artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

初沢亜利 写真展「匿名化する東京2021」

会期:2022/01/11~2022/01/30

Roonee 247 fine arts[東京都]

あと10年くらい経ったら、我々はコロナ禍を振り返り、「あのときは大変だったよね」としみじみするのだろうか。2020〜2021年は(おそらく2022年も)誰にとっても忘れられない年になった。後にこの時期の写真や映像を見返した際、皆の顔に一斉にマスクが着いていることをどう捉えるだろうか。これまでの街の風景を一変させたもの、それは紛れもなくマスクだったに違いない。

コロナ禍が始まって以来、私はずっとそんなモヤモヤした気持ちを抱えてきたのだが、そのモヤモヤをクリエーションとして鮮やかに表現していたのが本展だった。それはコロナ禍の東京を舞台に街行く人々の姿を追ったドキュメンタリーで、写真家の初沢亜利は「写真は現在を歴史に置き換える作業だが、コロナ禍東京の自画像がどのように未来を予見するか、撮影者にとっても興味深い」とメッセージを寄せていた。展示写真はなんというか生々しく、アグレッシブで、モヤモヤがいっそうザワザワした気持ちにもなった。コロナ禍がまだ現在進行形のせいだろうか……。タイトルの「匿名化」とは、言うまでもなく皆の顔に一斉にマスクが着いていることを指す。晴れ着姿の新成人たちが笑顔で撮る記念写真もマスクであれば、桜の下でも初詣でもマスク、デモでも選挙活動でもマスクである。いつの間にかマスクが日常化してしまった世の中を記録に残しておきたいという衝動は、クリエーターとして然るべきなのだろう。


展示風景 Roonee 247 fine arts


また、続くタイトルの「東京2021」は別の意味でも記憶に残る年になった。歴史上、初めてパンデミック下でオリンピックが開催されたからだ。開催の是非を巡って翻弄されたのは、紛れもなく東京に暮らす我々市民だった。展示写真はその記憶さえもしっかり留めていた。「もうカンベン オリンピックむり!」と窓ガラスに貼り紙して訴えた病院の上の高架を、オリンピックマスコットがあしらわれた電車が走り行く皮肉な瞬間。人気のない国立競技場から盛大に上がる花火。市民の痛烈な叫びや虚しさ、やるせなさといったものがそこには漂っていた。


展示風景 Roonee 247 fine arts



公式サイト:https://www.roonee.jp/exhibition/room1-2/20211124184908

2022/01/29(土)(杉江あこ)

阪口正太郎「私的風景の形成」

会期:2022/01/11~2022/01/24

ニコンサロン[東京都]

阪口正太郎という作者は初めて聞く名前だが、秋田公立美術大学美術学部美術学科コミュニケーションデザイン専攻の教授を務めており、写真の世界で活動してきた人ではないようだ。そのキャリアが、今回の個展の出品作にもよく現われていて、どれを見ても、写真表現の領域を逸脱、あるいは拡張している。プリントの上にドローイングを施した作品が多く、糸でかがったり、巻きつけたり、コラージュを試みたりしたものもある。手法自体はそれほど珍しいものではないが、制作の動機とプロセスに無理がなく、のびのびとした、スケールの大きな作品世界が成立していた。

特に、森、海、樹木など自然を被写体とした写真に、鹿や熊のような動物、「魚人間」など、神話的な形象を描き加えた作品に面白味を感じる。風景写真をドローイングや糸などを使って「私的風景」として再構築しようとする、意欲的な仕事といえるだろう。植田正治が1980年代に発表した「風景の光景(私風景)」シリーズを思い出した。

実はこの展覧会は、阪口が不慮の事故で負傷したために、中止になる可能性があった。何とか作品の準備ができて、無事開催できたのはとてもよかったのだが、展示作品のフレーミングや会場のインスタレーションに関しては、まだ完全に満足のいく形でできあがっているようには見えなかった。そのあたりを、しっかりと仕上げることができたならば、よりクオリティの高い展示になったのではないだろうか。このユニークな作風を、さらに大きく育てあげ、秋田の風土に根ざした作品に結びつけていってほしい。

2022/01/20(木)(飯沢耕太郎)

初沢亜利『東京二〇二〇、二〇二一。』

発行所:徳間書店

発行日:2021年12月31日

2022年に入って、オミクロン変異株による新型コロナウィルス感染者の増加は止まらないものの、2020年から続くパンデミックにも、おぼろげに「終わり」が見えてきたようだ。それに伴い、コロナ禍の状況を写真家がどのように捉えてきたのかを、あらためて検証する動きも出てきた。だが、たとえば東日本大震災などと比較しても、「コロナ時代」を写真で提示することのむずかしさを感じる。ウィルスの脅威を可視化しにくいということだけでなく、マスク姿の群衆や人気のない街といったステロタイプに陥りがちになるからだ。また、2年以上もパンデミックが続いていることで、非日常が日常化し、逆にくっきりとした像を結びにくくなってきているということもある。

