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写真に関するレビュー/プレビュー

森村泰昌:ワタシの迷宮劇場

会期:2022/03/12~2022/06/05

京都市京セラ美術館 新館 東山キューブ[京都府]

まさに圧巻としか言いようのない展示だった。森村泰昌は1980年代から、美術作品の登場人物、ポップスター、女優、20世紀を彩る偉人、古今東西のアーティストなど、さまざまな人物に「変身」するパフォーマンスを、写真作品として発表し続けてきた。その写真を撮影するときには、衣装やメーキャップやポーズを決定後に、まずポラロイド写真で仕上がりを確認する。今回の「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場」展に出品されたのは、これまで撮り溜められてきたそれらの写真である。

いわば、絵画作品の下絵にあたるポラロイド写真は、普通は事前のチェックが終われば用済みになってしまう。ところが、そうやって撮り続けられた823枚のポラロイド写真群は、森村の仕事の現場の記録という以上の凄みを持ち始めているように感じた。ポラロイドの撮影は一回では終わらないことも多い。何度も、ポーズや表情を変えつつ、シャッターを切り続ける。ある人物になりきる行為が、森村にとって宗教的な儀式にも似た切実かつ絶対的な希求であることが、それら大量の、めくるめくような写真の群れから伝わってきた。

それにしても、森村はなぜ、何のために膨大な労力と時間と費用を費やして「変身」の作業を続けているのか。併催されていた30分近い朗読劇、「声の劇場」を視聴して、おぼろげながらその答えを見出したような気がした。学生時代のメモを元に再構成したというその物語のなかで、森村の分身と思われる主人公は、「顔」によって自己の一部を「食われて」しまう。おそらくその物語は、彼自身の原体験の表出といえるだろう。無数の「顔」によって食い尽くされ、その果てに無に帰したいという倒錯した願望が、森村の何者かになりきるという無償の行為を支えているのではないだろうか。

2022/04/27(水)(飯沢耕太郎)

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NITO10

会期:2022/04/08~2022/05/05

アート/空家 二人[東京都]

京急蒲田駅の近くの住宅街に、「ここ」と黒テープがべりべり貼られた一軒家、スペース「アート/空家 二人」がある。このスペースは勝ち抜き戦のような展示「NITO」を続けていて、今回で10回目。スペースの代表でアーティストの三木仙太郎が作家に声をかけて、初回展示の作家は1万円の作品を出展する。2回目の展示では2万円の作品を出展。その作品が購入されたら3回目があり、そこでは4万円の作品を出展することができるが、2回続けて売れなかったら卒業。良作が並ぶ。

iPhone13のカメラに搭載された「シネマティックモード」の浅い被写界深度のビデオ撮影を用いて、appleがアプリの達成として謳う、事後的に付与可能な「芸術的なフォーカス」で映像への陶酔や没入を疎外しつづける迫鉄平の映像作品《シネマティックモードノート》。


迫鉄平《シネマティックモードノート》(2022)シングルチャンネル・ヴィデオ 18分22秒


水質汚染に外来生物の増加に温暖化。環境問題の縮図ともいえる琵琶湖をめぐる市民活動や、固有種の魦(いさざ)の大量死とその環境の改善を、(市民運動を象徴し訴求力たりうる)リトグラフ、クロモカード(19世紀後半から、無料で配られていた版画広告カードを模した「いさざ」のふれこみ)と映像(Youtuberによる投稿動画の平均的な長さ、全編で不可能性のスリルを煽る)で扱う松元悠のシリーズ。3種の媒体で与えられる情報の質感の差は巧みだ。


左から順に
松元悠《せっけんと深呼吸(マキノ町)》(2020)リトグラフ、BFK紙
松元悠《湖魚とクロモカードセット その弐【魦】》(2022)リトグラフ、映像 漁師、駒井健也との共同開発[写真提供:滋賀県琵琶湖環境科学研究センター]
松元悠《3年ぶりに琵琶湖が深呼吸したお祝いに「いさざのなれ鮨」をつくる》(2022)映像、10分


