artscapeレビュー
青年団リンク ホエイ『郷愁の丘ロマントピア』
2018年02月01日号
会期:2018/01/11~2018/01/21
こまばアゴラ劇場[東京都]
ホエイという名前は「ヨーグルトの上澄みやチーズをつくるときに牛乳から分離される乳清」に由来し、「何かを生み出すときに捨てられてしまったもの、のようなものをつくっていきたい」と付けられたという。『珈琲法要』『麦とクシャミ』に続く北海道三部作の第三部となる今作の舞台は夕張市。ダム湖を望む駐車場に集うのは、夕張の炭鉱で働いていた老人たちだ。かつて彼らはダム湖に沈んだ街に住んでいた。恋愛、結婚、年中行事、炭鉱事故、転職、引っ越し。昔話が過去の情景を呼び起こし、決して平坦とはいえない彼らの半生が描き出される。必死で生きてきた彼らの現在は苦い。若者に子供をつくれと言えば産む気にならない社会にしたのはあなたたちだと返される。国のエネルギー政策やダム建設計画に翻弄され、やがては住む場所を追われた彼ら。悪いのは誰か。そして歴史は繰り返す。
山田百次の演出は観客を共犯者に仕立て上げ、客席の安全圏から引きずり出す。ほとんど素舞台と言っていいほどシンプルな舞台美術も、いつの間にか本編に入っている前説も、あるいはナレーションを交えつつ自在に年齢を行き来する俳優の演技も、すべてが「これは演劇だ」ということを主張し続ける。俳優たちはみな巧みだが、舞台上の「リアル」はときに学芸会のように不完全だ。観客の想像力がそれを補填し完成させる。観客は登場人物の人生を、彼らに起きる不条理を、舞台上に出現させる片棒を担ぐ。炭鉱事故の場面で劇場を覆う暗闇がゾッとするほど恐ろしいのは、私が事故の「共犯者」だからであり、同時に私も「そこ」にいるからだ。
ホエイは史実を取材し、歴史の中で忘れられてきた人々や事実に光をあてる。それは同時に、いまだ光があてられぬままの人々に思いを馳せる作業でもあるだろう。すべてを知ることはできない。すべてを想像することもできない。それでも、なけなしの想像力にできることはあるはずだ。
公式サイト:https://whey-theater.tumblr.com/
2018/01/14(山﨑健太)