2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

Aokid『I ALL YOU WORLD PLAY』

会期:2017/08/31~2017/09/03

STスポット[神奈川県]

Aokidは空間のダンス作家だ。それは端的に作品タイトルにあらわれている。2014年に初めて見た公演のタイトル『Aokid city』には驚いた。ダンスの作家で「街」をテーマに作品を作る作家が現れた、と。今作のタイトルは『I ALL YOU WORLD PLAY』。これ、英文法では理解できない。でも、空間の表現と解するならば、五つの単語を並置して本作の空間性が示されていると読み取ることができる。では街に、世界に、必要なものとは何か? インフラ? 法律? 警察力? Aokidが「これだよ!」と全身で示しているのは、内発的なエネルギーだ。それは一言で言うと「青春」というやつだ。「青春」(笑)ではない。そんなメタな高みの見物から異なる運動へと促すある意味でさらにメタな、いやしっかりとベタな「青春」なのだ。ぼくはChim↑Pomの幾つかの作品に、また遠藤一郎の表現のうちに、古くはブルーハーツの中に、Aokidの「青春」に似た「愚直さ」を見ている。筆者も登壇したアフタートーク(9/1の回)でAokidは「青春」は「革命」と同義だ、なぜならば「青春」とは今ある状況を変えたいと思う気持ちだからだ、と口にした。それが、本作では「コンテンポラリーダンスを真摯に更新する」という強い意思として結実した。Aokidが得意としているヒップホップダンスを積極的に導入しながら、常識的なヒップホップダンスでは決してあらわれないボキャブラリーが頻出した。踊っているひとを見て元気になる、勇気を受け取るといった、原初的な感動がそこにはあった。そしてそれは、これまでのコンテンポラリーダンスが見過ごしてきたポイントに相違ない。Aokidが開けたこの鍵は、コンテンポラリーダンスの次の展開の扉を開くものなのではないか、そんな期待を心に抱かずにはいられない。

関連レビュー

Aokid『"Blue city"-aokid city vol.3』|木村覚:artscapeレビュー
Aokid city vol.4: cosmic scale|木村覚:artscapeレビュー
Aokid《KREUZBERG》(第12回グラフィック「1_WALL」展)|木村覚:artscapeレビュー

2017/09/01(金)(木村覚)

プレビュー:猿とモルターレ アーカイブ・プロジェクトin大阪

会期:2017/10/28~2017/10/29

FLAG STUDIO[大阪府]

『猿とモルターレ』(演出・振付:砂連尾理)は、「身体を通じて震災の記憶に触れ、継承するプロジェクト」として、公演場所ごとに市民とのワークショップを通じて制作されるパフォーマンス作品。2013年の北九州、2015年の仙台公演を経て、2017年3月に大阪で上演された(大阪公演の詳細は、下記の関連レビューをご覧いただきたい。メタファーを随所に散りばめつつ、声と身体を駆使した圧倒的なパフォーマンスと反復の密度をたたえた、優れた舞台だった)。この大阪公演では、震災後の東北で記録と継承の活動に取り組む映画監督の酒井耕とアーティスト・ユニットの小森はるか+瀬尾夏美が参加し、朗読テクストの提供や記録撮影を手がけた。
今回の「アーカイブ・プロジェクトin大阪」は2日間に渡って行なわれる。1日目は、映像作家の小森による上演の記録上映会と、記録映像と「継承」のあり方について考える「てつがくカフェ」が開催される。2日目には、瀬尾のテクストの朗読ワークショップと、酒井による映像ワークショップを開催。それぞれのワークショップでは砂連尾も講師として加わり、「身体を使ってテクストを読む」「声や身体による出来事の継承」や、「カメラに撮られる身体の変容」「記録メディアによる出来事の編成の危うさとその可能性」について考えるという。
本プロジェクトは、「震災の記憶の継承」という問題に加えて、「舞台芸術の一回性や身体性をどう記録するか」というパフォーミングアーツにおける「記録」やアーカイブの問題についても考える好機となるだろう。また、単なる記録映像ではなく、映像作家や映画監督すなわち表現者としての視点や問題意識をどう取り入れるか、という点にも注目したい。なお本プロジェクトは、来年3月10日~11日にせんだいメディアテークにおいても開催が予定されている。

