2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

パフォーマンスに関するレビュー/プレビュー

身体0ベース運用法「0 GYM」

会期:2017/09/02~2017/10/15

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

「身体0ベース運用法」とは、染色作家の安藤隆一郎によって考案された、ものづくりの観点から出発した身体運用法の名称。安藤の染色作品は、細い線描で描かれた有機的で流体的な形態が、柔らかい色彩のグラデーションで染められた繊細な印象を与えるもので、身体トレーニングとの関連性は最初は意外だった。だが、例えば染色のハケを往復させる腕の動きを素振りのように繰り返し、滑らかに動かせるように練習するなど、身体と一体化した技術への関心が以前からあったという。また、安藤は、スポーツに加え、ブラジリアン柔術や合気道を習っており、鍛えられたダンサーのような体格だ。
本展で提示された「身体0ベース運用法」の基本トレーニングは、「物編」「場所編」「リズム編」の3つに分かれる。いずれも、歩く、座る、走るといった誰もが日常的に行なっている身体運動に、「物の運搬」「地面の凹凸」「リズムの意識」といった契機や負荷を与えることで、バランスの不安定さや重心の移動、皮膚感覚の活性化が生まれ、機械が何でも代行してくれる日常生活の中で希薄化した身体への意識を回復させることを狙いとしている。例えば「物編」では、背負子をしょって歩く、長い木の棒を片手に持って走る。「場所編」では、地面を裸足で歩き、複雑な凹凸や柔軟の違いといった情報を足裏の皮膚感覚で掴む。「リズム編」では、田植え歌や機械労働以前の労働歌のように、反復的な作業を効率良く行なうための気持ちの良い「リズム」を探し、リズムの違いによる身体運動の変化を観察する。こうした実践は、安藤自身がさまざまな場所で行なった記録映像とともに、背負子や木の棒の実物、模擬的なトレーニングフィールドも仮設され、観客が実際に体験することもできる。また、展示室の一室はスタジオとして使用され、「パーソナルトレーニング」に参加した美術作家たちが、トレーニングを行ないながら作品の公開制作を行なっている。
身体意識の活性化を通した「身体づくり」を基盤とする安藤のこうした実践は、既存の美術教育現場への優れた批評でもある。特に美術大学の教育では、「コンセプト」の洗練や「素材」「技法」の習得が重視される一方で、素材を実際に扱う身体の運用や意識の仕方については等閑視されがちだからだ。さらに、「身体0ベース運用法」の思想と実践は、あらゆる人間の活動のベースとなる「身体」を基盤に置く点で、美術に限らず、医療や介護、ダンス、運動科学などさまざまな分野と通底する可能性を持っている。

身体0ベース運用法「0 GYM」 Shintai 0 Base Uny h : 0 Gym from Gallery @KCUA on Vimeo.

2017/09/23(土)(高嶋慈)

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田中みゆき「音で観るダンスのワークインプログレス」上演&トーク

会期:2017/09/16

KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ[神奈川県]

