artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
森村泰昌モリエンナーレ まねぶ美術史

会期:2010/07/17~2010/09/05
高松市美術館[香川県]
「瀬戸内国際芸術祭2010」で盛り上がる高松で、もうひとつ見逃せないのがこちら。本展は、名画や歴史上の人物に扮した作品で知られる森村泰昌のルーツに迫れる展覧会だ。彼が学生時代から無名時代にかけて描いた、美術史上の巨匠や先達のスタイルを真似して描いた作品を、その元ネタと並べて展示している。ギター少年は練習のために好きな曲をコピーするが、美術家でも同じようなことをする人がいたとは驚きだ。しかも凄いのはその量とジャンルの幅広さ。洋の東西を問わず、20世紀美術をむさぼるように真似て創作の血肉としていたのだ。美術家・森村泰昌の基盤にこうした無数の真似び(=学び)があること、そして美術への深い愛があることを初めて知った。本展を見ると、彼が現在の作風に至った必然性がよくわかる。そして展覧会のクライマックスは、田中敦子の《電気服》と、森村の《光と熱を描く人/田中敦子と金山明のために》の共演だ。ともに大阪の鶴橋を拠点に活動し、個人的にも交流があった両人。尊敬する先輩にオマージュを捧げたその空間は、本当に感動的だった。
2010/07/20(火)(小吹隆文)
瀬戸内国際芸術祭 2010

会期:2010/07/19~2010/10/31
瀬戸内海の7つの島と高松港[香川県、岡山県]
注目のアートイベントにさっそく足を運んだ。2日間フル稼働で取材したが、女木島、男木島、小豆島、豊島と高松港を回るのが精一杯。直島、犬島、大島は後日に持ち越しとなった。すべての会場を巡るには1週間ぐらい必要だろう。真夏の瀬戸内は高温多湿で日差しがきついため体力的にはハードだったが、精神的にはとても充実した2日間だった。瀬戸内と聞くとつい海ばかりを連想してしまうが、実際は海岸部だけでなく、内陸部でも数多くの展示が行われていた。地域の自然、生活、文化、習俗とアートが密接に交流し、美術館やギャラリーでは味わえない広がりのあるアート体験ができた。1回目から完成度の高いイベントに仕上げてきた関係者に賛辞を送りたい。今後もさらに充実を図り、越後妻有と並んで日本を代表する地域密着型アートイベントとなることを期待する。なお、筆者のおすすめは、小豆島の王文志と岸本真之、女木島のロルフ・ユリアス、男木島の中西中井、豊島のキャメロン・ロビンスとジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーだ。
2010/07/18(日)・19(月)(小吹隆文)
渡邊博史「LOVE POINT」

会期:2010/07/07~2010/07/20
銀座ニコンサロン[東京都]
渡邊博史は『私は毎日、天使を見ている』(窓社、2007)でエクアドルの精神病院を、『パラダイス・イデオロギー』(窓社、2008)では北朝鮮への旅をテーマにした写真集を刊行し、写真展を開催した。そして今回の「LOVE POINT」のシリーズでは、「ラブドール」(いわゆるダッチワイフ)というとても興味深い被写体にカメラを向けている。シリーズごとにまったく違う領域にチャレンジしているわけで、その意欲的な姿勢は高く評価されるべきだろう。とはいえ、彼の基本的な関心が「人間」と「人間ならざるもの」(あるいは「人間モドキ」)との境界線を見定めることにあるのは明らかだ。精神病者にしても、北朝鮮のどこかロボットめいた兵士やウェートレスにしても、そして今回の「ラブドール」たちにしても、どこまでが本物でどこからが偽物なのかが、写真というイメージ生成装置を介することで曖昧に見えてくるのだ。さらに今回はそれに輪をかけるように、「ラブドール」の写真に、生身の少女たちにメーキャップしてコスプレの衣裳を着せてポーズをとらせた写真が紛れ込んでいる。そのあたりの微妙な計算が隅々まで行き届いていて、見る者を謎めいたイメージの迷路に引き込んでいく。なお「LOVE POINT」という印象的なタイトルは、同時期に冬青社から刊行された写真集の表紙にも使われた、店の看板の写真から採られている。渡邊が岐阜県中津川で偶然撮影したものだそうだが、女の子の横顔の上に記されたこの言葉がやはりうまく効いているのではないだろうか。写真を見る者一人ひとりが、そこからそれぞれの物語を育てることができそうに思える。
2010/07/18(日)(飯沢耕太郎)
『ライフ』報道写真家が捉えた戦争と終戦 微笑を浮かべて~キャパ、スミス、スウォープ、三木~