撮影:松見拓也

関連レビュー

砂連尾理『猿とモルターレ』|高嶋慈:artscape レビュー

2017/08/31(木)(高嶋慈)

プレビュー:KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2017

会期:2017/10/14~2017/11/05

ロームシアター京都、京都芸術センター、京都芸術劇場 春秋座、京都府立府民ホール “アルティ”、京都府立文化芸術会館、ほか[京都府]

8回目を迎えるKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭(以下「KEX」)。公式プログラムでは、12組のアーティストによる計12の公演や展示を予定。
今回の大きな特徴は2点あり、1点目は「東アジア文化都市2017京都」コア期間事業の舞台部門として、中国と韓国のアーティストが初紹介される。スン・シャオシンは、ネットやサブカルチャーに浸る中国現代社会の若者を描く作品を発表。また、パク・ミンヒは、韓国の無形文化財である伝統的唱和法「ガゴク(歌曲)」を習得した歌い手。宮廷音楽として確立され、親密な閉鎖的空間で歌われた「ガゴク」の鑑賞形態も取り入れ、パフォーマーと観客が1対1で向き合う上演形式も注目される。ネットやサブカルへの耽溺といったグローバルな現象と、伝統文化の再考。こうした文化的アイデンティティをめぐる考察は、村川拓也、神里雄大、ダレル・ジョーンズ、マルセロ・エヴェリンの作品へと繋がっていく。ドキュメンタリーやフィールドワークの手法を演劇に取り入れる村川拓也は、中国と韓国でのリサーチに基づく新作を発表する。ペルー生まれ、川崎育ちという自らのアイデンティティから、移民や他者とのコミュニケーションを主題化してきた神里雄大は、ブエノスアイレスでの滞在経験に加え、近年訪れたオセアニア、小笠原など各地での取材を基にした新作を予定。現地で出演者を見出し、スペイン語での上演を行なうという。また、アメリカの振付家、ダンサーのダレル・ジョーンズは、ゲイ・クラブで広まったヴォーギングからインスパイアされたダンスを通して、ステレオタイプなセクシャリティや抑圧への抵抗を身体表現化している。日本で滞在制作した新作を発表する予定。ブラジルの振付家、パフォーマーのマルセロ・エヴェリンは、過去2回のKEXで衝撃的な作品を観客に突きつけてきた。今回は、舞踏を生んだ土方巽の著作『病める舞姫』を手掛かりとした作品が上演される。極限的な肉体や暴力性を提示してきたエヴェリンが、土方の思想とどう対峙するのかが注目される。


左:スン・シャオシン『Here Is the Message You Asked For... Don't Tell Anyone Else ;-)』 Photo by Chen Jingnian
右:パク・ミンヒ『歌曲(ガゴク)失格:部屋5 ↻』© Festival Bo:m

また、2点目の特徴として、上記のパク・ミンヒに加え、ハイナー・ゲッベルスの音楽劇や池田亮司による「完全アコースティックなコンサート」など、「音楽」との関連性がある。他領域との横断、総合芸術としてのパフォーミングアーツという点では、光と影が巨大な幻想世界をつくり出す田中奈緒子のインスタレーション・パフォーマンスや、美術作家の金氏徹平の映像作品『Tower』をライブ・パフォーマンスとして演劇化する新作がある。また、今年3月に逝去したトリシャ・ブラウンのダンスカンパニーは、「霧の彫刻」で知られる中谷芙二子とのコラボレーション作品のほか、劇場用に制作された作品群を上演する。


左:ハイナー・ゲッベルス×アンサンブル・モデルン『Black on White』 © Christian Schafferer
右:2人『TOWER (theater) 』2017  Photo by Hideto Maezawa

