artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

あいちトリエンナーレ2010 都市の祝祭

会期:2010/08/20~2010/10/31

愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、長者町会場、納屋橋会場、七ツ寺共同スタジオ、他[愛知県]

「瀬戸内国際芸術祭」と並ぶ今年最も話題のアートイベントにさっそく出かけてきた。都市型イベントである「あいちトリエンナーレ」では、地下鉄で1~2駅の距離に会場が集中しているのが特徴。交通事情を気にせず自由に移動できるのがありがたい。展示は2つの美術館と街中が半々といった感じで、異なる環境での展示を同時に味わうことでアートの多様なポテンシャルを引き出そうとしているように感じた。筆者のおすすめは、愛知芸術文化センターの松井紫朗、蔡國強、三沢厚彦+豊嶋秀樹、宮永愛子、名古屋市美術館のオー・インファン、ツァイ・ミンリャン、塩田千春、長者町エリアの渡辺英司、山本高之、ナウィン・ラワンチャイクン、二葉ビルの梅田哲也、中央広小路ビルのピップ&ポップだ。納屋橋会場と七ツ寺共同スタジオには残念ながら行けなかった。また、美術展を優先したため、パフォーマンスや演劇系の公演を見てないのも悔いが残る。食事や観光など街を楽しむことができなかったのも同様だ。テーマに「都市の祝祭」を掲げるイベントだけに、美術展とパフォーマンスを観覧するだけでなく、食事や観光など名古屋の街の魅力も味わい尽くして初めてその真価がわかるはず。次に出かける時はしっかり予習して、アートと街遊びの両方を満喫したい。

2010/08/20(金)(小吹隆文)

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尾仲浩二「馬とサボテン」

会期:2010/08/17~2010/09/10

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

尾仲浩二のような旅の達人になると、日本全国どこに出かけても、安定した水準で写真を撮影し作品化することができる。それどころか、その揺るぎないポジション取りと巧みな画面構成力は、外国でもまったく変わりがない。写真集『フランスの犬』(蒼穹舎, 2008)は、1992年のフランスへの旅の写真で構成されているし、EMON PHOTO GALLERYでは2007年に続く2回目の作品発表になる今回の「馬とサボテン」は、同年のメキシコへの旅がテーマだ。それでも、それぞれのシリーズに新しい試みを取り入れることで、彼なりに旅の新鮮さを保とうとしているようだ。それが今回は、パノラマカメラを使った写真群ということになるだろう。時には普通は横位置で使うカメラを縦位置にして、前景から後景までをダイナミックにつかみ取るような効果を生み出そうとしている。
その試みはなかなかうまくいっているのだが、基本的には日本でも外国でも被写体との距離の取り方がほぼ同一なので、安心して見ることができる反面、驚きや衝撃には乏しい。もっとも、尾仲のようなキャリアを積んだ写真家に、それを求めても仕方がないだろう。むしろそのカメラワークの名人芸を愉しめば、それでいいのではないだろうか。展示では、これまた名人芸といえるカラープリントのコントロールの巧さも目についた。メキシコには「尾仲カラー」とでもいうべき渋い煉瓦の色味の被写体がたくさんある。まるで闘牛場の牛のように、彼がその赤っぽい色にエキサイトしてシャッターを切っている様子が、微笑ましくも伝わってきた。

2010/08/19(木)(飯沢耕太郎)

トヨダヒトシ スライドショー上映「黒い月」

会期:2010/08/15

ヴァンジ彫刻庭園美術館 展示棟[静岡県]

ニューヨークと東京とを往復しながらスライドショーによる「映像日記」をつくり続けているトヨダヒトシ。彼の新作「黒い月」の上映会が、静岡県長泉町のクレマチスの丘にあるヴァンジ彫刻庭園美術館で開催された。トヨダ自身によるスクリプトによると、その内容は以下の通りである。
「初夏の日本/孤独感、疎外感による事件が矢継ぎ早に起った時期だった/7月の川/いつもの道/争いに勝った者の意見が正しいのか/鎌倉/「私にはなにもない」と/花/午後/丘の上は思ったよりも風が強かった/いくつもの野/どんな風景も完結はせず、ただ光があり、時間があった。闇があった。/暮らし/夜/約束/秋」
いつものように90分近くにわたって、2008年初夏から秋にかけて彼が見た眺めが無音のまま淡々と写し出される。それらをじっと見ながら、これまたいつものようにいろいろなことを考えていた。ひとつはトヨダの作品世界は入り組んだ地層のように連なっているということ。彼自身の日々の暮らし、出会った人びとからなる経験レベルでの映像の層があり、それを包み込むように無差別殺人事件やオバマ大統領の当選などの社会レベルでの映像の層がある。さらにもうひとつその下層(あるいは上層)に宇宙レベルとでも呼ぶべき映像群を抱え込んでいるのが、彼のスライド作品の特異性なのではないだろうか。それらは時に「空」や「月」のようなイメージとして提示されることがあるが、より特徴的なのは昆虫、花、苔などに向けられたミクロコスモス的な視点である。これらの微視的な映像群が挟み込まれることによって、彼の作品世界は個の日常世界から神話的といえそうな領域に越境していくことになる。
もうひとつ考えたのはスライドショーにおいて「言葉」が果たす役割で、これは時に諸刃の剣になりそうな気がした。特に今回の「黒い月」では、最後のパートにかなり長いモノローグが挿入されていて、それが相当に強い引力を発生させている。どうも近作になればなるほど、「言葉」の力が強まっていると感じるのは気のせいだろうか。映像と「言葉」のバランスをとっていくのは、トヨダのスライドショーにおいてつねに綱渡り的なスリリングな作業になる。そのバランスが崩れると、もともと彼の作品世界が孕んでいた開放的な多義性が一定の方向に固着してしまいかねない。その危うい分岐点が、今回のスライドショーで見えてきたように思った。
なお「黒い月」というタイトルは、仏教の暦で満月から新月までの間をさす言葉(黒月)から採られている。「元に戻っていく」という意味を含むこのシリーズは、新月から満月までをさす「白い月」のシリーズと同時並行して制作された。ニューヨークでの日々の映像から構成される「白い月」も既に完成しており、この秋いろいろな場所で上映される予定だ。トヨダの作品は、彼のスライドショーに足を運ばなければ見ることができない。彼のホームページなどの情報を参照して、とにかく一度ライブ上映を体験していただきたい。(http://www.hitoshitoyoda.com/)

