artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
三木義一「フォトジェニック」

会期:2010/06/01~2010/06/13
企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]
三木義一は企画ギャラリー・明るい部屋の創設メンバーの一人。今回の展示は、その真面目な仕事ぶりがよくあらわれた力作だった。会場には28点のモノクロームのポートレートが展示され、以下のような「撮影方法」が掲げられていた。
「暗幕の前にストロボを据え付ける。
他者Aに私の写真を撮ってもらう。
他者Aの写真を撮る。
他者Bに……同様に繰り返す。」
つまり、壁面の片側には三木が撮影した「他者」のポートレートが並び、反対側に「他者」が撮影した三木自身のポートレートが並ぶということだ。その対応関係は、2枚の写真がちょうど正対するように厳密に設定されている。
2つの壁では、やはり「私の写真」の方が圧倒的に面白い。それほど日を置いて撮っているわけではないし、ストロボの発光やモデルの位置もほぼ同じだから、あまり区別がつかない似たような写真がずらりと並ぶことになる。だが、その一枚一枚の微妙なズレが、なんとも居心地の悪い感触を引き出しているのだ。黒っぽく焼きすぎたプリントや、父親の写真だけを他のものとは切り離して並べた会場構成など、これでいいのかと思うこともないわけではないが、こういう試みはやってみないと何が出てくるかわからない。やりきった清々しさを感じることができた。
2010/06/04(金)(飯沢耕太郎)
佐原宏臣「何らかの煙の影響」

会期:2010/05/31~2010/06/12
表参道画廊[東京都]
この展覧会も「東京写真月間」の関連企画で、倉石信乃のプロデュースによって開催された。佐原宏臣は1990年代半ばに、同じく東京造形大学の学生だった森本美絵と『回転』という写真同人誌を刊行していた。そのうち何冊かは家を捜せばどこかにあるはずで、その端正な写真のたたずまいが記憶に残っている。それから15年あまり、編集アシスタントや卒業アルバム制作会社に勤めながら、写真を撮り続けていた。この「何らかの煙の影響」のように、独特の角度から生の断片を再組織する、彼らしいスタイルを確立しつつあるように思える。
「何らかの煙の影響」は2003~09年の間に亡くなった7人の親族の葬儀の場面を扱ったシリーズ。冠婚葬祭の行事を撮影した「私写真」的な作品はそれこそ山のようにあるが、佐原のアプローチはそれらとは微妙に違っている。他の写真家たちのように家族や親戚と自分との関係に焦点を結ぶのではなく、儀式の中に無意識的にあらわれてくる他者の表情や身振りの方に神経を研ぎ澄ましている様子が見て取れるのだ。倉石信乃が展示に寄せた文章で指摘しているように、それは佐原が「自身も葬儀のメンバーでありながら、儀式の余白において出来事を観察する」という絶妙の位置取りをしているためだろう。そのポジションをキープし続けることだけに神経を集中しているといってもよい。その不断の緊張の維持によって、ゆるいようで張りつめた、不思議なテンションの高さが写真の画面に生じている。同時に上映されていた映像作品「sakichi」(カラー、35分)にも、同じように観客をとらえて離さない緊張感が持続していた。
2010/06/02(水)(飯沢耕太郎)
白岡順 写真展 梅雨と白雨

会期:2010/06/01~2010/06/27
ブルームギャラリー[大阪府]
白岡といえば、暗いトーンで窓越しに外の風景を撮ったモノクロ写真が連想される。本展でもそうした作品が、一部に真反対の白いトーンの作品も含めながらずらりと30点も並んでいた。何よりも驚かされたのは出品作品の制作期間。1960年代後半から2000年代まで約40年間にわたっているではないか。それだけの長期間、作風にまったくブレがないとは驚くべきことだ。白岡の禁欲的な制作態度に改めて感じ入った。なお、本展の作品はすべてニュープリントである。それゆえ均質性が一層強調されたのかもしれないことを最後に付け加えておく。
2010/06/02(水)(小吹隆文)
Spring Open 2010

