artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2020

会期:2020/09/19~2020/10/18

伊藤佑 町家、ほか[京都府]

8回目を迎えた「京都国際写真祭」だが、今年は大きなトラブルに見舞われた。コロナ禍でいつものように4月~5月の開催ができなくなり、9月~10月に延期されたのだ。一部のスポンサーが撤退したことで、資金的にかなり厳しい状況でもあった。だが、逆にやや過剰に膨らみつつあった企画を整理できたことで、すっきりとシェイプアップされた展示が実現していた。スタートしたばかりの頃の、規模は小さいが志の高い写真イヴェントという原点に戻ることができたのではないだろうか。

町家や寺院といった、やや特異な造りの会場をうまく活用した展覧会の企画は、「京都国際写真祭」の最大の特徴だが、今回は下京区の伊藤佑 町家で開催された福島あつしの写真展「弁当 is Ready」と、オランダの女性アーティスト、マリアン・ティーウェンの「Destroyed House」が出色の展示だった。川崎市で10年間、高齢者向けの弁当配達の仕事をしながら撮り続けた福島の作品は、現代日本が抱え込む社会問題に新たな光を当てる力作である。ティーウェンは、取り壊される家から出る廃材や塵芥を部屋の中に積み上げるインスタレーション作品を制作する作家だが、今回は町家の2部屋の内部に、壁、柱、梁、階段などの材料を組み直した空間を新たに構築した。素晴らしい出来栄えで、会期終了後も残しておいてほしいほどだ。

ほかにも、木村伊兵衛写真賞を受賞したばかりの片山真理の個展(嶋臺ギャラリー)、1970年代の京都を撮影したスナップ写真を鴨川べりに野外展示した、甲斐扶佐義の「鴨川逍遥」、昭和の匂いが色濃く漂う出町桝形商店街の人々を撮影し、コラージュ的なポートレートを制作してアーケードに展示した、セネガル出身のオマー・ヴィクター・ディオプの《MASU MASU MASUGATA》など、印象深い展示がたくさんあった。サテライト展の「KG +」の枠での展覧会も、会期変更にもかかわらず60会場以上で開催されて活気を呈していた。外国から訪れる観客が少なくなったのは残念だが、イヴェントとしては成功だったのではないだろうか。

公式サイト: http://www.kyotographie.jp/

2020/09/24(木)(飯沢耕太郎)

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下川晋平「Neon Calligraphy」

会期:2020/09/23~2020/10/06

銀座ニコンサロン[東京都]

1986年、長野県生まれの下川晋平は、なかなかユニークな経歴の持ち主である。慶應義塾大学文学部でイスラム文化を学び、アラビア語の読み書きができるようになる。その後同大学大学院では現代美術を専攻し、2011~13年には東京綜合写真専門学校の夜間部で写真撮影の技術を身につけた。今回発表された「Neon Calligraphy」のシリーズも、おそらく下川以外にはなかなか思いつかない作品といえそうだ。

下川は中東諸国で、都市の商店のネオンサインにカメラを向けた。イスラム世界では、書(カリグラフィ)は特別な意味を持っている。書家は神の言葉を可視化する「霊魂の幾何学」を実践する者として尊敬を集めているのだ。商店の屋根や扉にも、アラビア語で書かれた文字が掲げられている。菓子屋には「純粋な長老」、果物屋には「神の力」、携帯電話屋には「ギャラクシー」といった具合だ。それら本来は神聖だったはずの文字が、俗化してネオンサインとして光り輝いている状況が、しっかりと捉えられている。ネオンサインだけでなく、きちんと幾何学的に並んでいる商品や、黒いベールを身につけた通行人の女性など、周囲の様子も丁寧に撮影しており、イスラムの現代社会を思いがけない方向から切り取ったドキュメントとして成立していた。

このシリーズはなかなかよい出来栄えだが、資本主義化が急速に進むイスラム世界には、ほかにも面白い社会現象がたくさんあるはずだ。下川にはぜひアラビア語の読解能力を活かして、多面的な作品を制作していってほしい。なお、本展は大阪ニコンサロンでの展示(7月23日~29日)を経て、銀座ニコンサロンに巡回してきた。

2020/09/23(水)(飯沢耕太郎)

梁丞佑「The Last Cabaret」

会期:2020/08/28~2020/09/19

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

本展は、韓国出身の写真家、梁丞佑(ヤン・スンウー)の新境地といえる。新宿・歌舞伎町を根城とする人々をモノクロームのスナップショットで捉え、2016年度の第36回土門拳賞を受賞した『新宿迷子』のような、ハードコアな人間ドキュメントが彼の真骨頂だが、今回の写真のテーマはまったく意表をつくものだった。たまたまオーナーと知り合ったことで、新宿で昭和30年代から営業してきたグランドキャバレー「ロータリー」を撮影できるようになったのだ。それから1年余り、最年長のホステスが72歳という、昭和の香りが漂うキャバレーの人間模様を撮り続けた成果が、今回の「The Last Cabaret」である(写真展にあわせて、同名の写真集も刊行)。

