artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

光─呼吸 時をすくう5人

会期:2020/09/19~2021/01/11

原美術館[東京都]

見に行く前は、出品作家の人選と展示意図がうまく呑み込めなかったのだが、実際に会場を回って、とてもよく練り上げられた展覧会であることがわかった。「手に余る世界の情勢に翻弄され、日々のささやかな出来事や感情を記憶する間もなく過ぎ去ってしまいそうな2020年。慌ただしさの中で視界から外れてしまうものに眼差しを注ぎ、心に留め置くことはできないか」というコメントがチラシに記されていたが、たしかにそのような思いを抱いている人は多いのではないだろうか。「コロナの年」として記憶されるはずの今年は、日常がアーティストにもたらす「ささやか」だが大切な促しがあらためてクローズアップされた年でもあった。その時代の気分を掬いとった本展はまた、40年の歴史を持つ原美術館の最後の展覧会(2021年1月に閉館)にふさわしいものであるともいえる。

出品作家は今井智己、城戸保、佐藤時啓、佐藤雅晴、リー・キットの5名。作風はバラバラだが、日常のディテールに目を凝らし、細やかに定着しようという点では共通点がある。展覧会の総題にもなっている、ペンライトや鏡の反射の光を長時間露光で捉えた佐藤時啓の「光—呼吸」や、福島第一原子力発電所の遠景を30キロ圏内の山頂から撮影した今井智己の「Semicircle Law」シリーズは以前も見ているが、城戸保や佐藤雅晴の作品は初めて見たので印象が強かった。「突然の無意味」をカラー写真で探求し続ける城戸の試みは、さらなる「無意味」へとエスカレートしていってほしい。佐藤雅晴が東京の日常の光景を撮影し、その一部をアニメーションで忠実にトレースした「東京尾行」シリーズは、実写とアニメーションとの微妙なズレが絶妙な異化効果として作用している。昨年、まだ40歳代で逝去したとのことで、惜しい才能だったと思う。

原美術館とハラ ミュージアム アークの建物を題材にした佐藤時啓の「こんな夢をみた─親指と人さし指は、網目のすき間の旅をする─」には、別な意味で可能性を感じる。ドローンで撮影した風景をデジタル変換で3D化して、現実世界と仮想世界との両方に足を掛けることで、ぐにゃぐにゃの軟体動物を思わせる奇妙な眺めが出現してきていた。

2020/10/23(金)(飯沢耕太郎)

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野口靖子『台湾 2017-2020』

発行所:VACUUME PRESS

発行日:2020/11/01

野口靖子は1973年、大阪生まれ。阿部淳、山田省吾とVACUUME PRESSを運営しており、これまで同出版社から『桜人』(2008)、『青空の月』(2013)の2冊の写真集を刊行してきた。3冊目にあたる本書『台湾2017-2020』をひもとくと、野口が写真家として力をつけ、魅力的なスナップショットの撮り手になってきたことがよくわかる。

2017-2020年に、台湾を何度も訪れて撮影した写真70点余りを集成した写真集だが、6×6判のフォーマットのカメラを巧みに使いこなして、路上の光景を鮮やかに切り取っている。何といっても、南の国に特有の、ねっとりと湿り気と熱気を帯びた空気感が、画面の隅々から伝わってくるのがいい。カメラと野口のからだとが一体化して、泳ぐように街をさまよっている様子が、的確な被写体との距離感で定着されていて、記憶の織目がゆるやかに解きほぐされていくような、心地よい気分を味わうことができた。

ただ、モノクロームでよかったのだろうか、という疑問は残る。視覚だけでなく、五感すべてを刺激する台湾の光景を白黒で描写すると、抽象度が増して、2017-2020年に撮影したという現在性が薄れてしまう。東松照明は、1972-73年に沖縄をモノクロームで撮影した後、写真集『太陽の鉛筆』(毎日新聞社、1975)の後半部分におさめた「東南アジア編」を開始するにあたって、カラー・ポジフィルムを使い始めた。台湾やフィリピンやインドネシアの「原色の街」を撮るのは、モノクロームではむずかしいと判断したということだ。無理強いするつもりはないが、野口の『台湾』の写真を見ていると、「色」がほしくなってくる。

