artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

小野サボコ HIKARI WO TATAKU

会期:2012/04/09~2012/04/14

Gallery K[東京都]

小野サボコはこれまで薄いアルミニウムの表面に図像を刻印した平面作品を制作してきたが、今回発表されたのは具象的な方向から一転、アルミニウムの広い表面に細かい打点を打ちこんだ作品。光を反射しながらゆるやかに湾曲する表面に穿たれた無数の窪みは、特定の図像を結ぶわけではなく、ただ繊細な打撃の連続を物語っている。それが、例えば鉄の塊と向き合う多和圭三のような力強い肉体運動を彷彿させないのは、ひとえにアルミニウムという極薄の素材によるのだろう。多和が重厚な鉄のなかから柔らかな表面を掘り出しているとすれば、小野はアルミニウムの軽いとはいえ脆いわけではなく、かといって堅牢なわけでもない特質をていねいに引き出したと言えるのかもしれない。

2012/04/12(木)(福住廉)

「近藤守」日本画展

会期:2012/04/09~2012/04/14

コバヤシ画廊[東京都]

銀座の街並みをとらえたモノクロ写真かと思ったら、正真正銘の日本画だった。近藤守の絵は、墨でていねいに描かれた街角の風景と、縦横無尽に走る土色の太い線が重複しながら同居したもの。大胆に採用された一点透視図法と、3つの壁面に連続させた画面の拡がり、それらのあいだをうねりながら貫く線の動きが、今日における都市の猥雑なエネルギーを巧みに引き出していた。技法や様式の点では従来の日本画を踏襲しているが、モチーフや効果の面では来るべき日本画を予見していたように思う。むろん、予断は許されないが、もしかしたら「これまでの日本画」と、「これからの日本画」の分水嶺になりうる作品なのかもしれない。

2012/04/12(木)(福住廉)

The BLACK POWER ブラックパワー・ミックステープ~アメリカの光と影~

会期:2012/04/28~2012/06/08

新宿K’s cinema[東京都]

革命にとって重要なのは「声」である。耳に届く声の質に惹きつけられたからこそ、かつての民衆は革命運動に意欲的に参加したのではないか。黒人解放運動を記録したニュース映像を編集したこの映画を見ると、指導者たちの声の魅力について改めて考えさせられる。
登場するのは、マーチン・ルーサー・キングやマルコムXはもちろん、これまであまり映画で描かれることの少なかったストークリー・カーマイケル、アンジェラ・デイヴィスら、いずれも50~70年代の黒人解放運動の指導者ばかり。時系列に沿いながら運動の展開を小気味よく見せてゆく。政治運動や社会運動のリーダーというと、戦闘的な熱弁のイメージが定着しているが、とりわけ印象的なのは、ストークリー・カーマイケルとアンジェラ・デイヴィスのじつに静かな語り口だ。両者に共通しているのは、「青い炎」ともいうべき押し殺した熱情で、内側の怒りを直情的に表現することを努めて自制しようとしているところに、しなやかでたくましい知性をたしかに感じ取ることができる。この知性は、声だけでコメントを寄せている文化人や知識人の多くが共有しているが、なかでもエリカ・バドゥが歌い上げる声と、アンジェラ・ディヴィスの謳うような演説の声は、その知性が激しく共鳴しながら練り上げられた稀有な例だと思う。
個人的な記憶を振り返ってみても、来日したネルソン・マンデラの声はさほど残っていないが、スチュアート・ホールのそれは強烈に耳に残っている。ホールが語った内容はまったく覚えていない。にもかかわらず、東大安田講堂の内部に響き渡ったバリトン・ボイスのバイブスだけは身体にはっきり刻み込まれているのだ。声が、人を突き動かすのである。

2012/04/10(火)(福住廉)

ウラサキミキオ展

会期:2012/04/02~2012/04/07

Gallery K[東京都]

ウラサキミキオは視点と対象のあいだにレイヤーを重ねた絵画を制作している。これまでの作品のレイヤーはある程度定型化されていたが、今回の個展で発表された作品はひとつずつレイヤーのかたちが異なっており、その重ね方もさまざまで、展示の根底にはこれまで丹念に練り上げてきた型を一気に解き放つかのような潔さが見受けられた。美術家にとって表現を作品に落とし込む型は必要不可欠だが、それを熟成させすぎると自己模倣というスパイラルに陥りかねない。型をあえて破壊することによって新たな表現を獲得しようとするアーティストこそ、信用に足るのではないか。

2012/04/08(金)(福住廉)

後藤靖香 展

会期:2012/03/23~2012/04/23

第一生命南ギャラリー[東京都]

現代アートの展覧会でいつも不満に思うのは、来場者に作品の説明を十分にしないことを、ある種の美徳と考える風潮がアーティストたちのあいだで蔓延していることである。正解を隠したまま一方的に来場者に謎をかけて悦に入ったところで、それが社会的な拡がりや他者を巻き込む求心力を発揮することは断固としてありえないにもかかわらず、この悪習の根は思いのほか深い。だが、こうした独りよがりの思い込みが「現代美術は難解である」というクリシェをもたらしていることを思えば、批評の役割はこの因襲を言説の面で断ち切ることにある。とはいえ、アーティストの側からも、同じような問題意識が芽生えつつあることは、ひとつの希望と言える。
「VOCA奨励賞」や「絹谷幸二賞」の受賞など、近年目覚ましい活躍を見せている後藤靖香の個展では、横長の壁面を埋め尽くすほど巨大な絵画が上下に2点展示されたが、あわせて後藤自身による手書きのリーフレットが来場者に配布された。そこには、会場である第一生命館で戦時中に暗号解読の作戦に従事していた軍人たちの背景が記されており、展示された絵が「パンチカードシステム」という暗号解読のための統計器を駆使する男を描いていることがわかる。独自のアプローチで「戦争」に迫ってきた後藤ならではの趣向で、絵の理解と鑑賞がよりいっそう深められた。紙片の末尾には参考文献も明記されていたから、これは鑑賞のための手引きであると同時に、ある種の学術的なレポートでもあるわけだ。絵画のためのリサーチを繰り返す絵描きは少なくないが、このようにシンプルなかたちでそれを絵画に同伴させる手法は、今後の絵画のあり方を示すモデルになりうるのではないか。

2012/04/06(金)(福住廉)