松元悠《3年ぶりに琵琶湖が深呼吸したお祝いに「いさざのなれ鮨」をつくる》(2022)映像、10分


松元悠《3年ぶりに琵琶湖が深呼吸したお祝いに「いさざのなれ鮨」をつくる》(2022)映像、10分


このスペースの展示条件は多重に制作上過酷であるが、作家たちの適度な実験場として機能していることを願う。制作者側からしたら作品の商品化に向き合うスペースであり、来場者からしたら現代美術作品は商品であると自分の家を想いながら作品を観られるスペースであることは間違いない。


公式サイト:https://nito20.com/#about

2022/04/23(土)(きりとりめでる)

開園40周年記念「写真で紡ぐ、思い出の中の動物園」

会期:2022/03/19~2022/06/12

横浜市立金沢動物園[神奈川県]

黑田菜月が企画した展覧会会場に到着した。机と椅子、自販機、トイレ、ながし、掲示板があるだけのこぢんまりとした金沢動物園の休憩所に、木製の展示壁とモニターが鎮座する。仮設壁には、動物園の開館以来のユーザーたちがその思い出のメモ書きと写真を寄せていた。映像では飼育員や愛園者が写真を見つめながら黑田のインタビューに答えている。


開園40周年記念「写真で紡ぐ、思い出の中の動物園」展示風景[撮影:黑田菜月]


1982年3月17日に職員5名で部分開園してから40周年を迎えた金沢動物園の記念企画。年表の横と裏に並ぶ100通を超える来園者の物語とそれに対する飼育員の短いコメントは、日常使いされつつ多くの人々が大事にしてきた園の軌跡を描いていた。人間でいう2世代に相当する40年分の想いの丈が綴られる写真のキャプションには、動物と人間の成長と死と感謝にまつわる言葉が衒いなく書かれていた。金沢動物園はある種の動物が死んだらその種が交代で来る園ではない。うっかりすると、そのこが園にいたことを忘れてしまう。でも写真があれば大丈夫。いやでも、その写真を見返さなかったら?


開園40周年記念「写真で紡ぐ、思い出の中の動物園」展示風景[撮影:黑田菜月]


開園40周年記念「写真で紡ぐ、思い出の中の動物園」展示風景[撮影:黑田菜月]


このイベントは、愛園者による園への謝辞であり、家族写真の再編纂の場であり、親しきものや飼育動物への鎮魂の吐露の場になっていた。死を想うのではなく、たったいまの様子を伝えるような、視覚的発話としての写真(ダニエル・ルビンスタイン)というのは、SNSのプラットフォーム設計の結果、目にする機会が増えただけで、写真が想起のよすがであることは変わらず続いている。それがよくわかる。

インタビューは「写真映像で紡ぐ思い出の動物園」と写真に打ち消し線を入れてクレジットされている。ふと、映像もたくさん残っているに違いないと思い至る。しかし、映像の40年は記録媒体やフォーマットが多岐にわたり、コンバートも困難だ。その一方で、写真の出力は容易だ。この伝達の簡便さはいま写真の長所なのだろう。本展は「写真を見返すきっかけ」として何重にもわたしの胸を詰まらせた。映像はYoutubeでも視聴可能。



開園40周年記念「写真で紡ぐ、思い出の中の動物園」インタビュー映像


関連レビュー

「約束の凝集」 vol. 3 黑田菜月|写真が始まる|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年06月01日号)

2022/04/17(日)(きりとりめでる)

鶴巻育子「幸せのアンチテーゼ」

会期:2022/04/05~2022/04/17

Jam Photo Gallery[東京都]

