artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
長島有里枝「SWISS+」

会期:2010/07/02~2010/08/04
白石コンテンポラリーアート[東京都]
同じ白石コンテンポラリーアートの2F会場では、長島有里枝の新作展が開催されていた。「2007年に滞在したスイスのVillage Nomadeで撮影した花の写真とインスタレーションによる小さな展覧会」である。「インスタレーション」というのは、銀紙を壁に貼付けて「紙製の鏡」を作り出したもので、そこに観客の顔がぼんやりと映り、横に貼られたプリントと共鳴して面白い効果をあげていた。ほかにもゲルハルト・リヒターの写真が掲載された展覧会カタログに花をあしらった「リヒターの少女と野生の花」、祖母が遺した薔薇の写真をモチーフにした「祖母の花の写真とコンセントのインスタレーション」といった作品もあり、単純なスナップというよりも視覚的な体験の再構築という側面が強まってきている。そのことを、どのように評価していけばいいのかは、もう少し様子を見ないと分からないが、以前のストレートな長島の写真のスタイルとはかなり異質な印象を受けるのはたしかだ。『群像』に連載した作品をまとめた短編集『背中の記憶』(講談社、2009)を刊行するなど、仕事の幅が広がりつつある。今後は写真とテキストを重ね合わせるような試みも出てくるのではないだろうか。会場で先行販売されていた写真集『SWISS』(赤々舎)でも、滞在中の日記と写真とがコラボレーションされていた。同世代の蜷川実花などと比較すると、決して派手な動きではないが、着実に写真作家としての歩みを進めているということだろう。
2010/07/13(火)(飯沢耕太郎)
ウィリアム・エグルストン「21th Century」

会期:2010/07/02~2010/08/04
白石コンテンポラリーアート[東京都]
原美術館に続いて、銭湯を改装したユニークな会場で知られる谷中の白石コンテンポラリーアートでも個展を開催したウィリアム・エグルストン。『美術手帖』(2010年5月号)でも特集が組まれ、時ならぬブームが来ているようだ。それはこの写真家の現実世界へのアプローチの微妙な角度が、いまの空気感にぴったりしているからではないだろうか。過度に感情的ではなく、かといって突き放したクールな描写でもない。居心地がよいようで、実はかなり不安定で怖い部分もある。その絶妙なバランス感覚は、今回の近作展でも充分に発揮されていた。作品を見ながら気づいたのは、かつてのような主題となる被写体が画面の中心におかれているのではなく、より希薄に分散する傾向が強まっていること。壁、窓、地面などが大きな割合を占めていて、何を狙ったのか判然としない写真がけっこう多い。だがそれが逆に写真につきまとう「ノスタルジア」を中和し、リアルな皮膚感覚を呼びさますことにつながっている。その徹底した事物の表層へのこだわりは、おそらく日本の若い写真家たちにも強い影響を及ぼしていくのではないだろうか。とはいえ、エグルストンはひとりいればいいわけで、むしろ別種の視覚的システムの構築をめざしていくべきだろう。
2010/07/13(火)(飯沢耕太郎)
田淵行男記念館20周年記念シンポジウム 田淵行男作品と今後の自然・山岳写真について

会期:2010/07/10
安曇野市穂高交流学習センター“みらい”多目的交流ホール[長野県]
自然写真・山岳写真を対象にした第3回田淵行男賞の受賞作品展(7月2日~27日)を開催中の安曇野市穂高交流学習センター“みらい”で、「田淵行男記念館20周年記念シンポジウム」が開催された。パネリストは写真家の水越武、宮崎学、海野和男、アサヒカメラ編集部の三島靖で、僕も司会を兼ねて参加した。パネリストが異口同音に口にしてしていたのは、ここ10年間のデジタル化の進展がもたらした多大な影響である。デジタルカメラやプリンター、インターネットなどの発達は、ハード面においてはかなり悪い条件でもシャープな画像を手に入れ、広く送受信することを可能にした。たしかに10年前ならば田淵行男賞に届いたかもしれない作品が、今回は入賞作の選からも漏れるというようなことも起こってきている。逆に技術的に横並びの写真が増えてくると、シリーズとしての編集能力や写真を支える「思想」や「哲学」の質が問われることになる。今回田淵行男賞を受賞した中島宏章(北海道)の「BAT TRIP」や準田淵行男賞の金子敦(長野県)の「オオムラサキとともに─共生地の記録から─」は、そのあたりの取組みの姿勢が明確だったということだろう。もうひとつ大きな話題になったのは、自然写真・山岳写真の発表の媒体が大きく変わりつつあるということだ。雑誌の休刊や廃刊が相次ぎ、写真集の発行部数も落ちている。そんななかでインターネットや電子出版が大きくクローズアップされているわけだが、それもまだどのような形で写真を見せていけばいいのか、またそこからどのように収入を生むのかは模索の段階にある。水越武は、逆に写真の原点に戻って、モノクロームのプリントをギャラリーなどで販売するという方向をより強く打ち出そうとしているという。だがこのような混乱は、考え方によってはアマチュアもプロも関係なく、新たな動きが形をとってくる可能性があるということではないだろうか。次回の田淵行男賞は5年後に予定されている。その時自然写真・山岳写真の世界がどんなふうに変わっているのかが、逆に楽しみだ。
2010/07/10(土)(飯沢耕太郎)
渡邉博史 写真展 LovePoint

会期:2010/07/07~2010/07/20
銀座ニコンサロン[東京都]
精巧なヒト型ロボットを写したモノクロ写真。曖昧な焦点がドールのアンニュイな表情を際立たせていたようだが、なかにはリアルな少女を同じように撮影した写真も紛れ込ませており、リアルとフィクションの境界を意図的に撹乱していたようだ。
2010/07/07(水)(福住廉)
湯沢英治「REAL BONES」

会期:2010/07/02~2010/09/08
ジィオデシック[東京都]
2008年に写真集『BONES 動物の骨格と機能美』(早川書房)を刊行した湯沢英治の個展。たしかに動物や魚類の骨をクローズアップで撮影すると、あたかも壮大な建築物を見ているような気持ちを起こさせる。そういえば、アーヴィング・ペンにも『頭骨建築(Cranium Architecture)』(1988)という写真集があった。だが、中目黒のジュエリー・ショップで開催された今回の個展を見ると、湯沢の関心がペンの作品のようなスケール感を求めるのではなく、むしろ骨の細部の繊細な構造に向かっているのがわかる。「動物が小さくなればなるほど、骨の構造が緻密になってくる」のだ。その意味では今回展示された旧作よりも、まだポートフォリオの形にしかなっていない新作の方が興味深かった。小さな鳥類や魚類の骨格が、本当に細やかに絡みあっている様子は、どこか希薄で透明感があり、まさに暗闇で光を放つ宝石のような美しさなのだ。また骨の背景の処理も以前は黒バックが中心で、どちらかといえば図鑑的だったのだが、一部に淡い光を取り込むことで、空間の奥行き感が強まっている。骨というテーマを的確に表現していくとともに、独自の作品世界を構築していこうという意欲を感じさせる。もともと湯沢が写真を撮影し始めた動機は、シュルレアリスム的な表現が可能ではないかと思ったことだったという。今後は骨を単独で撮影するだけでなく、ほかの骨やオブジェと組み合わせたり、その置き場所を工夫したりするなど、さらなる展開も充分に期待できるのではないだろうか。
2010/07/03(土)(飯沢耕太郎)


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