会期:2010/05/28~2010/06/02
BankART Studio NYK[神奈川県]
家人の土岐小百合(ときたま)が「ときたま1993─2010 コトバノチカラ」展(5月7日~30日)を開催していたので、5月にはかなりの頻度でBankART Studio NYKを訪れた。ちょうど2階、3階では4~5月期の「AIR」(アーティストインレジデンス)も催されており、25組のアーティストたちが2ケ月あまり滞在して作品制作をしていた。その成果を発表する「Spring Open 2010」も見ることができた。学生からかなり経験のあるアーティストまで幅があるので、面白い作品ばかりではない。だがこのような試みは、多くのアーティストや観客を巻き込むことで、さまざまな化学反応のような出会いを引き起こす可能性を秘めているのではないだろうか。
その中で、岡山県出身の写真家、藤井弘の作品「土地の方(ほう)へ 序章 横浜、鶴見、横須賀 06─10」が印象に残った。A5判くらいの小さな(だがかなり厚みのある)写真集の形で、ここ数年こだわり続けている「土地と人との関係」を写真とテキストによって構成している。基本的には横浜、鶴見、横須賀で出会ったいろいろな人たちに「いま住んでいる所をどう思いますか?」「故郷という言葉を聞いてどう思いますか?」という質問を投げかけ、その答えを丹念に記録していく作業だ。さらに「土地」の成り立ちを辿るために、古写真や幕末・明治期の図版なども挿入されている。写真のクオリティの高さにも注目すべきだが、むしろ日々の移動の軌跡と、そこから触発されて書かれたテキストとが多層的に重ね合わされることで、「土地」の姿が思いがけない角度から浮かび上がってくるのが興味深い。なかなか見応え、読み応えがあり、さらなる展開が期待できる仕事だと思う。なおBankART Studio NYKの「AIR」は6~7月期にも続けて開催される。
2010/05/30(日)(飯沢耕太郎)
アジアの写真家たち 2010 タイ

会期:2010/05/26~2010/06/11
銀座ニコンサロン(5月26日~6月8日)/リコーフォトギャラリーRING CUBE(5月26日~6月6日)/PLACE M(5月31日~6月11日)[東京都]
日本写真協会が主催する「東京写真月間」の一環として開催されている「アジアの写真家たち」の企画。今年はタイの写真家たちを招聘して、3つのギャラリーで展覧会が開催された。
いつもの年だと、アマチュア写真家のサロン的な作品が並ぶことが多いが、今年は少し様子が違っていた。2007年の東川賞国際賞の受賞作家でもあるマニット・シーワニットプームが「多様性と挑戦」をテーマにセレクトした13人の写真家は、かなりアート志向が強く、刺激的な作品が多かった。マニット自身が銀座ニコンサロンとリコーフォトギャラリーRING CUBEで展示した「Pink Man」のシリーズに、タイ現代写真の特徴がよくあらわれている。「Pink Man」は文字通りショッキング・ピンクのスーツに身を包んだ小太りの中年男(本職は俳優ではなく詩人だそうだ)が、バリ島のような観光地やタイの大衆演劇、リケーの舞台に出現するという演出的な趣向をこらした作品である。当然ながら、その背景には急速な近代化、資本主義化に沸く都市文化と、アジアの伝統社会との間の裂け目や軋みがある。このような批評的、演劇的な視点は、「女の一生」を自ら演じるマイケル・シャオワナーサイや、整形美容の問題を扱うオーム・パンパイロートの「アイデンティティーの危機:性転換シリーズ」にも共通している。日本の写真作家と比較しても、タイの現代写真はポリティカルな志向がかなり強いように感じた。
そんななかでむしろ印象に残ったのは、著名な政治家でもあったスラット・オーサターヌクロの「消えゆくバンコク」のシリーズ(PLACE Mで展示)。モノクロームで、水とともに生きるバンコクの人々の暮らしを細やかに、詩情豊かに描き出す。残念ながら2008年に亡くなって、写真家としての活動は中断してしまうが、記憶に留めておきたい作品だ。
2010/05/27(木)、2010/06/02(水)(飯沢耕太郎)


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