デジタルカメラで撮影したカラー・プリントによる発表も初めてということだが、そのフラットな色味や質感と、細部まで驚くほどくっきりと浮かび上がらせることができる描写力が被写体にぴったりと合っていて、見応えのある展示になっていた。梁の人柄が出ているのだろうか。かなり際どい場面もあるのだが、全体としてポジティブな雰囲気に仕上がっている。キャバレー特有のインテリアや、モノの丁寧な描写からも、華やかだがちょっと寂しげな雰囲気が伝わってくる。

今年2月、ということはコロナ禍が深刻化する直前に、「ロータリー」はその長い歴史を閉じた。梁のこの仕事は、その最後の日々を記録した貴重なメモリアルになった。「内」にうごめく人間たちの姿を探求していくという新たな方向性は、これまで「外」の世界に目を向けてきた彼にとっても転機となるかもしれない。今後の展開が楽しみだ。

2020/09/19(土)(飯沢耕太郎)

元田敬三「渚橋からグッドモーニング」

会期:2020/09/10~2020/10/04

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

元田敬三は2017年7月16日から、コンパクトカメラにカラー・ポジフィルムを詰め、逗子の自宅の周辺を撮影し始めた。写真は日々、彼の行動範囲に沿って撮り続けられ、家族、長年講師を勤めている写真学校、旅の途中の光景、たまたま出会った写真家たち(倉田精二、橋口譲二、石内都など)へも撮影対象を広げていった。日付を写し込めるコンパクトカメラを使っているので、まさに「写真日記」といってよいだろう。ちなみにタイトルの「渚橋」というのは、家の近くの防波堤近くの橋で、毎朝の散歩の途中に、そこで海辺の風景に向けて「グッドモーニング」と挨拶するのだそうだ。

元田といえば、路上で出会ったテンションの高い人物たちを、中判カメラで撮影し、モノクロームでプリントしたストリート・スナップ写真で知られている。それらの仕事と今回の「写真日記」とはまったく異質のものかといえば、そうではなく、根のところでつながっているのではないかと思う。今回の「渚橋からグッドモーニング」は、ストリート・スナップではあえて切り落としていた、写真のフレームの外にとめどなく広がっていく世界をできる限り取り込み、彼の生とリンクさせていく試みといえる。50代になり、写真家として一皮むけたことで、いわば全方位的な写真の世界を展開できるようになったということだろう。

むろん、今回の展示は中間報告というべきもので、このシリーズはさらに続いていくはずだ。その発表の形も、ただプリントを並べるだけではなく、もっと違ったものになっていくのではないかと思う。9月19日にふげん社で開催したギャラリートーク(聞き手、飯沢耕太郎)では、2020年に撮影した写真を、スライド映写機で上映して見せていた。時間の配分や写真の選択はまだ未完成だったが、スライドショーというのも大いに可能性がありそうだ。

2020/09/19(土)(飯沢耕太郎)

十文字美信「藤崎」

会期:2020/08/28~2020/10/24

SUPER LABO STORE TOKYO[東京都]

鎌倉に本拠を置くSUPER LABOは、森山大道、尾仲浩二、アントワン・ダガタなど、ユニークなラインナップの写真集を刊行し続けている出版社である。2019年3月から、東京・神保町に写真集販売+展示のスペースを設け、写真集出版にあわせて展覧会を開催するようになった。今回の展示も、十文字美信の写真集『藤崎』の関連企画として開催された。

『藤崎』は、十文字が本格的に写真家デビューする前の1967~68年に撮影された、文字通りのスタートラインというべき写真群である。藤崎は、十文字が卒業した神奈川県立神奈川工業高校の1年後輩で、サルトルやハイデッガーを読み、細身のジーンズに革ジャンで決め、バイクを乗り回す早熟な少年だった。十文字は彼と親しくなり、ジャズ喫茶に入り浸る濃密な日々を過ごす。『藤崎』の撮影は、その中で自然発生的にスタートしたセッションであり、笑い、叫び、「夢の島」でチョッパー型に改造した50ccのバイクで疾走する藤崎のしなやかな身のこなしを、動感溢れるカメラワークで捉えている。

処女作には、その作家のその後の可能性が、すべて含み込まれているとよく言われるが、どうやら『藤崎』についてはそうとも言えないところがある。十文字の真骨頂は、「写真とは何か」を恐るべき集中力で問い詰め、ぎりぎりまでコンセプトを練り上げて撮影する作品といえるだろう。初期の代表作「首なし」の連作(1971)では、夢の中に現れ、夜毎彼を恐怖に陥らせた不気味な「男」のイメージを追い求め、全身像からカメラを下に向けて、首から上をカットするという手法を編み出して撮影した。だが、『藤崎』では、そのようなコンセプトが形をとる前の、未分化な衝動が、そのままストレートに投げ出されている。いま『藤崎』をまとめ直すことで、十文字は、もう一度「写真家以前」の自分を取り戻そうともくろんでいるのではないだろうか。70歳を超えた写真家のチャレンジは、まだ続いているということだ。

2020/09/18(金)(飯沢耕太郎)