初沢亜利も、その困難な課題を引き受けようとしている写真家のひとりだ。既に2020年8月に、1回目の緊急事態宣言下の東京を撮影した写真集『東京、コロナ禍』(柏書房)を上梓しているが、今回、その後の状況の変化をフォローし、衆議院選挙やオリンピック開催の周辺にまでカメラを向けた『東京二〇二〇、二〇二一。』をまとめた。前作もそうだったのだが、本書の掲載写真のベースになっているのは、日々、SNSにアップしていた写真群だという。つまり「写真日記」という体裁なのだが、内向きにステイホームの様子を撮った写真を並べるのではなく(そういう写真はほぼない)、視線が常に外に向いていることに注目したい。

驚くべき行動力で東京中を駆け巡り、横浜に戻ってきたダイヤモンド・プリンセス号、人影のまばらな全国戦没者追悼式、マスク姿で埋め尽くされた初詣の明治神宮、オリンピック反対のデモ、選挙応援演説を終えて虚ろな眼差しを向ける安倍前首相の姿などを丹念に記録していく。とはいえ、全体としてみれば、ジャーナリスティックな題材の写真を点在させつつ、コロナ禍の東京の日常の空気感を炙り出すようなスナップショットを中心に構成しており、その絶妙なバランス感覚が、初沢のドキュメントの真骨頂といえるだろう。

あとがきにあたる「東京の自画像」と題する文章で「撮影者も読者も共に過ごしたコロナ禍だ。前提の共有という点は、これまでにはない本作の特徴だ」と書いているが、たしかに東北地方の被災地、北朝鮮、沖縄など、これまで彼が撮影してきたテーマとはやや異なるアプローチが見られる。日本だけでなく、世界中を巻き込んだパンデミックという共通体験を、どのように受けとめ、投げ返していくのかを手探りで模索する仕事の、最初の成果ともいえるだろう。

2022/01/16(日)(飯沢耕太郎)

横田大輔「Room/Untitled」

会期:2022/01/11~2022/02/06

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

『アサヒカメラ』、『日本カメラ』の休刊以後、日本の写真表現の現在形をフォローする定期刊行物は、ほぼなくなってしまった。その意味で、ふげん社から2022年1月に創刊された『写真(Sha Shin)』への期待は大きい。年2冊のペースで刊行される予定の同誌の創刊号では「東京 TOKYO」と題する特集が組まれている。その巻頭に30ページにわたり新作「Room/Untitled」を掲載した横田大輔の同名の個展が、「創刊記念展」としてふげん社のギャラリースペースで開催された。

今回の展示は、これまでの横田の写真展をずっと見てきた観客にとっては、やや意外な印象を与えるだろう。いつものノイジーな、プリントの物質性を強調したインスタレーションは影を潜め、白枠のフレームにきっちりとおさめられた作品が並んでいる。静謐かつ、端正な写真のたたずまいは、それらが渋谷や立川のラブホテルで撮影されたとはとても思えないほどだ。

だが今回の展示作品は、見かけ以上に横田大輔という写真家のあり方を、自ら問い直し、次の課題を提示するプロブレマティックな仕事になっているのではないだろうか。批評性、構築性は、以前よりむしろ高まっており、見る者の深層意識を掻き乱す毒をたっぷりと含み込んでいる。いわば、横田大輔の「第二期」が、ここから始まるのではないかという印象を受けた。なお、同ギャラリーの2階スペースでは、『写真』創刊号の「東京 TOKYO」特集の掲載作家である北島敬三、金村修、山谷祐介、小松浩子、細倉真弓、森山大道のプリントが展示された。今後、新しい号が出るたびに、掲載作家の展覧会を開催していく予定という。次号(2022年7月発売予定)以降の展示も楽しみだ。

2022/01/16(日)(飯沢耕太郎)

須藤絢乃「VITA MACHINICALIS」

会期:2022/01/07~2022/01/30

MEM[東京都]

須藤絢乃は行方不明になった少女たちに扮した「幻影 Gespenster」(2013)の頃から、実在する人物というよりは、まさに幻影じみた存在に化身したセルフポートレートを発表するようになった。今回、MEMで展示された「VITA MACHINICALIS」は、2018年にキヤノンギャラリーSで開催された澤田知子との二人展「SELF/OTHERS」の延長上にある作品で、「生身の人間をアンドロイドのように」撮影している。発想の元になったのは、2018年頃に人の気配が消えた深夜の都心で感じた「不気味さ」だったようだが、現代と近未来、現実と仮想現実のあわいに立ちつくす「アンドロイド」の姿には、彼女なりの人間観が込められており、動かしがたいリアリティがあった。そっくりだが、微妙に異なる二人の人物のイメージが頻出するのだが、そこには幼い頃に見たダイアン・アーバスの写真集の表紙の双子の記憶が投影されているようだ。以前よりも、画面構成の強度が増してきており、写真作家としてのキャリアを順調に伸ばしてきていることがうかがえた。

なお、MEMの階下のNADiff Galleryでは、「Anima/Animus」展が同時期に開催されていた(同名の私家版写真集も刊行)。こちらは、2015年に亡くなった画家、金子國義の私邸が、2019年に取り壊されるまで、何度か通い詰め、金子の絵の中に登場するモデルたちに扮して撮影したシリーズである。このシリーズからも、作風の幅の広がりと、表現者としての自信の深まりが感じられた。

2022/01/13(木)(飯沢耕太郎)