artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

縄文人展 芸術と科学の融合

会期:2012/04/24~2012/07/01

国立科学博物館 日本館1階企画展示室[東京都]

縄文人の骨を見せた展覧会。さほど大きくない会場の中央には、男性と女性のほぼ全身の骨格がガラスケースの中にそれぞれ展示され、彼らの骨の細部をとらえた上田義彦による写真がその周囲に貼り巡らされた。おもしろいのは、解説文と写真、そして骨そのものをあわせて見ることによって、縄文人の暮らしや文化、時間、そして人生がまざまざと浮き彫りになるところ。それが、残された骨からさまざまな情報を読み取る研究者による解説文に由来していることはまちがいない。上田によって撮影された美しい写真も大きく寄与しているのだろう(丸い石かと思ったら頭蓋骨の頭頂部だった)。だが、それ以上に、印象に残ったのは、やはり骨という物質そのものである。この存在感と説得力はとてつもなく大きく、だからこそ私たちは、縄文人という人間が、かつて、確かに生きていたことに思いをめぐらせることができたのである。「芸術と科学の融合」というより、文字と写真、そして物質が有機的に統合されることによって、私たちの想像力を刺激した、きわめて良質の展覧会である。

2012/06/30(土)(福住廉)

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安世鴻 写真展

会期:2012/06/29~2012/07/09

新宿ニコンサロン[東京都]

「従軍慰安婦」とされた朝鮮人女性たちの現在をとらえた写真。開催の反対を訴える抗議活動を受けて、会場を運営するニコンが写真展の中止を決定するも、写真家が仮処分を申請したところ、東京地裁が会場使用を命じ、ようやく開催された。会場の入り口には警備員が立ち、来場者は持ち物検査の後、金属探知機を通過してはじめて写真を鑑賞することができた。とはいえ、会場の物々しい雰囲気とは裏腹に、展示された写真は一見すると静謐そのもの。モノクロ写真のなかの老婆たちは、ゆるやかな時間に身を委ねながら、ある者は追憶し、ある者は激情を押し殺し、ある者は哀しみに暮れていたように見えた。展覧会の開催によって彼女たちに出会えたことの意義は大きい。

2012/06/29(金)(福住廉)

日本橋 描かれたランドマークの400年

会期:2012/05/26~2012/07/16

江戸東京博物館[東京都]

ポストモダン美学論の古典として読まれている『反美学』で、編者のハル・フォスターはポストモダニズムを次の2つに区別している。すなわち、「反動のポストモダニズム」と「抵抗のポストモダニズム」。フォスターのねらいは、前者に傾きがちなポストモダニズムの重心を後者に引き戻すことにあり、そのために集められたロザリンド・クラウスやダグラス・クリンプ、ジャン・ボードリヤールやエドワード・サイードらによる論考は、80年代以後のアートシーンに決定的な影響を与えた。
だが、この書物が発行されておよそ30年が経ったいま、フォスターが設定した二項対立の図式は、はたしてどこまで有効なのだろうか。とりわけ、東日本大震災によって近代の価値観と社会システムの破綻を目の当たりにした私たちにとって、その図式じたいが、なにやら疑わしいものに見えてならない。なぜなら、フォスターの言う「抵抗」は、今となっては彼が批判的に退けた「反動」のなかにこそ内臓されているように思えるからだ。より具体的に言い換えれば、「反動のポストモダニズム」──ハーバーマスの言う新保守主義や前近代への回帰主義を、いま一度冷静に吟味することによって、「反動のポストモダニズム」と「抵抗のポストモダニズム」という図式そのものを脱構築する必要があるのではないか。
本展は、400年にわたる「日本橋」の歴史的変遷を、それを描いた浮世絵や版本、絵巻、写真、数々の資料から解き明かした好企画。歌川広重や葛飾北斎らによって描かれた日本橋からは江戸の賑やかな文化が感じられる。美しく湾曲した橋の上を鮮やかな装いの人びとが行き交い、橋のたもとにある魚河岸にはおびただしい舟が接岸し、遠景には江戸城と富士山のシルエットが望める。やや平凡な言い方になるが、街の喧騒が聴こえてくるかのようだ。
描かれた日本橋を見ていて心に焼きつけられるのは、日本橋に代表される江戸文化の華やかな祝祭性である。それがやけに輝いて見えるのは、前近代へのロマンチックな憧憬にすぎないのかもしれない。だが、翻って考えてみると、これだけ幸福感に満ちた視覚文化を、現在の私たちは描き出すことができるだろうか。私たちは、江戸の人びとがそうしたように、この時代を肯定的に表現すること(そして、結果としてそのことを後世に伝えること)が、もはやできなくなってしまった。むしろ、豊かなイメージやリアリティは、もしかしたら「反動」や「伝統」、あるいは「保守」として十把一絡げに打ち捨てられてきたもののなかに残されているのではないだろうか。いま、「江戸ルネッサンス」ともいうべき回帰の潮流が生まれつつある。

2012/06/21(木)(福住廉)

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大辻清司フォトアーカイブ 写真家と同時代芸術の軌跡1940-1980

会期:2012/05/14~2012/06/23

武蔵野美術大学美術館[東京都]

写真家・大辻清司の回顧展。少年期のアルバムからオブジェの美学を追究した写真、そして「実験工房」や「具体」「暗黒舞踏」「人間と物質展」といった前衛芸術の現場を記録した写真、さらには雑誌『アサヒグラフ』における齋藤義重や北代省三、山口勝弘らとの共同制作まで、じつにさまざまな写真が一挙に展示された。大辻の人生の軌跡が、文字どおり写真と同伴していたことがよくわかる。瀧口修造が企画を手がけたことで知られている「タケミヤ画廊」で催された中村宏の個展を撮影した写真など、たいへん貴重な写真も多い(ちなみに「竹宮」だと早合点していたら、「竹見屋」だったことを初めて知った)。ネガフィルムをデジタル化したうえでiPadで自由に観覧させるなど、見せ方にも工夫が凝らされていた。大辻の写真には戦後美術史が焼きつけられていることを考えると、誰もが活用できるアーカイヴとしてぜひとも公開してほしい。

2012/06/20(水)(福住廉)

館蔵品展 身体表現と日本近代美術「物語る身体」

会期:2012/05/12~2012/06/17

板橋区立美術館[東京都]

同館所蔵の日本近代美術の作品を身体表現というテーマのもとで見せる展覧会。秋山祐徳太子、阿部展也、井上長三郎、池田龍雄、中村宏らの作品や資料あわせて70点が展示された。身体を断片化した1930年代のシュルレアリスムから戦後の「肉体絵画」、そしてルポルタージュ絵画にいたるまで、同館の豊富なコレクションを物語る展観だ。身体表現という点でいえば、例えば黒ダライ児が『肉体のパフォーマンス』で解き明かした「反芸術パフォーマンス」が思い起こされる。むろんそのパフォーマンスそのものを保存することは不可能ではあるが、それらを記録した貴重な写真は、せめて公立美術館が収蔵するべきではないだろうか。同展が敷設した身体表現の系譜の先に、「反芸術パフォーマンス」が論理的に接続されることは誰の眼にも明らかだからだ。

2012/06/17(日)(福住廉)

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