2024年02月15日号
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artscapeレビュー

許家維+張碩尹+鄭先喻「浪のしたにも都のさぶらふぞ」(中編・第二部その1)

2023年08月01日号

会期:2023/06/03~2023/09/03

山口情報芸術センター[YCAM][山口県]

前編から) 

中編・後編では、本展の第二部《浪のしたにも都のさぶらふぞ》を取り上げる。YCAMの開館20周年記念事業として、同館とのコラボレーションによって制作され、映像とライブパフォーマンスを組み合わせた上演型インスタレーションである。中編で本作の概略を記述したのち、後編ではより多角的に掘り下げる。「日本の植民地支配の歴史をVRを通して批評的に問う」という姿勢について、特に戦闘ロボ、アニメや妖怪、人形浄瑠璃といった「日本の文化」を巧みに織り込む戦略や、「何が時代を駆動させるエンジンなのか」といった根本的な問いにおいて、共通するホー・ツーニェンの近作群とも比較する。また、映像の終盤に登場し、パフォーマーのいる舞台/客席を批評的につなぐ「畳の床」という、半ば不可視のもう一層のレイヤーのもつ意味についても考察する。

前編でふれたように、第二部の舞台は、砂糖を運ぶ航路で台湾と結ばれ、製糖業や国際貿易港として栄えた北九州の門司である。《浪のしたにも都のさぶらふぞ》という作品タイトルは平家物語の一節に由来し、第一部での「布袋戯」と対応するように、伝統芸能の人形浄瑠璃(文楽)が登場する。なぜ平家物語なのか。日本海と瀬戸内海を結び、交通や軍事の要所であった関門海峡には、門司の対岸に、平家一門が滅んだ壇ノ浦がある。平清盛の妻・二位尼が幼い安徳天皇を抱いて入水した際の台詞が「浪の下にも都がございますよ」だ。「平家でなければ人ではない」と言われたほどかつて栄華を誇った平家の盛衰と、製糖業をはじめ一連の製造業でかつて栄えた門司が重ねられる。作中では「繁盛繁盛 門司門司 日本第一 門司門司」という門司の繁栄を歌った唄が象徴的に流れる。

人形浄瑠璃は、物語を語る太夫たゆうと三味線の伴奏に合わせ、1体の人形を3人の人形遣いで操る芸能である。本作の撮影は門司で行なわれ、太夫と三味線奏者は海に臨む洞窟(蕪島)に敷かれた仮設の畳の舞台の上に座し、人形遣いは関門製糖の工場内(台湾の製糖工場と同じく大日本製糖が運営した工場が前身)で人形を操る映像が流れる。「砂糖」の視点でみる近代化と植民地史、「人形劇」という第一部との通底要素に、さらにもう一層のレイヤーとして加わるのがVRである。人形遣いが操る人形は顔も衣装もない白紙状態で、モーションキャプチャセンサーが付けられ、そのデータは3DCGアニメーションの童子、侍、芸者の人形のアバターの動きとしてスクリーン上に再現される。人形遣いが人形を操る舞台は、工場から和室の大広間に移動する。そこはかつて門司を代表する高級料亭だった「三宜楼」の大広間であり、当時の華やかな宴を思わせるように、赤い着物の芸者の人形のアバターが舞い踊る。



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!)]


後半では、これらの映像を映していたスクリーンが「幕があがる」ように上昇し、「畳敷きの舞台」が出現。VRゴーグルを付けたパフォーマーが登場し、その背後には、「屏風」に見立てるように縦長の3面スクリーンが配置される。パフォーマーの動きは、3DCGのアバターをなぞるように、「人形」のようなギクシャクとしたぎこちない動作だ。一転して、芸者の人形のアバターが牙を剥き、角が生えて鬼に変貌すると、パフォーマーとアバターの動きが同期し始める(映像では人形遣いの姿が消える)。あえてジェンダーの視点から深読みすると、「人形」としてモノ化され、一方的に操られ、視線の対象にされてきた「怒り」が、「 生身 ・・ の女性パフォーマー」が動きを生み出す側に逆転することで重ね合わせられたともいえる。パフォーマーが白い羽織を脱ぐと、全身にモーションキャプチャセンサーを付けていたことが露になる。



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


だが、太夫が「盛者必衰のことわり」を語り、迫り来る危機と「底なし沼に落ちていく」という語りが展開すると、人形のアバターがいる仮想世界も水中に沈んでいく。パフォーマーはさらにハンドコントローラーを両手に持ってアバターを操り、仮想の水中世界を漂う。その映像は、パフォーマーがVRゴーグルで見ている世界だろうか。だが、アバターを自在に操り、VRの世界を見ているパフォーマー自身、観客に「見られる」対象であり、視線の入れ子構造が示される。



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


クライマックス、太夫の語りは二位尼の入水のシーンにさしかかる。「海に飲み込まれ、沈んでいく」という語りは、「現実と仮想空間の境界がなくなり、仮想空間に飲み込まれる没入状態」とオーバーラップする。だが、仮想空間はバラバラに崩壊。映像の前半、3DCGで再現されていた工場や船、料亭の残骸とおぼしき破片が水中に沈んでいく。海に沈んだ平家の船と、米軍の爆撃を受けた門司の街が重なり合う。崩壊する世界から逃れようと、もがきだすパフォーマー。束縛を引きちぎるように、ハンドコントローラーを投げ捨て、全身に付けたモーションキャプチャセンサーを一つずつ取り外すと、畳の上に落ちた部品が3DCGの破片とさらに重なって見える。最後にVRゴーグルを外すと、恐るべき崩壊のビジョンも真っ暗に消滅した。



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]



[撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


第一部と同様、この第二部でも、「過去との物理的な接触」による音響が、「もう一つの声」として併走する。砂糖を溶かして固めたオレンジ色の円盤や、錆びついた砲弾が「楽器」として打楽器奏者によって打ち鳴らされる。ドラムのように激しく叩かれる砂糖の円盤は、「過去」の音を現在において響かせ、仮想世界と同様、ボロボロに壊れていく。

後編に続く)

2023/06/24(土)(高嶋慈)

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