キュレーターの田中みゆきは今年2月にもKAATで、康本雅子とともに、見えない人たちがコンタクトインプロヴィゼーション(体を接触させた状態で二人ひと組になって行なう即興のダンス)を踊る公演「視覚障害×ダンス×テクノロジー”dialogue without vision”」を行なって注目を集めたばかりだ。今回、田中は見えない人と見える人とがともにダンスを鑑賞するために「音声ガイド」付きの上演を試みるというプロジェクトを企画した。イベント当日は、三回のワークショップと数回の研究会での顛末を紹介するトークがあり、その後、観客全員が音声ガイドを耳に当てながら、捩子ぴじんのダンスを鑑賞した。上演は二回。一回目は照明の下で、二回目は完全暗転の中。音声ガイドは三種類。ひとつは捩子ぴじんが台本を書きARICAの安藤朋子が朗読したもの。ひとつは研究会メンバーによる「観客の視点(を起点にしたダンサーの動きについてのできるだけ客観的な説明)」をベースにしたもの。もうひとつは能楽師の安田登が独自の解釈と抑揚で作成したもの。田中によれば、音声ガイドの決定版が作りたいというよりも、音声ガイドを作ることで「ダンス」を考えるための隠れている視点を発見することに主眼があるとのこと。一回目の上演では、見える人である筆者は音声ガイドが余計なもの(冗語的)に思えた。それが二回目では、視覚の要素がない分、音声ガイドが心地よく、楽しく聞こえてきた。視覚の要素がなくても、床の軋みや衣擦れの音は聞こる。その音とガイドの音とが重なる。上演後、観客から、見えないと架空の捩子ぴじんを踊らせることができて面白かったという趣旨の感想があがった。なるほど、ダンサーの姿は見えなくてもダンスは成立するのだ。もう一つ興味深かったのは、三つの音声チャンネルをちょこちょこ変えて、ザッピングしながら鑑賞した人が多かったことだ。ぼくたちは与えられたメディアを自主的に、自分が一番楽しい形で使うことに慣れている。舞台上演の鑑賞形式というものは、ほとんどオプションがない。音声ガイド機器が与えられることで、あえてそれを使わないことも含め、鑑賞の自由が広がるわけだ。そもそも、音声ガイドをダンス上演に導入するということは、ダンスと言葉との関係を研究することとなる。「ダンスは映像に残らない」と同じくらい「ダンスは言葉にできない」とはよく言われることだ。しかし、言葉でダンスにどこまで迫れるのか、どんな言葉ならば、ダンスを忠実に言葉にできたと言えるのか。ぼくたちは「できない」という言葉に甘えずに、そうした探究を日々続けるべきだろう。見えない人とダンスを観るという奇想天外な提案は、ダンス創作の盲点を告げ知らせてくれるものだった。

関連レビュー

康本雅子『視覚障害XダンスXテクノロジー“dialogue without vision”』|木村覚:artscapeレビュー

2017/09/16(土)(木村覚)

神戸港開港150年記念「港都KOBE芸術祭」

会期:2017/09/16~2017/10/15

神戸港、神戸空港島[兵庫県]

1858年に結ばれた日米修好通商条約に基づいて、1868年に開港した神戸港。我が国を代表する港湾の開港150年を記念して、地元作家を中心とした芸術祭が開かれている。参加作家は、小清水漸、新宮晋、林勇気、藤本由紀夫、西野康造、西村正徳など日本人作家16組と、中国・韓国の作家3名だ。会場は「神戸港」と「神戸空港島」の2エリア。ただし、神戸港エリアの一部はポートライナーという交通機関で神戸空港と繋がっており、「神戸港」と「ポートライナー沿線」に言い換えたほうがいいかもしれない。芸術祭の目玉は、アート鑑賞船に乗って神戸港一帯に配置された作品を海から鑑賞すること。港町・神戸ならではの趣向だ。しかし残念なことに、取材時は波の調子が悪く、アート鑑賞船は徐行せずに作品前を通過した。通常は作品の前で徐行してじっくり鑑賞できるということだが、自然が相手だから悪天候の日は避けるべきだろう。一方、意外な収穫と言ってはなんだが、ポートライナー沿線の展示は、作品のバラエティが豊かであること、主に屋内展示でコンディションが安定していること、移動が楽なこともあって、予想していたより見応えがあった。神戸空港という「空の港」と神戸港(海の港)を結び付けるアイデアも、神戸の未来を示唆するという意味で興味深い。会場の中には神戸っ子でも滅多に訪れない場所が少なからずあり、遠来客はもちろん、地元市民が神戸の魅力を再発見する機会に成ればいいと思う。

2017/09/15(金)(小吹隆文)

Q『妖精の問題』

会期:2017/09/08~2017/09/12

こまばアゴラ劇場[東京都]