2020/10/21(水)(飯沢耕太郎)

甲斐啓二郎「綺羅の晴れ着」

会期:2020/10/13~2020/10/25

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

甲斐啓二郎は今年の3月に写真集『骨の髄』(新宿書房)を出版し、8月~9月には銀座ニコンサロンで同名の展覧会を開催した。ここ数年ずっと続けてきた、世界各地の祭事を取材してスポーツや格闘技の起源を探るという作業に、ひとつの区切りがついたということだ。大きな仕事が終わった後、「次」が見つかるまでに時間がかかるというのはありがちなことだが、甲斐がTOTEM POLE PHOTO GALLERYで開催した個展「綺羅の晴れ着」では、早くも新たな方向性が示されていた。

今回、甲斐が撮影したのは岡山・西大寺の「会陽」、三重・津市の「ざるやぶり神事」、岩手・奥州市の「蘇民祭」である。いずれも「はだか祭り」とも称され、褌ひとつの裸体の男性たちの集団が激しく体をぶつけ合うことで知られている。祭事の意味が伝わるような場面を注意深く避け、参加者の表情や身ぶりをきめ細やかに追う撮影のスタイルは、『骨の髄』とも共通しているが、見た目の印象はかなり違う。それは「はだか祭り」であるがゆえの、男たちの「汗や体臭を放出する、ぬるっとした肌」の感触が、より強調されているからだろう。彼らの姿は性的なエクスタシーと紙一重であるように見える。そのことで、祭事全般に潜んでいたエロス的な要素が、全面的に開示されることになった。

甲斐が今回発見した、「はだか祭り」の空間に備わった集団的なエロスの強烈な喚起力が、これから先どんなふうに展開していくのかはまだわからない。だが、その方向を突きつめていけば、新たな領域が見えてくるのではないかという予感がある。

2020/10/21(水)(飯沢耕太郎)

ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー所蔵 KING & QUEEN展 ─名画で読み解く 英国王室物語─

会期:2020/10/10~2021/01/11

上野の森美術館[東京都]

「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」開催中の国立西洋美術館に近い上野の森美術館で、ロンドン・ナショナル・ポートレートギャラリー所蔵の「KING & QUEEN展」が開かれている。ポートレートギャラリーはナショナル・ギャラリーの裏手に位置するので、本場並みに2館をハシゴできるのはありがたい。といっても期間が重なるのは1週間だけだけど。

ポートレートギャラリーはその名のとおり肖像作品だけを集めた美術館。今回はそのなかから、イギリス国王および王族の肖像画と肖像写真により、500年を超えるイギリス王室の歴史を振り返ろうというもの。イギリス王室は日本の天皇家以上に国民に親しまれており、風刺漫画やパパラッチ写真も含めて多くの視覚メディアに取り上げられてきた歴史がある。展示は、15世紀末のヘンリー7世に始まる「テューダー朝」から「ステュアート朝」「ハノーヴァー朝」「ヴィクトリア女王の時代」を経て、現在の「ウィンザー朝」まで5章に分けて構成される。こうした王朝の交代は国によって異なるが、イギリスでは家名が変わるごとに起こるため、女王が誕生すると王朝も変わるのかと思ったらそうとも限らず、よくわからない。いずれにせよイギリス人にとって〇〇朝時代というのは、恐怖の時代とか繁栄の時代とか、その時々の時代気分を象徴するひとつの目安になっているのかもしれない。

第1章のテューダー朝のポートレートはどれも平面的で無表情で、ポーズも設定もパターン化していて、顔をすげ替えてもわからないくらい。そういえば15-16世紀のイギリスの画家なんて1人も知らないなあ。1点だけうまいなと思ったのは、ドイツから来て宮廷画家になったホルバイン作《ヘンリー8世》の模写だった。続くステュアート朝になると表情もポーズも多様化し、ポートレートも生き生きとしてくるが、やっぱりうまいと思うのは、オランダから招聘されたホントホルストの作品や、フランドル出身のヴァン・ダイクの模写、その追従者の作品だったりして、ようやくイギリス人画家によるまともなポートレートが生まれるには、18世紀のジョシュア・レノルズまで待たなければならない(でもあとが続かない)。

