2020年06月01日号
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artscapeレビュー

イエデイヌ企画『イマジナリーピーポー イン トーキョー』

2020年03月15日号

会期:2020/02/14~2020/02/16

新宿眼科画廊スペースO[東京都]

イエデイヌ企画は2014年に発足した演出の福井歩による演劇プロジェクト。福井は立教大学映像身体学科に学び、2016年にはマレビトの会『福島を上演する』に演出部として、2017年にはフェスティバル/トーキョー17の「実験と対話の劇場」に演劇計画・ふらっとの演出として参加している(劇作は我妻直弥が担当)ほか、イエデイヌ企画としては2019年3月にピーター・ハントケの小説/映画『左ききの女』を舞台化している。

『イマジナリーピーポー イン トーキョー』は偶然に出会った家出人(米倉若葉)、作家(平山瑠璃)、会社員(野中知樹)の三人が深夜のトーキョーをひと晩中歩き回る話だ。家出人はひとり暮らしの「部屋に帰ると、誰かがいたような雰囲気を感じる」と2カ月も帰っておらず、チェーン店で時間を潰したり野宿をしたりして過ごしている。作家の役名は「便宜上作家と呼ぶが、劇中にそれらしい描写はない」らしい。彼はトマソン的なものを探し回り写真に撮っている。会社員は中学の同級生の葬式からの帰り道、酔い潰れて寝てしまう。そこがたまたま家出人が野宿していたすぐ近くで、二人が倒れている(寝ている)ところに作家が通りがかり、三人は出会う。

[撮影:瀬崎元嵩]

上演台本には皇居、旧築地市場近くの空き地、東京駅などと地名が書き込まれているのだが、上演から三人のいる場所をはっきりと特定することは難しい。むしろ、タイトルが示唆する「想像上の人々」と同じように、舞台となる(ことがタイトルによって示唆される)「トーキョー」もまた、架空の、どこでもない都市であるかのような手触りがある。場所を表わすものが何もない舞台空間と公演会場となった新宿眼科画廊スペースOの真っ白な壁もそのバーチャル感を強化する。

三人が歩く深夜のトーキョーに人影はほとんどなく、それは確かに非現実的な風景だろう。「みえてないだけで、実は人、たくさんいたりして」というセリフはある意味では真実だ。昼と夜、現実と虚構。三人は異なるレイヤーを生きている。いや、三人も普段はそれぞれに異なるレイヤーを生きていて、たまたまそれが交わったのがその夜だったのだ。

[撮影:瀬崎元嵩]

実は、この作品では三人が出会うまでの時間も描かれている。開演すると三人はさまざまな言葉を発しながら舞台上を不規則に足早に歩き回る。それはトーキョーの匿名的な人々を表わしているかのようだ。しばらく見ていると、言葉の発し方が奇妙なことに気づく。どうやら三人の俳優は自らが演じる役(それも一貫したものではないようだが)に聞こえている音を口にしているらしい。そこでは音源との距離や集中の度合いによる音の聞こえ方の変化も再現されている。

それはまるで音を介したキュビズムのようだった。確かに、知覚の主体たる私にとって音はそのようにして存在している。だがそのような音のあり方はあくまで唯一の「私」の内側に生じるものであるはずだ。それが外部化され、複数化されて舞台上に提示されることで、私にあるはずの世界の焦点が(いやそれは確かに私にまだあるのだが)取り出され、世界が裏返ったかのような感覚を覚えたのだった。言い換えればそれは、私が世界の側に裏返されたということでもある。

東京の人々の場面はやがて家出人・作家・会社員それぞれのエピソードへと収束していき、それとともに「キュビズム的」手法はほとんど用いられなくなっていく。深夜になり三人の周囲に人がいなくなったという以上に、無関係であった三人が互いの存在に焦点を合わせたことでそれ以外の人々が背景に退いたということだろう。顔のない人々に囲まれたトーキョーのなかで三人は「出会った」のだ。

[撮影:瀬崎元嵩]

「感じることで初めて存在が証明されるんじゃないですかね」とは作家の言葉だが、「トーキョー」で暮らす私はすぐそこにいる他人を、どれだけ人格のある他者としてきちんと見ることができているだろうか。例えば満員電車。私は自分の心身を守るために彼らを「イマジナリーピーポー」とみなしてはいないか。だが私が意識しようがしまいが、もちろん私以外の人々もまた生きる主体として、世界の焦点として日々を過ごしている。イエデイヌ企画は当たり前のその事実を演劇ならではの新鮮さで体験させてくれた。

立教大学映像身体学科とマレビトの会の演出部は福井歩のほかにも我妻直弥や関田育子、福井裕孝と極めて独自性が高く、しかし実直な思考と実践に基づいた作品を展開する若手の演劇作家を何人も輩出してきている。彼女たちは、立教大学教授でありマレビトの会代表でもある松田正隆が提唱する「出来事の演劇」の手法にベースを置き、あるいはそこから影響を受けつつも決して二番煎じには陥らず、師の先を行かんとばかりに演劇の原理を探究している。真に学ぶとはいかなることか。その最良の成果がここには表われている。

[撮影:瀬崎元嵩]


公式サイト:http://imaginary-people-in-tokyo-ideinu.mystrikingly.com/


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2020/02/16(日)(山﨑健太)

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