artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

伊藤義彦「フロッタージュ─フィルムの中─」

会期:2022/03/23~2022/04/28

PGI[東京都]

5年ぶりだという伊藤義彦のPGIでの個展には意表を突かれた。そこに並んでいたのは写真のプリントではなく、凹凸のあるものの上に紙を置いて鉛筆で擦り、その形を浮かび上がらせるフロッタージュの手法で制作された作品だったからだ。

伊藤は撮影済みのネガをプリントする段階で手を加え、新たなイメージへと再構築していく作品をずっと作り続けてきた。ところが、愛用していた印画紙が市場から姿を消したことで、それ以上作品制作を続けることができなくなった。途方に暮れながら、残されたフィルムの断片をいじっているうちに、そこに規則正しく並んでいるパーフォレーション(フィルムの穴)の形を、そのままフロッタージュで写しとることを思いついたのだという。

そうやってでき上がった本作は、フィルムという媒体に対する愛着だけでなく、伊藤が本来持っていた造形作家としての構想力を全面的に開花させたようだ。シンプルだが、味わい深いフィルムのフォルムが紙の上で自由自在に結びつき、伸び広がり、融通無碍な画面が形づくられていく。フィルムだけでなく、切り紙や丸い穴が空いたテンプレート、蝶の形のオブジェなども使って、遊び心あふれるミクロコスモスが織り上げられていた。

その楽しげな作業の集積を見ていると、思わず顔がほころんでくる。伊藤自身にとっても思いがけない展開だったのではないかと思うが、この仕事はいろいろな方向に動いていく可能性を持っているのではないだろうか。

2022/04/02(土)(飯沢耕太郎)

オノデラユキ「ここに、バルーンはない。」

会期:2022/03/19~2022/04/09

RICOH ART GALLERY[東京都]

パリに住んで30年近くになるオノデラユキの個展。キャンバス上にプリントを貼った7点の連作で、いずれも街角を撮ったモノクロ写真の上に、黄色っぽい絵具がベットリと付着している。街の上空に出現した粘体性のエイリアン? というよりは、写された風景写真に覆いかぶさった次元の異なる異物といったほうがいい。汚いたとえだが、写真の上に吐き出されたゲロみたいな(笑)。

そもそもこの作品をつくるきっかけは、1900年初めに撮られた1枚の写真だという。パリの街角を撮ったもので、中央に人がたくさん集まって頭上のバルーンを支えるブロンズのモニュメントが写っている。モニュメントの作者はニューヨークの自由の女神像と同じ、オーギュスト・バルトルディ。ところが現在、そんなモニュメントはパリのどこにも見当たらないので調べてみたら、第2次大戦中に解体され、溶かされて武器かなにかに変えられたらしい。そこでオノデラはモニュメントのあった広場に行き、周辺の風景を撮影。拡大したプリントをキャンバスに貼り、その上からリコーの技術で2.5次元のレリーフ印刷を可能にする「ステアリープ」プリントによって、例の黄色い「ゲロ」を定着させた。

それはオノデラによれば、「『溶けて無くなった彫像』の不在を呼び戻すような行為」だという。だが、こうもいえないだろうか。ブロンズ彫刻は溶かせば武器や弾薬に再利用できるが、写真や絵画は燃やせば灰になってなにも残らない。その驚きと無力感のない交ぜになった不条理な感情が、この不定形なかたちを生み出したのだと。日常的な風景写真と異次元の妖怪=溶解物との出会い。実存の不安に嘔吐したロカンタンではないが、「ゲロ」のたとえもあながち的外れではないかもしれない。

関連レビュー

オノデラユキ「ここに、バルーンはない。」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2022年04月15日号)

2022/04/01(金)(村田真)

本田晋一「7years in 上海 “質感の王国”」

会期:2022/03/18~2022/03/31

Sony Imaging Gallery 銀座[東京都]

本田晋一はなかなか面白い経歴の写真家である。1957年に京都で生まれ、大阪芸術大学写真学科を1年で中退後、スタジオを点々としながら、広告写真を撮影し始めた。その後、シンガポールに6年、ロンドンに半年、ニューヨークに5年滞在し、90年代のデジタル写真の勃興期を経て、東京でフォトグラファー、アートディレクターとして華やかな活動を展開する。2009年からは上海のスタジオと契約し、中国に拠点を移した。習近平の国家主席就任で規制が厳しくなり、日系企業も撤退したので、2018年に帰国。2019年から大阪芸術大学写真学科教授を務めている。

今回のSony Imaging Gallery 銀座での個展は、その上海滞在中に撮影したスナップ写真によるものである。7年間で5万枚を撮影したというが、普段のコマーシャルの仕事とは違って、好きなものを好きなように撮るという姿勢が徹底されており、風通しのいい写真群になっている。当時の上海には「1910~30年代の美しいネオクラシックなアールデコの館」がまだ普通に残っており、過去と現在、ヒトとモノとがアナーキーに混在する活気あふれる眺めを見ることができた。本田は過度に感情移入をすることなく、それらの細部に目を配り、むしろ淡々とカメラを向けていった。結果として、本作では上海をまさに「質感の王国」として捉え直す、新たな視点を提示することができた。

コロナ禍で外遊ができなくなったので、上海での撮影は中断しているが、本シリーズはまだ完結したわけではない。だが他にもいくつか、今後に手掛けたい作品のアイディアも固まりつつあるという。彼のユニークなキャリアを活かす機会も、より増えてくるのではないだろうか。

