2017年05月15日号
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artscapeレビュー

パロディ、二重の声 日本の1970年代前後左右

2017年03月15日号

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会期:2017/02/18~2017/04/16

東京ステーションギャラリー[東京都]

「パロディ」の展覧会ならパルコあたりでやってるだろうけど、「1970年代前後左右」という限定つきだと(左右ってなんだ?)わかる人にはわかるというか、50歳以上にはピンと来るものがある。それはマッド・アマノの「パロディ裁判」であり、赤瀬川原平の『櫻画報』であり、雑誌の『ビックリハウス』だったりする。同展はそのど真ん中を行く企画。まずプロローグとして、最初の部屋には山縣旭(レオ・ヤマガタ)によるモナリザのパロディが40-50点ほど並ぶ。作者は今年83歳で、作品の大半は昨年つくられたというから同展の主旨からそれる番外編だが、1978年に「日本パロディ展(JPS)」でパルコ賞を受賞した経歴から特別展示となった模様。それにしても80歳すぎても人真似(パスティーシュ=文体模写というらしい)に専念とは、見上げた根性だ。展示は、60年代の篠原有司男、赤瀬川原平、横尾忠則、立石紘一(タイガー立石)らネオダダ、ハイレッドセンター周辺から始まり、木村恒久のフォトモンタージュ、誌面が白紙の『週刊週刊誌』、つげ義春の『ねじ式』をパロッたつげ義悪(長谷邦夫)の「バカ式」と赤瀬川原平の「おざ式」、読者投稿で成り立った『ビックリハウス』の創刊号から130号まで全巻、といった具合に進む。
ここまで来て、ふと思う。60年代の前衛美術にはまだ社会批判や毒があったが(パロディという言葉はまだあまり使われてなかった)、70年代になると政治性や芸術性の薄いナンセンスなパロディが蔓延していくのは、なぜなのかと。それはおそらく、70年安保闘争の敗北に連動して過激な批評精神が後退し、「シラケムード」が漂ったことがひとつあるだろう。もうひとつは、同展のオオトリとして控えていた「ミスター・パロディ」ことマッド・アマノの、いわゆる「パロディ裁判」も影響しているのではないか。これは写真家、白川義員の写真を無断使用して訴えられ、法廷闘争の結果アマノの敗訴となったもの。最高裁の判決が出たのは80年代だが、その過程で権威や権力(実際は「著作権」だが)に楯突くとヤケドするぞと、みんなビビったのかもしれない。いわば自主規制が働いて、パロディの矛先が内側に向かったということは考えられる。余談だが、パルコが始めた「日本パロディ展」は1980年に「日本グラフィック展」に発展、そこから出てきたヘタウマやニューペインティングが80年代のアートシーンの一角を占めていく。そう考えると、60年代の毒のある前衛美術は、70年代にパロディとして毒抜きされて、80年代に再びアートシーンに還流したといえるのではないか。

2017/02/26(日)(村田真)

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