8回目の開催ともなれば、2度、3度と登場する「常連」的な顔ぶれも見受けられる(村川拓也、マルセロ・エヴェリン、池田亮司、金氏徹平、トリシャ・ブラウン・ダンスカンパニー、そしてリサーチプロジェクトとして参加するresearchlight)。そうしたフェスティバルの「基底」に厚みが加わっていくと同時に、新たなアーティストや方向性が加わることで、より太く展開していくフェスティバルの幕開けに期待がふくらむ。
公式サイト: https://kyoto-ex.jp

*ダレル・ジョーンズ『クラッチ』は事情により上演が中止になりました。(2017年9月22日編集部追記)

2017/08/31(木)(高嶋慈)

プレビュー:神戸港開港150年記念「港都KOBE芸術祭」

会期:2017/09/16~2017/10/15

神戸港、神戸空港島[兵庫県]

今年は神戸開港150年ということで、神戸市内ではさまざまな催しが行なわれている。本展は美術系イベントの中核を成すものだ。出展作家は、小清水漸、新宮晋、林勇気、藤本由紀夫、やなぎみわなど国内組16組と、韓国・広州ビエンナーレ参加作家と中国・天津の作家から成る海外組。地元組で手堅くまとめた印象で、目新しさに欠ける感もあるが、ここは彼らに頑張ってもらうしかない。注目すべきは鑑賞法で、「アート鑑賞船」に乗って神戸港を遊覧しながら、全体の2/3程度の展示が見られる。このプランは過去に「神戸ビエンナーレ」でも実施されたが、港町・神戸の魅力を肌で感じられてとても良かった。問題は船と作品の距離。どうしても遠距離からの鑑賞になるので、強烈な存在感を放つ作品を揃えることがポイントになるだろう。神戸空港島での展示は未知数だが、地元民でも馴染みが薄い場所なので逆にポテンシャルを感じる。今回の展示が上手くいけば、将来的に空港島でのアートイベントが増えるかもしれない。この芸術祭は単発イベントであり、規模やラインアップを見ても中庸感が否めない。大風呂敷を広げるのではなく、地元市民にどれだけ認知され、体験してもらえるかが勝負だ。

2017/08/20(日)(小吹隆文)

鎌鼬美術館 常設展示

鎌鼬美術館[秋田県]

都心から8時間、秋田の中でも辺境に位置する田園地域の田代に、鎌鼬美術館が2016年の秋に開館した。写真集『鎌鼬』は、写真家の細江英公が舞踏家の土方巽と連れ立って、1965年9月の2日間、田代に滞在して生まれた。美術館の名は、この写真集に由来している。古民家を改装した美術館では、各国で販売された写真集や細江と土方の活動を紹介する資料が展示されている。美術館の周囲で、写真集に残された数々のハプニングが実際に行なわれた。展示以上に、この美術館の醍醐味は、館外に広がる田園への聖地巡礼にあるのだった。とても親切な館員に、幸いにも、車で聖地を案内してもらった。土方の躍動する身体が、村民を驚かせ、そそのかし、笑わせ、パフォーマーに仕立てた。その奇跡のような出来事の残り香を、車に乗りながら、嗅いでみる。田園地域の貧しい農民の暮らしをベースに、土方は暗黒舞踏と呼ぶ新しいダンスを生み出した。しかし、当の土方は秋田市に生まれ育った、比較的都会っ子だった。若くして当地のモダンダンス系の教室に足を運んでいたところを見ても、土方は知的でモダンな人間だった。いわば100年前のパリの画家たちが、アフリカ文化に新しい芸術の霊感源を求めたように、土方は田代のような村落の暮らしに新しいダンスの根拠を求めたわけだ。田代の今日的活用ということを、土方もまたこの美術館の運営者も考えている。そういう意味では、両者は同じ地平に立っているのかもしれない。しかし、その目的は異なる。土方は芸術のために、美術館は田代の活性化のために、田代の資源に可能性を見た。両者は互いの価値に寄生しているわけだが、芸術の活性化と地域の活性化が相乗効果を生み出せるか、どちらかだけではともに形骸化してしまう。そもそも舞踏の形成になぜ田代が、秋田の田舎の暮らしが必要だったのか、その本質に迫って初めて、活路が見えてくるのだろう。

2017/08/13(日)(木村覚)

文字の大きさ