鶴巻育子は、自らが主宰する東京・目黒のJam Photo Galleryで、昨年4月の「夢」に続いて「幸せのアンチテーゼ」と題する写真展を開催した。そこに展示されているのは、「自身の心理状態を探るため」に撮影を続けているという日常スナップの写真群である。「夢」では、横位置の黒白写真という枠をあえて定めて出品作を選んでいたのだが、今回はカラー写真も、縦位置の写真も入ってきた。では、写真の幅が広がった分、表現のフォーカスも拡散したのかといえば、決してそんなことはない。特に人が写っていない風景写真に、張り詰めた緊張感を湛えているものが増えて、それらが柔らかに包み込むような雰囲気の写真とうまく釣り合って並んでいた。

鶴巻がADHD(多動性の発達障害)を抱えているということを、彼女が展覧会に寄せたコメントではじめて知った。周囲の音が異常に気になって、現実感の喪失や離人症につながることもあり、スナップ写真を撮影するという行為は、彼女にとって現実世界とのかかわりを保つという切実な意味を持つもののようだ。とはいえ、写真家たちには、そのような心理的な傾きを持っている者が多いので、あまり深刻に受けとる必要はないだろう。自分と現実世界との間に薄膜が張っているような感覚は、むしろ写真撮影に集中するためにプラスに働くこともあるのではないかと思う。

今回の展覧会は、たしかに前回よりも先に進んでいた。とはいえ、まだ完成形ではない。いまの仕事をうまく育てていけば、写真家としての次のステージが見えてくるのではないだろうか。あと1回、あるいは2回の展示を経ることで、鶴巻の写真の世界がよりくっきりと形をとってきそうな気がする。

関連レビュー

鶴巻育子「夢」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年06月01日号)

2022/04/15(金)(飯沢耕太郎)

Chim↑Pom展:ハッピースプリング

会期:2022/02/18~2022/05/29

森美術館[東京都]

結成から17年、日本を代表するアート・コレクティブとして名を馳せているChim↑Pom from Smappa!Groupの「最大の回顧展」が、森美術館で開催された。都市と公共性、ヒロシマ、東日本大震災、戦争、移民問題など多彩なテーマを扱い、メキシコとアメリカの国境地帯、カンボジアまでも足を伸ばして、挑発とユーモアがないまぜになったパフォーマンスを縦横無尽に展開し、それらを映像を含めた総合的な現代アートとして提示する彼らの活動が、まさにコレクティブに集成された見応えのある展示である。

それらを見ながら、あらためてプロジェクトにおけると写真・映像の役割について考えさせられた。いうまでもなく、アーティストたちのパフォーマンスは一回限りのものだから、その場にいた者以外の観客にそれを伝えるためには、写真や動画で記録しておく必要がある。逆にいえば、写真・映像こそが、その作品を成立させるために決定的な役割を果たすといえる。Chim↑Pom from Smappa!Groupはそのことをよく理解しており、展示されていた写真・映像のクオリティはとても高い。誰がそれらを撮影したのかは明記されていないが、たとえば彼らの活動を広く認知させた《ヒロシマの空をピカッとさせる》(2009)の写真・映像の強度はただならぬものがある。「May, 2020, Tokyo」(2020)では、「青写真の感光液を塗ったキャンバスを都内各所の大型看板に2週間にわたって設置」するという手法を用いて、まさに写真作品としかいいようのない大判プリントを制作・発表した。彼らの活動を写真家のそれとして捉え直すこともできるということだ。

ひるがえって、写真の分野でChim↑Pom from Smappa!Groupに匹敵する活動を展開している者がいるかといえば、Spew、二人、Culture Centreなどのユニットと、個人の制作作業とを両立させてきた横田大輔くらいしか思い浮かばない。写真家たちによるアート・コレクティブの動きが、もっと出てきてもいいのではないだろうか。

★──本展会期中の2022年4月27日にChim↑Pom はChim↑Pom from Smappa!Groupへ改名した。http://chimpom.jp/project/namechange.html

2022/04/14(木)(飯沢耕太郎)

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