artscapeレビュー
川崎市河原町高層公営住宅団地、洋光台団地
2020年06月15日号
[神奈川県]
コロナ禍の期間中、公共交通機関をほとんど使わなくなった代わりに、自動車で普段訪れることがなかった神奈川県のエリアをまわり、建築を見学する機会が増えた。展覧会や演劇は閉館していると、まったく楽しむことができないが、建築は内部に入れなくても、外観を見学するだけでも多くのことがわかるのがありがたい。時代の変化を示す2つの団地を取り上げよう。ひとつは大谷幸夫が手がけた《川崎市河原町高層公営住宅団地》(1972)、もうひとつは隈研吾による《洋光台団地》と駅前広場のリノベーション(2018)である。
前者は日本に団地が登場し、これからどんどん増えていく時代の建築だが、遠くから見ても相当なインパクトを与える彫刻的な造形だ。今なお、強い形である。いや、正確に言えば、近年こうしたデザインは忌避されるからこそ、余計に痛烈な印象を与えるだろう。とりわけ、「人」字型の斜めに迫り上がるダイナミックなヴォリュームは、大谷の《京都国際会館》(1966)にも通じるものだが、集合住宅の系譜で言えば、師匠の丹下健三による25,000人の《TAMENOコミュニティ計画》(1960)や、大谷も参加した《東京計画1960》(1961)の住居棟の断面と近い。実際、川崎の団地の外側はテラス付きの住戸をズラしながら積み上げ、日照を確保する一方、内側には巨大な吹抜けの半屋外空間を設けている。全体としては、総戸数3,600戸、人口 15,000人を想定したプロジェクトだが、SF的なデザインは、近代的な団地が輝いていた時代を偲ばせる。
これに対し、ほぼ同時期の1971年に入居を開始した《洋光台団地》は、直方体のヴォリュームが連なる普通の建築だが、誕生して半世紀を迎える直前に、隈のデザイン監修によって生まれ変わった。駅前から続く広場のリニューアルは、既存の傾斜地とも連動しつつ、個性的な場を形成している。隈による長岡の庁舎と同様、ステレオタイプではない日本らしさをもつ広場は、魅力的である。かつて2階の居室だった空間が、店舗に変わり、アーケードの上部に続くデッキと面しているのも興味深い。ほかにも室外機を木の葉パネルで覆ったり、縦導線のコアをストライプ状に塗装し、やさしい表情を与えている。強い建築を志向しない現代的な改修と言えるだろう。
2020/05/10(日)(五十嵐太郎)