[新春企画]アート・ヴュー 2008 |
|
美術、写真、映画、建築、デザイン、演劇、ダンスなど、各ジャンルの批評家、ライター、作家らが、2007年を振り返りながら2008年注目のアートシーンを展望します。2月1日号まで随時更新! |
|
美術 |
|
|
|
|
2008年に注目する作家とその理由 |
美術制度における有名性の恣意性はすでに極限に達しており、固有名に作品性を集中し、還元する経済には注意を向けられない。よって必然的に以下のような回答になる。
──現在までに「プロ」の烙印を刻まれずにいて、幸いにも既存の美術や市場の制度に囲い込まれておらず、新しい技術(特にネットワーク系)と社会背景に注意を向けているあらゆる個人/組織
心情告白のそしりを免れないだろうがあえて固有名をいくつか挙げるとすれば、日本では東京藝術大学/産総研の櫻井稔、noughts.jpの山本興一、NOTAの洛西一周たちはそれぞれ、既存の表現の境界線の位置をずらしてしまう仕事を行なっているように思っている。
筆者自身、「文学の触覚」展(2007年12月15日〜2008年2月17日、東京都写真美術館)における出品作《タイプトレース道:舞城王太郎之巻》においても、最も「美術」制度から遠のけるように振る舞い、その外部に新たな経済圏を巻き起こそうと画策しているので、このように内部観測的な言及しかできないことを読者諸賢にはお許しいただきたい。 |
|
2008年に期待する展覧会・ムーヴメントとその理由 |
キュレーターが複数化したり国家を背負い込んだりすればホール・カタログと化し、一個人で背負えば恣意的な世界観の押しつけになるという二極化に引き裂かれている「展覧会」というフレームワークにもはやなにを「期待」できるだろう?
また、美術制度や前衛運動と関係のないところで発生した社会現象を、哲学的にコンセプト化することもなく美術の現場に盗用するカタカナキーワード企画展示にはまったく期待しない。より肯定的にいえば、制度の限界を意識しつつ、制度外にある自発的な動きに媚びることなく、制度を内破的に更新していく動きが現われることを期待したい。 |
|
2007年に記憶に残った書物、論文、発言など |
──姜明求(ソウル大学言論情報学科教授)「アジアとは何たるかをアジア人が知らない状況が問題である」[2007年7月、国際会議UMAT@東京大学での発言]
この発言はアジア人が、アジアから、アジアのなかで、アジア性を構成しなければならないという当然の事を、今までのように曖昧な綺麗事ではなく、アイデンティティ(文化的領土)の喪失という目前にある具体的なひとつの危機として警鐘を鳴らしている。これと同種の危機感は舞城王太郎らによるRealCoffee宣言(2007.05)にも見られる。 この状況と関連して、近代科学が忌避してきた生気論を現代のネットワーク的状況のなかでどのように捉えなおす事ができるか、生命的プロセスをどのように情報設計に実装できるかという認識(次号の人文・社会科学雑誌『SITE ZERO/ZERO SITE』での筆者による特集テーマ)を鍛えてくれたのが以下の書籍たちである:
1──Francisco J. Varela, Autonomie et connaissance - Essai sur le Vivant, Seuil, 1989. 2──Evan Thompson, Mind in Life: Biology, Phenomenology, and the Sciences of Mind, Belknap Press, 2007.
3──ハンス・ドリーシュ『生気論の歴史と理論』(米本昌平訳、書籍工房早山、2007)
4──池上高志『動きが生命をつくる──生命と意識への構成論的アプローチ』(青土社、2007)
5──金子邦彦『生命とは何か──複雑系生命論序説』(東京大学出版会、2003) |
|
|
|
|
|