artscapeレビュー
TPAM 劇団態変『箱庭弁当』/アブラクサス『タブーなき世界そのつくり方』
2020年03月15日号
今年のTPAMは、筆者がいくつか鑑賞した限りでは、政治的な題材を扱う作品は少なく、ほとんど人間が前面に出てこないハイネ・アヴダル&篠崎由紀子『nothing's for something』や、伝統舞踊の型を脱構築していくピチェ・クランチェン『No.60』など、むしろ美学を揺さぶるタイプの作品が目立った。ここではディレクションとフリンジからひとつずつ取り上げたい。
劇団態変『箱庭弁当』の出演者は全員、身体障害者である。五体不満足ゆえに、当然、根本から動きは変わらざるをえない。ただし、冒頭は個別の能力がわからず、もやもやした気持ちになっていた。わざと寝そべっているか、あるいは立てないのか? などが判別できなかったからである。またサーカス団の見世物のようにも見え、正直、戸惑った。しかし、やがて鑑賞するうちに、それぞれの出演者の個性を把握すると、通常の身体表現と全然違う動きがどのような仕組みで成立しているか、もしくはその新しい可能性を理解することができた。もっとも単純な立つ、歩く、掴むという行為でさえ、別の方法があるのだ。
TPAMフリンジのアブラクサス『タブーなき世界そのつくり方』は、ベタな演劇である。取り上げている題材は、三重苦の重複障害者としてもっとも有名な偉人であるヘレン・ケラーだ。一般的には屋外で「水」という概念を理解した感動的なエピソードがよく知られており、この作品でもそのシーンは登場するが、むしろ重点を置くのは、その後の彼女の生きざまである。すなわち、ヘレン・ケラーとその教師の実話をもとに、いくつかの改変を加え、障害者差別と人種差別の問題を重ね合わせているのだ。もちろん、彼女に肌の色は見えない。ヘレン・ケラーが労働運動、婦人運動、公民権運動などに参加したのは事実である。だが、そうした彼女に対し、感動的な障害の克服だけを語っていろ、政治や社会に口出しするな、という圧力がかかる状況は、まるでいまの日本のようだ。これは昔のアメリカの話ではない。パラリンピックが開催される2020年においても(新型コロナウィルスの影響でどうなるか微妙だが)、ヘイトがなくなる気配がない現状への問いかけのように感じられた。
TPAM 劇団態変『箱庭弁当』 2020/02/09-2020/02/11 KAAT神奈川芸術劇場
アブラクサス『タブーなき世界そのつくり方』 2020/02/12-2020/02/16 サンモールスタジオ
2020/02/16(日)(五十嵐太郎)