2010/08/15(日)(飯沢耕太郎)

伝説の報道写真家・福島菊次郎 写真展

会期:2010/08/14~2010/08/16

府中グリーンプラザ展示ホール[東京都]

福島菊次郎は反権力の報道写真家で、現在89歳。山口県で活動する現役のカメラマンだ。この写真展は、福島による約300点あまりの写真で構成されたパネルを展示したもの。あわせて近年の福島の暮らしを追ったドキュメンタリーテレビ番組も公開された。福島がファインダーを通して目撃したのは、自衛隊のほか、広島の被爆者、軍需産業の工場、そして島々の村落。なかでも被爆で辛酸を舐めさせられた一家に持続的に密着して撮影した写真はすさまじい。福島による短文が添えられたモノクロの写真からは、被爆によって壊された身体の痛みはもちろん、ずさんで無神経な行政への怒り、壊れかけた家族の紐帯への悲しみなどがひしひしと伝わってくる。「芸術と社会の関係」などという浮ついた言葉では決して語ることのできない、文字どおり全身で社会と格闘する写真家だ。福島が撮影した写真の多くは瀬戸内海を舞台としているが、アートクルージングでは見えてこない芸術と社会の一面を福島の写真は見せてくれる。

2010/08/15(日)(福住廉)

126 POLAROID──さよならからの出会い

会期:2010/08/07~2010/08/29

横浜美術館 アートギャラリー1[神奈川県]

2008年のポラロイドフィルムの発売中止の一報に反応して企画された「さよなら、ポラロイド」展。当初は多摩美術大学の萩原朔美の研究室を中心にした50人あまりの参加者だったのだが、東京、京都、大阪と展示が巡回する間に人数が増えて、今回の横浜展では126人に達した。その間に、サミット・グローバルという会社がポラロイドフィルムを再生産することになり、それにともなってタイトルも「126 POLAROID──さよならからの出会い」に変わった。
荒木経惟、石川直樹、石塚元太良、沢渡朔、島尾伸三、杉本博司、津田直、港千尋、森山大道、屋代敏博、若木信吾──出品者の中から目についた写真家の名前を50音順に並べてみただけでも、なんとも多彩で、スリリングな顔ぶれである。ポラロイドという表現手段にもともと備わっていた撮影者を「エキサイトさせる力」が、多くの人たちを動かしているということではないだろうか。実際に展示を見ると、その表現スタイルの多様性、何が出てくるかわからないワクワク感は驚くべきものがある。ポラロイドの魔法の力は、まだまだ衰えていないということだろう。
同時に開催されていた、20×24インチの大判ポラロイド作品の特別展示もかなり面白かった。1983~86年にかけて、重さ90キロ、高さ1・5メートルという巨大カメラを使って、石内都、石元泰博、植田正治、川田喜久治、内藤正敏、奈良原一高、深瀬昌久、藤原新也、森山大道ら17人の写真家たちが取り組んだプロジェクトの成果である。実にひさしぶりに石内都の「同級生」や深瀬昌久の「遊戯」などのシリーズを見ることができたのだが、ここでも写真家たちがポラロイドの表現能力を最大限に活かした「プレイ」を全身で楽しんでいる。もし、この巨大ポラロイドのシステムがまだ使用可能ならば、若手作家が再チャレンジするというのもいいかもしれない。なお、赤々舎から刊行された本展のカタログを兼ねた写真集『126 POLAROID──さよならからの出会い』も盛り沢山の、なかなか充実した出来栄えだ。

2010/08/13(金)(飯沢耕太郎)