artscapeレビュー
国家診断展 Who is “Prince YOSHIHISA”?
2018年02月01日号
会期:2018/01/06~2018/01/08
聖徳記念絵画館+国立科学博物館+上野恩賜公園ほか[東京都]
「国家」を主題としてキュレーションされた展覧会。といっても、ある場所に集められた作品を見るのではなく、北白川能久親王(1847-95)を軸に、ガイドと関連場所を巡りながら国家、近代、日本について考えるツアーイベント。ガイドはアーティストのバーバラ・ダーリン。さて、明治天皇の義理の叔父に当たる能久は、幕末に上野の寛永寺に入り、輪王寺宮と通称された。彰義隊に擁立されて上野戦争に巻き込まれ、新政府軍に敗れて東北に逃走したものの降伏して京都で謹慎。処分を解かれてプロイセン(ドイツ)に留学し、軍事を学ぶ。帰国後は陸軍に属し、日清戦争終結後、近衛師団長として台湾に出征したもののマラリアに感染して死去。皇族では初の外地での殉職者となった。皇族の身でありながら新政府軍に歯向かったり、留学中ドイツ人女性と婚約したり(のちに破棄)、まとにかく型破りの人物だったようだ。
当日は神宮外苑の聖徳記念絵画館前に集合し、絵画館を見学。明治天皇の生涯を描いた80点(前半40点は日本画、後半40点は洋画)の壁画のうち3点ほどに能久は登場するが、前半に登場しないのは旧幕軍についたからだという。ちなみに絵画館の各壁画の前には古くさい解説板があるが、それとは別にガラス面に「壁画深読み!」と称する砕けた解説文が貼られ、作者や作品についても触れていた。つい2年前にはなかったものだ。鶯谷へ移動し、能久とは直接関係はないが、日清戦争時に外務大臣を務めていた睦奥宗光の旧別邸を鑑賞。土地も建物もずいぶん切り売りされたとはいえ、木造2階建ての瀟洒な洋館(白いペンキが剥げている)は住宅街の周囲から完全に浮いている。
次に能久ゆかりの東叡山寛永寺輪王殿へ行き、上野の山と寛永寺の由来や歴史を聞いてから、向かいの国立科学博物館へ。ここで企画展「南方熊楠──100年早かった智の人」を見る。南方も能久と直接関係ないが、重要なのは「神社合祀と南方二書」のコーナー。神社合祀とは明治政府が町村合併に伴い複数の神社を統合し、廃止された神社の土地を払い下げ、それで日露戦争の借金を返済しようという方針。これに対し熊楠は、多様な静物を育んだ貴重な神社の森が消えてしまうと猛反対、その反対意見をまとめた本が柳田國男によって出版された、いわゆる「南方二書」だ。上野恩賜公園の五重塔や東照宮や不忍池を巡って、九段下のカフェで台湾の神社についてあれこれ話し、最後は靖国神社の鳥居を確認して解散。近代国家への移行に伴う矛盾とドタバタ劇が、能久の生涯とその周辺に凝縮していることがわかった。
2018/01/08(月)(村田真)