舞台には、大人用紙おむつをつないで作った巨大な白い布が壁にかかり床まで広がっている。登場した竹中香子もオムツ姿。本作の見所は、この竹中のほぼ一人芝居で舞台が回っていくところだ。当日パンフにも第一部は「ブス」、第二部は「ゴキブリ」、第三部は「マングルト」とあったように、本作は三部構成。それぞれ上演様式が異なり、第一部は落語、第二部はミュージカル、第三部は健康食品の実演販売の様式があてがわれていた。第一部は、ブスな女二人がブスは生きていても意味がないと会話し続ける落語。「ブスは生きていちゃいけない」「ブスは子孫を残しちゃいけない」みたいな発言が飛び交う。それが、ぼくたちの内心にはびこるコンプレックスを刺激して、ぼくたちをギュッとさせる。先日の『地底妖精』もそうだったが、劇作家 市原佐都子は「見えないもの」を観客に見せようとする。サイトにはこんな言葉もある。「私は見えないものです。見えないことにされてしまうということは、見えないことと同じなのです。」つまり「見えないもの」とは、社会の価値基準によって「見えないことにされてしま」っているもののことだ。演劇もまた自分たちの(支配的立場の)価値基準で多くのものを「見えないことに」し、「見えないもの」にしてきた。「ブス」とは、だから社会また演劇における排除の問題でもある。続く第二部は、ラーメン屋の隣に住むカップルがゴキブリに怯え、ホウ酸団子やバルサンで撃退するさまをミュージカル風の演出で見せてゆく。今ここで観客は、排除する側の視点から世界を見つめることになる。第三部は、女性器で培養した菌でヨーグルトならぬ「マングルト」を作り、食べる健康法を、実演販売の様式で見せてゆく。地産地消に似た「自産自消」と語る「マングルト」は、他者に依存したり、他者と愛し合ったりせずとも、一人で暮らしていける「自立」の象徴だ。それでも、死んだら死体が残る。最後は、「マングルト」の創始者を名のる白髪の女の独り言で終わる。死体はきっと自然に還る。死体になることで、私たちは自然の運動に連なってゆける、そんな呟きだ。観劇後、この劇に物語がないことに気がついた。物語には(ひととひととの)関係があり、関係の展開があるものだ。ここには、それが見えない。この欠落こそが問題である。この問題をあぶり出すQの強い批評性が際立った舞台だった。

関連レビュー

こq『地底妖精』|木村覚:artscapeレビュー

2017/09/12(火)(木村覚)

六甲ミーツ・アート 芸術散歩2017

会期:2017/09/09~2017/11/23

六甲山カンツリーハウス、自然体感展望台 六甲枝垂れ、六甲有馬ロープウェー、六甲ガーデンテラス、六甲高山植物園、六甲オルゴールミュージアム、六甲ケーブル、天覧台、TENRAN CAFE、六甲山ホテル、六甲山牧場(サテライト会場)[兵庫県]

神戸市の六甲山上に点在するさまざまな施設を会場に行なわれる芸術祭「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」(以下、「六甲~」)。その名の通り、散歩感覚で山上を歩き、芸術作品との触れ合いながら、六甲山の豊かな自然環境や観光資源を楽しめるのが大きな魅力だ。今年は39組のアーティストが参加し、例年のごとく多彩な展示が行なわれている。筆者のおすすめは、六甲山カンツリーハウスの川島小鳥、六甲高山植物園の豊福亮と楢木野淑子、六甲オルゴールミュージアムの奥中章人と田中千紘、六甲山ホテルの川田知志である。一方、今年の展示は全体的に小ぶりで、やや地味な印象。「六甲~」自体も2010年の第1回から8年目を迎えたこともあり、そろそろマンネリ回避策を考えねばならない。具体的には、これまでの総括と、新たなテーマ設定、目標設定だろう。それと関係しているのかもしれないが、第1回から企画制作を担当してきた「箱根彫刻の森美術館」の名が今回から消えていた。筆者は、この芸術祭のクオリティーが保たれてきたのは、彼ら美術のプロたちの存在が大きかったと思っている。今後の「六甲~」はどこへ向かうのだろう。若干の不安を覚えたのもまた事実である。

2017/09/08(金)(小吹隆文)

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