artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

光あれ! 河口龍夫──3.11以後の世界から

会期:2012/04/03~2012/04/22

いわき市立美術館[福島県]

3.11以後、どのようなアートが必要なのか。多くのアーティストは自問自答を繰り返している。これまでの作風を一変させる者もいれば、あえて貫き通す者もいる。考えあぐねたまま、何も手につかない者もいる。だが、ほとんどの美術家に通底しているのは、震災前から確保してきた表現する主体としての自己を、震災後も持続させる構えだ。
被災地のいわきで催された河口龍夫の個展は、そのような自明視を根底から問い直したという点で、画期的だったと思う。展示されたのは、河口が震災直後から制作した作品200点あまり。東北各地の被害を伝える新聞紙を一月ずつ束にして紐で縛り、わずかに着色するなどして物体として定着させた作品や、蓮の種子を貝殻の内側に仕込んで真珠に見立てる作品など、いずれも東日本大震災を主題としながらも、そのことに狼狽し、混乱し、不安に陥り、しかしそこから立ち直ろうともがく河口自身の姿が透けて見える作品ばかりだ。
《手始め》は、文字どおり震災後に河口が初めて手がけた作品。河口自身の手が描かれたシンプルなドローイングで、何から手をつければよいのか途方に暮れた河口が、表現することを一から見つめ直しているように見える。再起のための手がかりを、みずからの「手」に見出すところに、3.11以後を生きなければならない私たちは、大きな共感を寄せるにちがいない。
表現することとは生きることである。それゆえ生き方に大きな修正が迫られたとき、表現だけが無傷であるわけがない。行き先を見失ったのであれば、原点に立ち返ればよい。そこから再び道を切り開くという基本的な態度を、河口龍夫は示した。

2012/04/22(日)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00017117.json s 10031906

Mètis─戦う美術─

会期:2012/04/07~2012/05/20

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

3.11以後の不穏な日常を生きるための「戦術」(Mètis)をテーマとした展覧会。30歳前後のアーティスト、6人(組)が参加した。企画者のステイトメントにはセルトーが引用されていたので、政治的ないしは社会的なアートを期待したが、実際に発表された作品の多くは内向的で、どこが「戦術」なのか、理解に苦しんだ。必ずしも3.11に直接的に言及する必要はないとはいえ、私たちの目前に大きく立ちはだかる社会という壁を相手に、これではとても満足に闘うことはできまい。唯一、巨大な髑髏のオブジェを中心に映像インスタレーションを構成したヒョンギョンだけは、髑髏に包丁を、天井に有刺鉄線を、映像にメリー・ホプキンが唄う「Those Were the Days」を、それぞれ用いるなどして、辛うじて日常生活にひそむ暴力性を詩的に表現しえていたと思う。

2012/04/21(土)(福住廉)

バッタもんのバッタもん

会期:2012/04/10~2012/04/22

gallery ARTISLONG[京都府]

美術家の岡本光博による企画展。岡本による作品《バッタもん》をはじめ、その型紙をもとに有名無名を問わず71人が制作したバッタもん131匹が一挙に展示された。同じく美術家の鷲見麿によるミニチュアのバッタもん800匹を使ったトロンプ・ルイユ(騙し絵)もあわせて発表されたから、合計すると、およそ1,000匹弱のバッタもんが勢ぞろいした、大迫力の展示である。
会場に群棲したバッタもんは、フォルムがおおむね共通している反面、表面のテクスチュアや色合いなどは、まさに千差万別。素材もダンボールやタオル、フェイクレザー、レース、ビーズ、フランスパンなど多岐にわたっている。なかにはろうけつ染めや藍染、日本刺繍、嵯峨錦など伝統工芸の技術を転用したものや、再利用を謳う百貨店の紙袋を文字どおり「再利用」した人や、自作の絵画のキャンバスを切り貼りして再構成した画家もいる。下は8歳から上は90歳まで、美術の素人から専門的な職人まで、ようするに純粋芸術から限界芸術まで、あらゆる人びとによるものづくりの力をまざまざと感じることができた。
実際、このバッタもんだらけの展覧会を見て思い知るのは、そうしたものづくりが人間にとってきわめて本質的なものだという事実である。90歳のおばあさんがひとりで30匹ものバッタもんを制作したという逸話を耳にすれば、そのことがよりいっそう深く理解されるにちがいない。
岡本の《バッタもん》は、かつて公立美術館に展示された際、一私企業からのクレームにより不当にも撤去されてしまったが、今回のある種のアンデパンダン展では、「表現の自由」への侵害に抗議するだけでなく、《バッタもん》を純粋芸術から限界芸術へと飛翔させることで、表現の魅力を広く解き放ったところが、何よりすばらしい。アーティストは、ネガティヴをポジティヴに、じつに軽やかに反転させてしまうのである。

2012/04/21(土)(福住廉)

臼田知菜美 ちなみっくす展~愛♥のミックスジュース~

会期:2012/04/20~2012/04/22

素人の乱12号店[東京都]

臼田知菜美はエコノミーを追究するアーティストである。といっても金儲けの話ではない。むしろ金がないことを前提としたうえで、いかに他者との関係性を築き上げ、そのなかで事物を流通させ、そのことによって新たな価値を生み出すことができるのかという点を、アートという手段を利用して考えようとしているのだ。きわめて今日的なアートだと言える。
トイレットペーパーやタバコを他人から貰い受け、それらを展覧会場で来場者に提供する映像作品は、必要な物資を貰い受けている。一方、今回新たに発表された、ハートマークを入れた一円玉を見ず知らずの通行人に「落としましたよ」と一方的に分け与える映像作品は、逆に譲り渡している。双方に通底しているのは、いずれの作品も「貨幣」ではなく「贈与」を軸にした最小限のエコノミーを実践していることだ。
貨幣経済のゆがみを是正することがますます難しくなっている現在、臼田が提案しているエコノミーのありようを、たんなる突撃系のパフォーマンス作品として片付けることはもはやできない。むしろ私たちの未来を先取りした、きわめて先駆的な作品として理解するべきである。
ただし、一円玉を受け取った男性の多くが狼狽していたように、臼田からの贈与に私たちが応えることができないうちは、残念ながら理想的な未来社会が実現されたと言うことはできない。つまり、賽は、臼田によって投げられた。あとは、私たち自身がどう動くかにかかっている。

2012/04/20(金)(福住廉)

さわひらき展 Lineament

会期:2012/04/07~2012/06/17

SHISEIDO GALLERY[東京都]

さわひらきといえば、日常的な背景に寓話的なイメージを重ねることで幻想的な世界をつくり出す映像作家として知られているが、今回発表した映像インスタレーション《Lineament》は、その重複を後景に退けるほど幻想性の密度が高められていた。回転するレコードから延びる細い糸が部屋中を侵食し、やがて男の頭部や壁面を貫いていく。現実と虚構がゆるやかに溶け合う幻想性が表わされていることは疑いないとしても、すべてを貫通する糸は、おのずと放射線を彷彿させるから、むしろ終末論的な見方が強くならざるをえないことも事実だ。首を折り曲げて倒立する男は軽やかな浮遊感というより「奈落の底」に引き寄せるような重力を、窓の向こうの海辺は解放感というより室内の閉塞感を、それぞれ逆照していたようにすら見える。それは、幻想を幻想として楽しむことができなくなってしまった今日のアートをめぐる状況も暗示していたようだ。

2012/04/20(金)(福住廉)