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池田安里『ファシズムの日本美術──大観、靫彦、松園、嗣治』

2020年06月15日号

翻訳者:タウンソン真智子

発行所:青土社

発行日:2020/05/22

「日本ファシズム」という概念的枠組みを設定することで、戦闘や兵士を描かず、一見「政治色を帯びていない」非戦闘画が、いかに戦争と共犯関係を取り結んだかを検証する、意欲的な研究書。欧米圏のファシズム研究理論を取り入れた、日本の戦争美術研究である。著者の池田安里は、日本で生まれ育ち、北米で大学教育を受け、バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学で執筆した博士論文が本書の元になっている。英語圏における日本の戦争美術研究の逆輸入という点でも、英語で執筆された文章の邦訳という手続きにおいても、外部化された視線の導入という構造が特徴だ。


本書で池田は、近年の欧米ファシズム研究を参照し、ファシズムを「個人主義・合理主義・物質主義などの近代の産物を非難し、集団主義・精神主義・国家の神話に傾倒するイデオロギー」(226頁)と定義した上で、戦時期の日本への適用を試みる(日本の左派研究者の見解を踏襲し、1931年の満州事変を戦争開始時期と見なす)。池田によれば、「日本ファシズム」とは、「ドイツやイタリアでのファシズムと同様、近代化によって破壊されかけている国家の『有機的な共同体(オーガニックコミュニティ)』の復活を掲げる二十世紀初頭のイデオロギー」を指し、「戦時中の日本がどのように近代化の影響に対抗し、伝統と純粋な日本人の精神によって結ばれた国家共同体の『再構築』を求めて民族主義に基づく全体主義を推し進め、民主主義・個人主義・自由主義を主張したアメリカやイギリスへの暴力を正当化したか」(14頁)に着目する。

「ファシズム美術は国家イデオロギーを反映したもの」(64頁)とする分析事例が、横山大観の富士、安田靫彦の中世の武士像、上村松園の美人画、東北の祭りと風習を描いた藤田嗣治の壁画である。

横山大観は、中国伝来の水墨山水画から距離を置き、近代以前の文学的背景や土着信仰から切り離された、「日本」の象徴としての富士にフォーカスを絞り、太陽や桜など同様の象徴的モチーフとのモンタージュによって新たな視覚言語をつくり上げた(ただし、「富士=日本の象徴」は、開国以降の欧米人によるオリエンタリズムの眼差しの内面化であるというねじれた構造がある)。安田靫彦の《黄瀬川陣》(1940-41)は、平家打倒のため、兄・頼朝の元に駆けつけた義経という「兄弟の結束」を描くなかに、(同じく近代以降に「創造」された)「死に殉じる武士道」と「儒教的な上下関係」を暗示する。

上村松園の美人画は、「質素倹約に励む女性」「夫と息子を天皇に捧げた女性」を描くことで、戦時中の模範的な日本人女性像を示す。また、浮世絵を参照しつつ性的要素を排除した松園について、「先駆的なフェミニスト」ではなく、「西洋に染まった性的なモガ」への反動として理解すべきだという主張も興味深い。「戦争協力」を通した公的領域への女性の参入は、「女性と国家は戦争を通してそれぞれの目標を達成するという共生的な関係を発展させた」(190頁)からだ。

東北の祭りと風習を描いた藤田嗣治の壁画《秋田の行事》(1937)は、柳宗悦の民芸や柳田國男の民俗学と呼応しつつ、「近代化に染まっていない、最も純粋で真正の日本」の表象として「東北」を特権視する。

こうした事例を通して本書は、国粋主義的な日本賛美、日本人特有とされる精神性、文化的真正性、(欧米やアジア諸国に対する)優越性、近代以前の美意識の「再発見」、「伝統」との繋がりの回復といった諸相を明らかにしていく。

本書の意義はまず、戦闘や兵士を写実的に大画面で描いた洋画中心の「戦争画(作戦記録画)」ではなく、見えにくい領域に光を当てることで、より包括的・多角的に戦争と美術を考える視座を開くことにある。「純粋な美の領域」か「政治的プロパガンダ」かに二分するのではなく、狭義の「戦争画」はファシズムの部分的要素であり、非戦闘画もまた同じイデオロギーのなかで機能していたと本書は指摘する。

さらに、本書のより広範な射程は、ファシズム・ナショナリズムとモダニズムとの結託・共犯関係である。「伝統的」とされる様式やモチーフを採用しつつ、「物語性や装飾性の排除」「写真的視覚」「平面性や幾何学性の強調」「構図の簡素化」といった(視覚様式としての)モダニズム受容により、刷新と近代化を図った日本画が、体制に与すること。「既存の体制や権威への異議申し立て」としてのモダニズムはファシズムによって消滅したという通念を覆し、モダニズムの美学が真逆の反動的政治学に「収用」(アプロプリエーション)され、変容して存在し続けたと筆者は指摘する。また、台湾や朝鮮といった帝国内部の植民地と同様、東北を「近代化されていない周縁」と眼差す構造は、モダニズムと表裏一体のオリエンタリズムや植民地主義を浮き彫りにする。西洋近代化の推進としての領土獲得は、その外部に「遅れた/純粋な文化の残っている」地域をつねに生み出し、これから帝国の支配領域に組み込まれるべき、未来完了形の領土として欲望するからだ。本書はそうした、「伝統」「古典」がモダニズムを取り込み、あるいは逆にモダニズムが「近代以前」を欲望しながら、国粋的なファシズムと結託していく輻輳的な回路を浮き彫りにしている。

2020/05/30(土)(高嶋慈)

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