[新春企画]アート・ヴュー 2008 |
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美術、写真、映画、建築、デザイン、演劇、ダンスなど、各ジャンルの批評家、ライター、作家らが、2007年を振り返りながら2008年注目のアートシーンを展望します。2月1日号まで随時更新! |
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2008年に注目するアーティストとその理由
2008年に期待する展覧会・ムーヴメントとその理由 |
2008年の「期待」という題目には正直戸惑ってしまうのだが、今の段階で予定されている展覧会、あるいは開催が「期待」されるものについて語るぐらいなら可能だろうか。
今年7月から東京オペラシティアートギャラリーで開催予定の『トレース・エレメンツ──日豪の写真メディアにおける精神と記憶』は、日本とオーストラリアの作家によるグループ展であるが、日本からは古屋誠一や志賀理江子、古橋悌ニなど、オーストラリアからはジェーン・バートン、ソフィー・カーンらの名前が挙がっている。出品作家からこの展覧会の内容も想像するしかないが、おそらくトレース(痕跡)であり、物質の上に定着されたものあるにもかかわらず、曖昧で可塑的な映像の性質をクローズ・アップするものになるだろう。古屋は20年以上も前に自殺した妻のポートレイトと出会い直し、変容させることによってこれまで幾度も写真集を編んできたし、志賀は一度撮影した写真を再び現実の光景の中に差し戻し、再撮することによって、現実のコピーたる写真の異物性を際立たせてきた。過去から切り取られたものとの現在形の出会い直しこそが、次なる出会いとの推進力となりうるのであり、存在と非存在の閾にあるような映像の回帰性がわれわれのリニアな時間軸を揺るがすだろう。
あるいは事後的に見出される写真の中にアクチュアルな可能性が胚胎していることもあるかもしれない。広島を舞台にしたアラン・レネの『二十四時間の情事』は、「ヒロシマ・モナムール」というマルグリット・デュラスの脚本による劇映画であったが、この中でヒロインを演じたエマニュエル・リヴァがロケ中に自らのカメラで多くの写真を撮影していたことが分かったという。被爆から十数年を経た広島の街がフランス人である彼女の持つカメラにどのように捉えられていたのか。映画に映し出されている街の様子から憶測するしかないが、それはかつて確かに撮られていたにもかかわらず、今日までわれわれのもとに届きえなかった広島のイメージだろう。今日そこかしこで膨大な映像が生み出され続けているが、過去に撮られていたにもかかわらず、置き忘れられていた映像とのかかる出会い直しというものも「期待」したい。 |
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2007年に記憶に残った書物、論文、発言など |
昨年刊行された仲里効の『オキナワ、イメージの縁(エッジ)』(未來社、2007)が第28回沖縄タイムス出版文化賞を受賞した。ここに綴られているのは「ジャパニゼーションという以外にないアメリカナイゼーションの変態」によって、政治的にも経済的にも精神的にも浸食されていく「復帰」前後の沖縄の現実を凝視してきた仲里が、「第二の現実」である「沖縄映画」を介することによって絞り出した言葉である。「日本留学」世代であった彼が、「沖縄」と「OKINAWA」を往復するなかで見出したのが、二つの帝国のはざまに立ち現れる〈オキナワ〉という主体であった。それは沖縄をアジアに開く可能態としての群島の名であり、72年の「復帰」を経た現在までの日本=沖縄との関係を問い直す疑問符そのものである。そして漢字でもなく、アルファベットでもない〈オキナワ〉が沸騰する本書は、この地を撮影し始めた私にとって火傷するほど熱い書物であった。 |
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