そして19世紀、ヴィクトリア女王の登場だ。最盛期を迎えた大英帝国がブイブイいわせていた世紀に、63年にわたって君臨したヴィクトリア朝は、イギリス人にとって世界を制覇した絶頂期であり、古きよき時代の象徴だろう。美術も古典主義からポスト印象派まで目まぐるしく動き、新たなメディアとして写真も登場。この章の約半数は写真だ。また、でっぷり太り不機嫌そうな最晩年の女王を描いた肖像画は、前世紀であれば(というより同時代の日本であれば)不敬罪に問われかねない作品。民主主義が根づいたことを示している。

最後は20世紀からのウィンザー朝の時代。ウィンザー朝はジョージ5世、エドワード8世、ジョージ6世と続くが、なんてったって特筆すべきはエリザベス2世だ。なにしろ1952年に25歳で即位して以来いまにいたるまで68年間も在位してるんだから、ヴィクトリア女王も昭和天皇もびっくり。作品も全体の半分以上をこの時代が占めている。でもその間の王室をにぎやかしたのは、女王本人よりチャールズ皇太子であり、ダイアナ妃であり、カミラ夫人であり、ウィリアム王子とキャサリン妃であり、ハリー王子とメーガン妃であり、要するにドラ息子やドラ孫たちとその嫁のほうなのだ。肖像もエリザベス2世より子孫のほうが多く、「KING & QUEEN」のタイトルからズレてしまっている。

また、この時代はさらに視覚表現が拡大し、写真が8割を占めるほか、ウォーホルのポップなポートレートや、クリス・レヴァインによるレンチキュラーによる肖像画もあって楽しめる。ちなみに、ルシアン・フロイドが女王の肖像を描いている写真があったが、その肖像画は所蔵してないのか、所蔵しているけど出品できなかったのか、残念なところだ。しかしこれだけ実験的な肖像画があるのだから、デミアン・ハーストやクリス・オフィリあたりに肖像画をつくらせたら、もっと話題作ができたのに。でもこれはアートを見せるのが目的じゃなくて、イギリス王室を紹介する展覧会だからね。

2020/10/16(金)(村田真)

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笠木絵津子「私の知らない母」

会期:2020/10/08~2020/10/25

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

笠木絵津子は昨年、作品集『私の知らない母』(クレオ)を刊行して第29回林忠彦賞を受賞した。今年5月にその受賞記念展が周南市美術博物館で開催される予定だったが、コロナ禍で中止になってしまった。今回、コミュニケーションギャラリーふげん社で開催された個展は、それに代わって開催された展覧会である。

3階のギャラリーと2階の工房スペースでの大型プリント13点による展示には、代表作がほとんどすべて含まれている。朝鮮、台湾、旧満州と一家が移動している間に撮られた写真の中に写っている母の位置に、笠木自身が入れ替わるというコンセプトの本作は、デジタル技術を駆使したコラージュ作品という側面が強調されがちだ。だがそれだけではなく、亡き母に時空を超えてもう一度遇いたいという笠木の強い思いが結実したシリーズでもあり、むしろその見方によっては狂気じみたエモーションが、作品を見るわれわれに強い力で伝わってくるところに、その最大の魅力があるのではないだろうか。

もうひとつ、今回気がついたのは、奈良女子大学大学院で理論物理学を学んだという笠木の経歴が、作品制作のプロセスに投影されているのではないかということだ。デジタル・コラージュという手法を用いることで、物理的な時間・距離を歪め、自由に行き来しようという発想には、どこかアインシュタインの特殊相対性理論を思わせるところがある。物理学者の出自を活かした、新たな作品の展開にも期待したいものだ。

関連レビュー

笠木絵津子『私の知らない母』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2020年02月01日号)
笠木絵津子「『私の知らない母』出版記念新作展」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2019年07月01日号)

2020/10/11(日)(飯沢耕太郎)