artscapeレビュー

本橋成一『屠場』

2011年05月15日号

発行所:平凡社

発行日:2011年3月25日

牧場で草を食む牛の姿はよく目につく。肉屋の店先にグラム単位で並んでいる肉もすぐに目に入ってくる。だが、その間に位置するはずの屠場(食肉処理場)がどんな場所なのかはほとんど知られていない。賭場を撮影した写真や映像を発表するのがとても難しいからだ。
牛の眉間に鉄棒が飛び出るピストルを撃ち込み、昏倒させる。巨体をトロリーコンベアで吊るして血抜きした後、ナイフ一本で全身の皮を剥いていく。その後、部位によって内臓と肉に分離され、加工されていく過程はまさに熟練の職人技そのものだ。たしかに見方によっては残酷きわまりない場面の連続かもしれないが、職人たちは自分の技に誇りを抱き、その向上ぶりを競い合っている。本橋成一が、1980年代から大阪・松原の屠場に通い詰めて撮影した写真をまとめた本書のページを繰ると、この職場が人間味のある職人たちによって支えられる、熱気あふれる場所であることがよくわかる。
これまで屠場の写真を表に出すことができなかったのは、いうまでもなくそれが部落差別の問題と深くかかわっているからだ。食肉の加工は長く被差別部落民の専業であり、明治以後も隠微な形で職業的な差別が続いてきた。肉を穢れと見る仏教的な不浄観もそれを助長したのではないかと思う。そのことが、たとえ賭場の人たちの許可をきちんと得て撮影した写真であっても、展示や印刷媒体への掲載をためらわせる過剰反応を生んできたのだ。だが、時代は変わりつつある。見ないように、見えないように隠すことが、逆に差別意識を温存することにつながることがわかってきた。この写真集の刊行もその流れに沿うものといえるだろう。
写真を見ていると、屠場そのもののたたずまいが大きく変わってきていることがわかる。巨大な肉の塊が物質としての強烈な存在感を発する様が、コントラストの強いモノクロームの画像でくっきりと浮かび上がってくる。現在の「工場」と化した食肉処理場では、もう見ることができない光景だ。

2011/04/18(月)(飯沢耕太郎)

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