会期:2010/06/12~2010/07/31
あーすぷらざ(神奈川県立地球市民かながわプラザ)3階企画展示室[神奈川県]
山梨県の清里フォトアートミュージアムが所蔵する、4人の報道写真家たちの作品、約150点を展示した企画展。そのうちロバート・キャパとユージン・スミスの第二次世界大戦の写真、三木淳のシベリアに抑留されていた兵士たちの帰還のドキュメント(「日本の赤軍祖国に帰る」1949年)は、よく知られているが、今回特に興味深かったのは最近になってようやくその所在が明らかになったジョン・スウォープの写真群である。スウォ─プはアメリカの人気女優、ドロシー・マグワイアと結婚し、ハリウッドの俳優たちのポートレートや、その舞台裏のドキュメントを撮影していた。ところが、第二次世界大戦の勃発とともに軍の広報写真を担当するようになり、1944年にはエドワード・スタイケンが組織したアメリカ海軍航空隊写真班に加わる。1945年8月29日、彼は命令を受けて東京湾から大森に上陸した。連合国の捕虜たちが収容されていた東京俘虜収容所の解放に立ち会い、その様子をカメラにおさめるためである。その後、静岡県新居、浜松、名古屋、仙台、岩手県釜石などを訪れ、捕虜の解放や終戦直後の日本人の表情、街の光景などを克明に撮影していった。スウォープの兵士や民間人の写真を見ていると、ライティングと構図に気を配った、ハリウッドの俳優たちのドラマチックなポートレートのように思えてくる。特にカメラを向けられた日本人たちが無意識的に浮かべた、歓びや哀しみや焦慮の表情は貴重なドキュメントといえるだろう。戦争が彼らに与えた傷跡や、ようやく長い戦いが終わったことの安堵感(それが「微笑」として示される)、さらによりよい未来を希求する決意などが、身振りや表情としてくっきりとあらわれているのだ。どんな言葉でも記述が不可能な、写真でしか語ることのできないメッセージの重みが、これらの写真にはある。
2010/07/18(日)(飯沢耕太郎)
渡邊聖子「結晶」

会期:2010/07/08~2010/07/20
下北沢の現代美術スペース、現代HEIGHTSの小さな部屋で5月から開催されている連続展(企画/言水制作室)。田島鉄也(ペインティング)、七七(視覚詩)、早川桃代(ドローイング)に続いて渡邊聖子の作品が展示された。内容的には渡邊がこのところずっと試みている、写真、ガラス、ゴムなどを使ったインスタレーションの延長上の作品である。写真のコピーやドローイングを綴じあわせた皺くちゃの紙の束がダンボール箱に入れられて放置され、ガラスとゴムの板が床に置かれ、波をかぶった巨大な岩の写真がフレームにおさめられて壁に立てかけてある。これらの全体から浮かび上がってくるのは、事物の「物質性」が写真やコピーによって「像化」され、ガラスやゴム板による干渉を被ることで、どのように変質し、イメージそれ自体の「物質性」を獲得するのかというプロセスである。その変化の相を、部屋の床や壁の触感も巧みに活かしつつ、細やかに検証しようとしている。興味深いのは、コピーの束、ガラス板、岩の写真などの道具立てが、ある種のセットとして扱われていること。つまり、同じ材料が異なった環境にインスタレーションされることで、微妙に違った見え方をしてくるのだ。はじめて見る観客にはそのあたりがわかりにくいのが難点だが、展示を続けて見ていると、その枝分かれしつつ増殖するようなあり方がなかなか面白い。いっそのことセットを完全に固定してしまって、もっと積極的に(ゲリラ的に)いろいろな場所で展示してみてもいいかもしれない。
2010/07/17(土)(飯沢耕太郎)


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