた。本展はそれを契機として開催されたもので、1階スペースに大小のカラー・プリントをちりばめた「Einmal ist Keinmal」が、2階スペースにモノクロームの「my small fib」のシリーズが展示されていた。
写真集の表題となっている「Einmal ist Keinmal」というのはドイツのことわざで「一度は数のうちに入らない。ただ一度なら全然ないのと同じこと」という意味だ。つまり「些細なもの、取るに足らない事柄」ということなのだが、たしかに彼女の写真の中に写っているものには、壁の傷とか、光のプールとか、ぼんやりした影とか、鉢植えの植物とか、たまたま出会った人物とか、日常のなかで見出される「取るに足らない事柄」が多い。だがそれらの小さな「しるし」が、不思議な輝きを帯びて目に飛び込んでくる所に、彼女の写真術の秘密があるのではないかと思う。「数のうちに入らない」ことが、「たった一度しか起らなかった」稀有な出来事に転化していく。それを見届けたということの歓びが、どちらかと言えば地味な写真が並ぶ展示からも確実に伝わってきた。
写真集も写真の構成、レイアウト、デザインのレベルが高く、素晴らしい出来栄えだ(装丁は熊谷篤史)。カラー作品→モノクローム作品→カラー作品という転調がうまく効いていて、読者の気持ちをそらすことなく、最後まで運んでいってくれる。
2013/03/22(金)(飯沢耕太郎)
フランシス・ベーコン展
会期:2013/03/09~2013/04/06
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
東京国立近代美術館で没後初の本格的な回顧展が開催されていることもあって、フランシス・ベーコンの仕事についての関心が高まっている。ベーコンは実際に生身のモデルを描くより、むしろ写真を元にして絵画作品を制作することが多かった。六本木のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでは、そのベーコンのスタジオで電気工として働いていたマック・ロバートソンが、ベーコン本人から譲り受けて保管していたというモノクローム写真のコンタクトシート、11点が展示された。
この「ロバートソン・コレクション」はとても興味深い資料である。6×6~6×9判の写真に写っているのは、ベーコンがニューヨークで雇った男女のモデルたちだ。レスリングをする二人の男性、ヌードの女性、扉の前で出会って別れていく男女、スタジオ内でジャンプする男性など、さまざまなポーズをとらせて撮影している。おそらくベーコン自身が、彼らのポーズを細かく指示したのだろう。いかにも彼好みの、身体の捩じれや絡み合い、痙攣するような動きが実際に演じられているのだ。残念ながら撮影者の名前はわかっていないが、ライティングもフレーミングもかなり雑な印象なので、それほど高名な写真家ではないだろう。もしかするとベーコン自身がシャッターを切ったのではないかとさえ思える。この一連の写真群には記号のようなものが描き込まれているものもあるようだ。彼が写真をどんなふうに制作に利用していったのか、もう少し具体的にわかると、さらに大きく興味がふくらんでくるのではないだろうか。
写真=Contact sheet of two men wrestling in a studio from the floor of Bacon's Studio
ca. 1975
Prov. The Robertson Collection
Vintage gelatin silver print
Paper size: 41.9 x 50.8 cm
Courtesy of Taka Ishii Gallery, Tokyo and Michael Hoppen Gallery, London
2013/03/21(木)(飯沢耕太郎)
プレビュー:KYOTO GRAPHIE international photography festival
会期:2013/04/13~2013/05/06
高台寺塔頭 圓徳院、京都文化博物館 別館、大西清右衛門美術館、有斐斎 弘道館、西行庵、誉田屋源兵衛 黒蔵、アンスティチュ・フランセ関西、ARTZONE、虎屋京都ギャラリー、ASPHODEL/富美代、二条城二の丸御殿台所、ハイアットリージェンシー京都[京都府]
京都市内の観光名所や寺院、町家、博物館、画廊など12カ所を会場に、国内外のアーティストたちが写真展を開催。高台寺×細江英公、西行庵×高谷史郎など、組み合わせの妙に興味が募る。個展以外にも、アルル国立高等写真学校の学生たちのグループ展や、ハッセルブラッド・マスター・アワード2012年受賞作品展、幕末から明治初頭の日本を捉えた写真を展示するクリスチャン・ポラック・コレクション展など、バラエティも豊かなのが嬉しい。
2013/03/20(水)(小吹隆文)