2022/03/26(土)(飯沢耕太郎)

前谷開「Scape」

会期:2022/03/04~2022/03/27

FINCH ARTS[京都府]

カプセルホテルという外界からの遮断装置に身を置き、壁に描いたドローイングとともに、カメラを見つめるセルフヌードを撮影した「KAPSEL」シリーズなど、「セルフポートレート」の手法を用いて、自己の存在基盤、見られる客体と見る視線、(カプセルホテルの開口部が示唆する)「フレーム」についてメタ的に問うてきた前谷開。レリーズを押してシャッターを遠隔操作し、他者がまったく介在しない撮影手法とも相まって、自己完結性や内省性を感じさせるものだったが、本展では一転して、風景のなかにセルフポートレートを開いていく近年のシリーズ「Scape」が展開された。

暗闇に包まれた展示空間のスクリーンには、やはり真っ暗な林を背に全裸で立つ前谷の姿が映し出される。肩から腕へ、腕から胴体へ、首から顔へと、サーチライトのような丸い光が投げかけられていく。丸い光には樹木の枝が映っているが、身体に強烈な光を当てられて血管、骨、神経など体内組織が透けて見えているようでもある。あるいは皮膚が刺青で枝葉の模様に染められ、周囲の林の光景と同化するようにも見える。フィルムで撮った風景の写真を、撮影に使用したカメラを映写機の代わりに用いて、自身の裸体に投影したという。同様の手法によるもうひとつの映像作品《Under the Bridge》では、アングラな雰囲気の漂う夜の橋の下で、フェンスや空き缶の堆積とおぼしきイメージが裸体に投影される。

プロジェクターではなく、フィルムの裏側から光を当て、撮影に用いたカメラのレンズを通して、イメージ=光を撮影とは逆の方向へ送り返す。そのとき光を受け止める皮膚は印画紙の謂いとなる。また、「レンズで光を集めて受像させる」という目の仕組みがカメラとアナロジカルであることに着目し、カメラの構造を反転させることで、前谷の身体へと送り返された光は眼差しの謂いとなる。風景を眼差した身体が、その風景のイメージに見つめ返される。印画紙としての皮膚は、表面の起伏や突起、体毛により、「滑らかな表面」に還元された風景のイメージに、再び触覚性を与えていく。自他や主客の境界が曖昧になった、エロティックともいえる関係が結ばれる。真っ暗な会場の壁に掛けられた写真作品を、ペンライトで照らして「鑑賞」させる仕掛けも、「光=眼差し」を強調する。



会場風景



会場風景


あるいは、暗闇を走査するサーチライトのような光は、例えば、同じくパフォーマーの裸体に、銃の照準かつHIV陽性を表わす記号である「+」を記した光を投影し、処刑や死を示唆するダムタイプの《S / N》の一場面を想起させる。風景のイメージに対する身体論的な関係の再構築に加え、サーチライトのような光=視線がはらむそうした暴力性、身体組織を透過させるレントゲンの擬態、イメージを一枚の表面すなわち「皮膚」として変換する印画紙など、映像と身体の関係を多角的に問う秀逸な試みだった。



会場風景


関連レビュー

KG+ 前谷開「KAPSEL」|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年05月15日号)
前谷開「Drama researchと自撮りの技術」|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年01月15日号)

2022/03/26(土)(高嶋慈)

オノデラユキ「ここに、バルーンはない。」

会期:2022/03/19~2022/04/09

RICOH ART GALLERY[東京都]

オノデラユキの発想の元になったのは、1900年初めのパリ、ポルト・デ・テルヌの広場を撮影した一枚の絵葉書だった。そこには広場の中央にある、複数の人間が頭上にある大きな気球(バルーン)を支えているモニュメントが写っていた。どうやら、この熱気球の操縦士と伝書鳩を讃えるブロンズの彫刻は、第二次世界大戦中に溶かされてしまったようだ。オノデラはこの「溶けて無くなった彫像」をキーワードとして、その「不在を呼び戻す」ような作品制作をもくろむ。

それが今回展示された、7点連作の「ここに、バルーンはない。」である。

まず、現在のポルト・デ・テルヌの光景を撮影し、それをやや粒子を荒らした大判のモノクローム・プリントとして提示する。その画面上に、RICOHが開発したStareReapという手法で生成された、黄色い不定型のフォルムの図像を重ねていく。StareReapは、UV光の照射によって硬化するインクを用いて、画像を立体的(2.5次元)に盛り上げてプリントすることができる技法である。今回の作品の場合、バルーンの彫刻の「不在を呼び戻す」手段として、この技法がうまく活かされ、インパクトの強い視覚的効果が生じていた。日常的な事物を題材にして、それをさまざまな手法でずらしたり、変型したりするオノデラの作品制作のスタイルが、とてもうまくはまったシリーズだと思う。StareReapはほかにもいろいろと応用が効きそうな技法なので、ぜひ前回の横田大輔(「Alluvion」2021年7月10日~8月7日)、今回のオノデラユキ以外の作家にも積極的に使ってもらい、その表現の幅を広げていってほしい。

関連レビュー

オノデラユキ「ここに、バルーンはない。」|村田真:artscapeレビュー(2022年04月15日号)
横田大輔個展 Alluvion|村田真:artscapeレビュー(2021年08月01日号)

2022/03/24(木)(飯沢耕太郎)